PTSDの日本兵と家族の交流館

子ども図書室

開館日・2020年5月10日~2024年11月18日現在

3187人の

 

皆さんにご来館いただきました!

PTSDの日本兵家族会

寄り添う市民の会の

ホームページです

 

 

白旗を世界中で掲げましょう!

戦争のない世界を引き寄せる

 積極的な非暴力行動です。

 

 

白旗が
 全国に旅立ちました
 広がっています
              
☆白旗ご希望の方は
➡黒井秋夫 電話08011213888 
★メールアドレス  qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
「戦争はしません」の白旗(横60㎝ 縦180㎝)
*郵送の場合
・1枚1000円+レターパック料!になります

 

日本中に、世界中に広げましょう!

 

 

私たちは平和憲法の約束を守ります

私たちはいかなる戦争にも反対します

 

私たちは銃を取りません

紛争は話し合いで解決します

侵略されたら直ちに白旗を掲げ降伏します

日本が戦地になったら避難民になり生き延びます

世界に日本への支援と平和的解決を訴えます

 

日本が二度と戦争を起こさない!
誰もが安心して暮らせる平和な社会をめざします!

 

中国、朝鮮半島、アジア、世界に

平和と友好の虹の橋を渡します!

 

★家族会・寄り添う市民の会は

・自分と違う意見やお話しでも最後まで聞く。

・人の話を途中でさえぎらない。

・大きな声を出さない。

(威嚇するような言い方はしない)。

・誰にも何も強制されない。

 

★以上のルールで個人を尊重する運営を心がけています。

・定例会参加も無理をせず都合良い時にお出で下さい。

・それでも、いざという時には大きな力を発揮する温かく

 頼りになる「家族会・寄り添う市民の会」をめざしま

 す!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

★第1回千葉証言集会にお集まり下さい
・東京、関西に次ぐ全国3番目の開催地です。「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は
 全国に広がります!
・主催「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の
 会ちば」
*2024年12月7日(土)13:00~16:30
・松戸市民会館301号室
・資料代700円
*黒井秋夫は会場参加ができず、ビデオメッセージで「問題提
 起」の発言をいたします。
*チラシを配布できる方お知らせください。レターパックでお送
 りします。

 

宮崎駿さん!!「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞の授賞式でに『太平洋戦争時に日本がフィリピンで多数の市民を殺害したことを「日本人は忘れてはいけない」とするメッセージを寄せた』

私はそのメッセージに完全に賛同いたします。
私黒井秋夫も日本の戦争加害をアジア民衆に謝罪する会を立ち上げ活動を始めます!!

https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCB1638B0W4A111C2000000/?msockid=3e90cdf0493367282254de9048d966fd
「アジアのノーベル賞」といわれるマグサイサイ賞の授賞式が16日、マニラで開かれた。受賞したアニメ映画監督の宮崎駿氏(83)は式を欠席したが、太平洋戦争時に日本がフィリピンで多数の市民を殺害したことを「日本人は忘れてはいけない」とするメッセージを寄せた。そうした歴史がある中、フィリピンから贈られる賞を「厳粛に受け止めている」と強調した。

メッセージは、2016年に当時の天皇皇后両陛下がマニラを訪れ「マニラの市街戦に触れながら、命を失った多くの戦没者を慰霊した」と指摘。「日本人は戦時中、ひどいことを散々した。民間人をたくさん殺した」と訴えた。

式典でフィリピンのラモン・マグサイサイ賞財団から代わりに賞を受け取ったスタジオジブリの依田謙一取締役がメッセージを代読した。

財団は宮崎監督のアニメ映画について「人間の在り方への深い理解を表現し、見る人に自省と思いやりを促している」と称賛している。

他に受賞したのは、ブータンで教育慈善団体を創設したカルマ・プンツォ氏(55)ら3人と、タイで農村の医療向上に貢献した医師らの運動団体。

同賞はアジアで社会に大きく貢献した個人・団体に1958年から贈られてきた。宮崎監督は9月2日の声明で、尊敬する映画監督の黒沢明氏や詩人の石牟礼道子氏=いずれも故人=にも授与されており「受賞者の末席に自分が加わることができるのは大変名誉なことだ」と表明していた。

 

 

 

 

 

 

 

親父の苦しみを背負って

ラジルラジルでお聞きください!

11日まで可能です!

父は戦争でどんな苦しみを受けたのか。追い求めて見えてきた戦争の悲惨さとは。ラジオ深夜便で放送されたインタビューをもとにさらに掘り下げた特別番組をお送りする。 東京・武蔵村山市に戦争中の遺品の資料館を設立した黒井秋夫さんは、父親との苦い思い出が原点となっている。寡黙でまったく親子ならではのふれあいをしてくれなかった父親に対して、黒井さんは心を開くことができなかった。しかし父親の死後、その足跡をたどるうちに、若いころの全く違う生き生きとした姿が見えてくる。戦争は父親に何をもたらしたのか、心の傷をかかえた人たちの戦後の姿を見つめる。

 

 

https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fwww.nhk.or.jp%2Fradio%2Fplayer%2Fondemand.html%3Fp%3DWPXKK2LY6G_01_4092050%26fbclid%3DIwZXh0bgNhZW0CMTAAAR2jvhF7DYG4zWgofaQQMVRav5rr0oopChIDBjl1mtLpT-wLPvEp8tCEUh4_aem_q2m4O6WNX1umtylpaiOXaQ&h=AT0O-iF3LjylMfxrxYlvvXQDFN9EmgGqYVMz3nPV0qF5p1DeQ5v-Hh-pG_C74dMKgVHbXdHGhSrjfwt-r4mJBtRmYP8-6qHmYSlYfjlLPyiUoReNiIRCfIFIcqJZMO7LYhFMGEVrOgO_6ez-GoKZ&__tn__=R]-R&c[0]=AT2M-BAnGLXeLrqE-5sDCZdxCDOPUXNbQxejsVEl_8eO4_bRFPZqixxojv3el3eeQG4fWiatPECvkOvOfr22Xt0z6BLx9WQR6TtgPN-JYgDIEm1vQhI-NOgnuAxvwjz2FqTdGHum7JqiS2CgcFu2YPr_PAOJQsE8oEYvEsQf0uH5s87IJ3w

 

*以下の文は二つの団体の機関誌に掲載されることになりました。  
 (11月5日現在)

2024年11月3日(日)午前10:00 雨上がりの晴天、やや寒い。
山形県櫛引町東荒屋(現・鶴岡市)赤川の土手脇にある黒井家のお墓に眠る父・黒井慶次郎に中国吉林省公主嶺で中国の皆さんに謝罪できたことを報告しました。
20歳で招集された初任地、公主嶺。一時は20万人の関東軍が駐屯したという。独立守備隊に配属された父は南満州鉄道周辺の「匪賊討伐」を戦った。周囲の村を襲いどれほどの中国人を殺したか息子の私は分からない。何をしたかは一言も言わずにあの世に逝った。
34歳で帰還した2年後に私は生まれた。
父は一日中話さず、近所付き合いもできず、定まった職業に就くこともできなかった。そのほとんどを土方仕事で生涯を終えた。喜怒哀楽の表情も乏しく、ただそこに存在するだけの77歳の人生だった。
私の兄は反発し、私は父と兄が親しく口をきいている情景を思い出すことができない。いつか母は兄に「こんな男とは離婚しろと言われた」と私に言ったことがある。
私は兄ほどではなかったが一人前の男ではないと思っていた。尊敬のその字もなかった。父親に何かを相談したことは一度もない。父は何かを決断することができなかった。何か言われても頭の整理ができず、ぐちゃぐちゃだったのかもしれない。ただの無言が続くだけだった。
高等小学校の学歴の父が15人前後の部下を持てる軍曹まで昇進したのだ。1944年~45年の敗戦間際は中国軍との最前線、長江中流の宜昌で戦闘に参加している。激戦が続いたと思われる。(父から聞いたことはないが)父は下士官として部下を率いて戦場で瞬時の判断をその頃はできたのだ。
しかし、想像力のない、薄情な息子はそんな姿の父を生きている間は想像すらできなかった。情けない。
目を覚まさせてくれたのはベトナム戦争を戦ったアメリカ海兵隊のアレンネルソンさん。過酷な戦場体験からPTSDを患い、家族に暴力を振るい家族生活を崩壊させたと語る悲しげな彼の表情に黒井慶次郎が重なった。その瞬間に私は全てを理解した。私の父もPTSDを発症してそれまでの黒井慶次郎と全く違う無気力な別人になって帰還したのだと。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を2018年に立ち上げて6年と9カ月。2024年9月14日、父の初任地、吉林省公主嶺の地に立った。目の前に800人の小学生と教職員、地元の人たちが広い公主嶺駅前小学校の校庭に立ち私を見ている。
この公主嶺の大地にどうして靴のままに立てようか。私は靴を脱ぎ、裸足になり大地に立った。足裏から雨上がりの大地の冷気が伝わった。この土の下には日本軍に殺害された多くの中国人民が眠っている。大地にひれ伏して頭を垂れる土下座しか謝罪の気持ちを中国の人たちに伝える方法は思い浮かばなかった。
そして、その同じ公主嶺の大地には日本軍兵士も眠っている。父親の同僚たちだ。彼らは殺人者だ。許されることではない。それでも私は彼らにも黙祷した。「心ならずも殺してしまった」私はそう思いたい。黒井慶次郎もそうなのだと思いたい。
この謝罪訪問を実現してくれた李素楨日中口述文化研究会常務副会長には感謝してもしきれない。心からの謝意を表明いたします。2020年8月23日にお会いして以来、私の活動をさまざまな面で支援していただきました。本当にありがとうございます。これからも真の日中友好に手を携えて努力したいと思います。
墓前に立つ私を父は高い高い空の上から見ていてくれただろうか。亡くなったときも涙一つこぼさなかった薄情な息子を今は許してくれるだろうか。「良くやった、ありがとう、がんばった」と言ってくれるだろうか。私を抱きしめてくれるだろうか。
ようやく父と繋がったのかと思う。父親が果たせなかった中国の人たちへの謝罪の一歩を踏み出すことができた。父親の人生と私の人生と二つ繋いで一人の日本人の人生を生きている。そんな気がしている。
2024年11月4日(月)6:15
山形県鶴岡市由良の民宿にて記す。

 

中国訪問(912~17日)の成果と課題

(黒井秋夫)2024.10.1

 

「日本の戦争加害をアジアに謝罪する

   会」を立ち上げ、活動を開始いたしま

  す。50年後、100年後、200年後の子孫の

 世代には平和と和解の日本とアジアの友好

 の絆が結ばれるよう一歩を踏み出します。

2年以内に日本の戦争加害の謝罪(戦没

  者慰霊)の訪問団を結成して白旗を掲げ

  てアジア地域をまわり、交流と友好、和

  解をめざします。1000万円カンパを組織

 します。

 

1,912~17日の中国訪問目的

・日本兵の中国人民への侵略と蛮行を心から謝罪すること。

50年後、100年後、200年後の子孫の世代には平和と和解の日中友好の絆が結ばれるよう一歩を踏み出すこと。

2,反響、成果

・天皇は戦争謝罪をしていません。政府の謝罪は不十分です。

・民間レベルでも行動を起こせば日中韓、アジア地域関係を友好と平和、真の和解の方

向に少しでも変える力になれると実感しています。この活動を続けます。

・謝罪が訪問団5人と複数人になったことが中国の人たちの印象、反響を大きくしました。

・黒井秋夫個人の謝罪の枠を大きく超えた「日中友好、戦争をしない」うねりを作りました。

 ・長春空港到着から中国の報道が始まり(12日)~15日まで取材に囲まれました。

中国国営放送CCTVや新聞社などが毎日報道しました。見た著名人が駆けつけてくれたり、街頭で声をかけられたりしました。1億人、何千万人の中国の皆さんが目にしたと思われます。

・それらの報道がXで今も好意的に拡散されています例、xで発信の1人の中国人の書き出

加害の歴史に真摯に向き合い被害者に誠実にお詫びすることこそ真の和解の始まりだ」

3,すぐに取り掛かること。

・中国訪問報告集会(オンライン含む)を開催する 10月~11月で日程調整

 ・日中の子どもたちの交流を呼びかけます。

  小学校・小学生、中学校・中学生、高校・高校生、大学生に交流を呼びかけます。

  *公主嶺駅前小学校、長春師範大学(歴史学部、日本語学部)と交流する。

4,「日本の戦争加害をアジアに謝罪する会」を「家族会・市民の会」とは別組織として立ち上げ、

 活動を開始いたします。

2年以内に日本の戦争加害の謝罪(戦没者慰霊)の訪問団を結成して白旗を掲げてアジア各地

域をまわり、交流と友好、和解をめざします。1000万円カンパを組織します。

日本の侵略戦争によるアジアの死者数

朝鮮

20万人

インドネシア

400万人

中国

1000万人

インド

150万人

台湾

3万人

オーストラリア

17744

フィリピン

111万人

太平洋地域

不詳

ベトナム

200万人

連合軍捕虜

6万人

タイ

不詳

 

 

ビルマ

15万人

 

 

マレーシア・シンガポール

10万人

合計

1900万人

・日本の戦争ハンドブック(歴史教育者協議会)青木書店・より。

5,訪問団への「家族会・市民の会」から一人当たり8万円、5人合計40万円を補助します。

  訪問費用は各人23万円ほどかかりました。

 

・中国カンパは58万円でした。8月末時点で698799円の繰越金がありますが、10月以降の運営費に30万円を残し、40万円の補助といたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

宮本徹議員の衆議院議員選挙当選の為

 

黒井秋夫は全力で応援いたします!

★10月12日(土)

武蔵村山市村山団地の宮本徹議員演説会

黒井秋夫は7分間の応援アピールを

いたします!

 

2024105日 黒井秋夫

2023315日に衆議院厚生労働委員会で宮本徹議員は「PTSDの日本兵の家族が語り合う会」の活動を紹介しました。帰還した日本兵の相当数がPTSDを発症して、その家族に暴力を振るったり、アルコール依存症になったりして、その家族たちが苦しんでいることを戦後初めて国会質問をしてくださいました。宮本議員は質問の中で、日本兵のPTSDは国が起こした戦争が原因なのに国は実態調査すらしていない。放置している。PTSDの日本兵家族たちはトラウマが連鎖している現状を社会に訴え苦しんでいる、いっときも早く国の責任で実態調査をするよう当時の加藤勝信厚労大臣に要請の質問をなさいました。加藤勝信厚労大臣から「しょうけい館で実態を調査する」との答弁を引き出しました。

・宮本徹議員が国会史上初めて「PTSDの日本兵と家族の労苦の問題と実態調査」を国が解決すべき問題として取り上げたことは、以降のマスメディアで広く報道されることに繋がり、私たちの活動を飛躍的に高める役割を果たしました。

・また、2024315日には「家族会・市民の会」が国の責任で実態調査するよう厚生労働省担当者に要請する場も設定いただき、同席されて後押しいただきました。

・宮本徹議員が私たちの活動を理解され、質問以来一貫して心寄せていただいていることを黒井秋夫と「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は高く評価し深く感謝しています。

PTSDの日本兵家族会・寄り添う国会議員の会

結成にお力を!

・黒井秋夫は98日の東京の証言集会基調報告で、国が起こした戦争に起因する課題として、国が積極的に実態調査し解決に当たるよう求めました。そのために「PTSDの日本兵家族会・寄り添う国会議員の会」の結成を呼び掛けました。

・宮本徹議員には必ず当選していただき、「寄り添う国会議員の会」の呼びかけ議員になっていただき、超党派の国会議員から成る国民的な支援組織を作っていただきたいと思っています。

・すでに、社民党の福島みずほ議員がXTwitter)で「PTSDの日本兵と家族の労苦の問題と実態調査」を発言しています。また、立憲民主党の立候補予定者・松尾あきひろさんも東京の例会に参加されたり、Xでこの課題を発信されています。「寄り添う国会議員の会」設立は現実可能であると認識しています。

・このような状況をさらに前進させるためにも宮本徹議員に衆議院議員を続けていただくことがPTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の活動の前進のためにも不可欠であると黒井秋夫は考えています。

・衆議院議員選挙で黒井秋夫は宮本徹議員の衆議院議員選挙当選のため全力で応援いたします。

PTSDの日本兵家族会・寄り添う国会議員の会」の結成を呼び掛ける私たちの活動も併せてご支持いただき多くの皆さんに支えていただくよう心からお願い申し上げます。がんばりましょう!

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会

10月例会

(どなたでも参加できます・歓迎します)

提案、黒井秋夫

中国残留邦人等の体験と労苦を伝える戦後世代 

 の語り部・友末可織さんのお話し

*演題「家族を求めて ~輿石大仁郎さんの人生」

1014日(月・スポーツの日)

 オリンピック記念センター(セ307)

13:0015:00 中国残留邦人・帰国者講和と参加者の感想交流

15:0016:00 寄り添う市民の会・東京

 *10:0012:00PTSDの日本兵家族会を同じ会

 場で開催します

 

 

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会

 10月例会・年間日程
(1)127日(土)千葉県第1回証言集会が開催されます
  ・松戸市民会館301 13:0016:30 資料代700
  *東京や関西証言集会の時と同様、全国にチラシ配布しましょ

   う。

配布可能枚数をお知らせください。お送りします。
(2)「戦争PTSDの会」を林崎祥子さん、秋田県横手市で立ち上げま

した(2024912日)全力で応援しましょう!
  ・109日に2回目を開催しました。
  ・117日(木)3回目開催します。10:00~12:00
   横手市交流センターわいわいプラザ研修室

(3)国・厚労省の「PTSD兵士の調査」推進について
  ・「PTSDの日本兵家族会・寄り添う国会議員の会」立上げをめざ 

す活動を開始する。組織る戦略・戦術の議論開始。担当する希

望者(複数)を募る。
  ・衆議院議員会館で院内集会を総選挙後の今年中に開催めざす。 
(4)2025年の証言集会について
2025年の東京証言集会 、 
 会場はオリンピックセンターセミナーホール(300人収容) 
 オンラインを100人以上に拡大、202597日(日)開催とする
 実行委員会を2025年早々に開催、プログラム、チラシや資料準備   

など分担して進める。
2025年の関西証言集会
・会場はPLP会館(200人収容)、オンライン参加を進める
2025629日(日)に開催 東京同様に実行委員会を2025年 

早々に開催、プログラム、 

チラシや資料準備など分担して進める。
*千葉、秋田県横手市も共同して進める。
(5)地域拠点都市(名古屋、札幌、福岡、広島、仙台など)を核に

して「家族会・市民の会」を全国に広げます。知人友人に働きかけ(拠点都市で)講演会、証言集会を企画しましょう。
(6)「家族会・市民の会」の「全国オンライン世話人会」を発足さ

せる。
 *例会は交流会として継続、別に運営を議論する「全国オンラ イ

ン世話人会」を開始する。
 ・全国オンライン世話人会を当面は参加フリーで毎月1回開催する
  1023日(水)オンライン世話人会19:0021:00
  1127日(水)オンライン世話人会19:0021:00
 ・当面の議題
証言集会準備厚労省・寄り添う国会議員の会対策「日本の戦争加害をアジ
アに謝罪する会」を「家族会・市民の会」

とは別組織として立ち上げる件、2年以内に日本

の戦争加害の謝罪(戦没者慰霊)の訪問団を結成、白旗を掲げて

アジア各地域をまわり、交流と友好、和解をめざす、1000万円カ

ンパの件広報(HP、定例ニュース)
(6)日程 

1019日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 

 国労会館

1022日(土)東京の生協で黒井秋夫がお話しします

1031日(木)東京の生協で黒井秋夫がお話しします

1022日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

1023日(水)オンライン世話人会19:0021:00

11月 8日(金)東京の生協で黒井秋夫がお話しします

1110日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。

1116日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 

 国労会館中会議室

1119日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

1123日(土)広島市で黒井がお話しします

1127日(水)オンライン世話人会19:0021:00

12月 7日(土)千葉証言集会 松戸市民会館

12月 7日(土)「第70回子どもを守る文化会議」で黒井秋夫がお

 話しします

128日(日)東京家族会・市民の会 オリンピックセンター

 (セ510

1217日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

1218日(水)オンライン世話人会19:0021:00

 

1222日(日)関西家族会・市民の会 国労会館(予定)

*中国からの情報です!
★今回の謝罪講演活動のメディア報道は以下のようです。
①中国新聞社の報道は、騰訊、新浪、網易など国内の数十の主要メディアに転載されました。動画ニュースは、微博(ウェイボー)、tiktok(ティックトック)、快手(快手)などの新メディアプラットフォームで広く普及しています。『「深く謝罪します」』が10万回再生され、各プラットフォームで3000万回再生され、総ビュー数は100万回を超えました。
②中央テレビ9月21日,中国侵略日本軍の末裔76歳が裸足でひざまずいて中国人民に謝罪します!225万回視聴された。中央テレビの国際チャンネル「深度国際」で「79年ぶりの謝罪」という26分の特集番組が放映されました。
③新華社の中国語記事は国内442メディア、英語記事は海外287メディアで採用されています。ティックトックの動画はどれも大ヒットしています。
④尚、中央ラジオ,香港テレビ、地方テレビなども放送されました
★伝播効果は絶大です!
★私たちの今回の謝罪は深圳の市民の献花の気持ちに通じていると思います。相手を思う市民の交流がいつか花開くことを信じ 
 たいと思います。
★献花の翻訳「子どもさんへ ごめんなさい 深圳市民」
カスミソウ、白ユリ、テキストの画像のようです

 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会・基調報告を公開いたします。

 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会・基調報告

202498日 

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・代表 黒井秋夫

1.社会認識が大きく前進しました。メディアの報道広がりました。

NHKラジオ ラジオ深夜便 813日 

戦争平和インタビューシリーズ 「親父の苦しみを背負って~戦争によるPTSD~」 

・朝日新聞、2023815日(敗戦の日)以来「戦争トラウマ」現在も連載中。

・読売新聞 826日「思潮」、千葉県版、西日本本社版で数回報道。

・毎日新聞、820日、26日、27日に報道、電子版でも報道。 

・関西テレビ 814日 昭和99年”語り継ぐ 家族が語る復員兵の『PTSD

YBC山形放送2024815日、2023年「でくのぼう~戦争とPTSD」ギャラクシー賞選奨

受賞・NNNドキュメント「でくのぼう~戦争とPTSD」全国放送

・岩波書店「世界9月号・特集 言えない傷、終わらない戦争」

・現代の理論2024年春号「戦争トラウマの封印を解く」特集

・診療研究(東京保険医協会)20241月号「戦争とPTSD」特集

 精神科医が戦争原因の神経症に初めて気づく。

・戦争と性35号 『日本兵の戦場体験を受けとめる。更なる「非戦」のために』

2.大きく前進しました関西と千葉県で「PTSDの日本兵家族会・寄り

添う市民の会」が発足しました。証言集会を開催(ちばは11月に予定)。

*地域拠点都市(名古屋、札幌、福岡、広島、仙台など)を核にして「家

族会・市民の会」を全国に広げます。

・知人友人に働きかけ(拠点都市で)講演会、証言集会を企画しましょう。

・全国に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会*以下「家族会・市民の会」と記します」、PTSD

の日本兵と家族の思いと願い証言集会を広げます。

3.大きく前進しました20233月、PTSDの日本兵と家族の問題が国会(衆議院社会労働委員会)で取り上げられ、厚労大臣は実態調査を約束。「家族会・市民の会」は厚労省との会合の席で「PTSDの兵士の存在と連鎖し苦しんでいる家族の調査」を要望。しょうけい館で戦争神経症の兵士の展示を開始しました。

*毎日新聞報道(820日)毎日新聞の肥沼記者が厚生労働大臣の記者会見でPTSDの日本兵の実態調査範囲について「戦後の帰還兵の調査も考える」という答弁をしたと報じました!「家族会・市民の会」が声を上げ続け、活動を更に広げることが状況を開いて行くでしょう。

*厚労省と国会(議員)への働きかけ・組織的な取り組みを開始します。

・「家族会・市民の会」を支援する国会議員団(寄り添う国会議員の会)
を組織します。

*衆議院議員会館で今年中に「PTSDの日本兵の調査推進、中国訪問報告」の院内集会を企画します。

YBC山形放送が20233月、20246月に放送。朝日新聞、赤旗が報道しました。

・日本兵のPTSDの問題は過去のできごとではありません。暴力の連鎖は家族間の虐待として連鎖

して今でも多くの人たちが苦しんでいます。

日本軍兵士のPTSD含めその原因は日本が始めた明治維新以来の侵略戦争が原因です。一切の責任は国家にあります。国は実態をただちに調査し「日本兵のPTSDと連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」の解決に当たるべきです。

4.2023年~大きく前進しました。活動の輪が広がりました。

・「平和遺族会」会員の講演をきっかけに平和遺族会と「家族会・市民の会」の交流会を開催、遺族会ニュース発送のお手伝いをしています。東京都遺族霊苑で定例会を隔月で開催しています。

・「戦争と性」谷口和憲さん講演をオンライン含めて2回開催。継続して学習会を予定しています。

・中国帰国者支援・交流センター(中国残留孤児)の語り部の方が「家族会・市民の会」定例会に継続して参加。中国帰国者支援・交流センター職員を講師に学習会を開催。語り部のお話しを聞く会を10月に予定しています。

5.日中口述歴史・文化研究会(李素楨常務副会長)の橋渡しで長春師範

大学日中口述歴史文化研究院訪問団と国際民間交流会を開催しました。

・中国、朝鮮半島、アジアにはPTSDを発症した日本兵とその家族の10

倍以上の1千万人以上の人たちが、PTSDを発症し、今なお苦しんでいて連鎖し続いているのは確実です。

20231119日、日中国際民間交流会ではオンライン含めて30人を越える皆さんが集いま

した。黒井秋夫が、父親たちの戦争責任と正面から向き合い、戦争をしない社会をめざす会の活

動目的をお話しし、中国の人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した父や祖父の所業を子

孫として謝罪しました。「家族会・市民の会」の仲間6人も謝罪と各人の思いをお話ししました。

・「家族会・市民の会」は5人が2024912日~17日中国(長春師

範大学でお話しし黒井秋夫の父日本軍兵士黒井慶次郎の初任地・公主嶺では中学生にお話しします)を訪問し市民交流を深めます。

*祖父、父親たち日本軍兵士の殺人、財産収奪などの蛮行を中国の人たちに謝罪します。50年後、100年後、200年後の子孫の世代には平和と和解の日中友好の絆が結ばれるよう全力を尽くします。

・日本が始めた戦争は2千万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を日本

兵は奪いました。そのため、特に主な戦場となったアジアで、日本軍に襲われた人たちの子孫の多くが今現在もPTSDに苦しんでいることは確実です。PTSDを発症した日本兵と私たち家族の10倍以上の1千万人以上の人たちが、今もなお苦しんでいる、連鎖して続いていることも確実だと私たちは推測します。

・「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の白旗を日本と対岸の中国で、アジア各地で、世界中の市民が掲げましょう!と呼びかけてきます。戦争をしない世界の市民の輪を作り広げる活動を呼びかけてきます。

6.「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」として組織改編し20231029日立上げました。「PTSDの日本兵家族会」と「寄り添う市民の会」それぞれの役割と関係を明確にしました。

・「家族会・市民の会」のような平和運動体は日本の平和運動でかつて例を見ません。

私たちは前例のない、お手本のない新しい形と理念の活動を作り出しつつあります。

だから、間違うことも当然だし、右往左往し迷うことも仕方ない事です。

「家族会・市民の会」がそのことを理解して一喜一憂せずに粘り強く議論し、一致点を見いだし、諦めず活動を積み重ねて進めていくことが重要です。

・「家族会・市民の会」の中心は「PTSDの日本兵家族会」です。

PTSDの兵士だった祖父や父親の影響を受けて未だにほとんどのメンバーは心の傷の苦しみを抱えて生きています。長い間、祖父や父親の行動を戦争が原因のPTSDと気づくことができず、家族の恥、家族の問題として口外できず社会に隠してきました。精神の病気に偏見が存在する現在の社会では声を上げることは簡単ではありません。

・「家族会・市民の会」の活動が広がり、PTSDの兵士と家族の問題への理解と認識が社会に浸透していけば「家族の会」の潜在する該当者が声を上げやすい雰囲気が作られます。メディアの報道の広がりも声を上げやすい社会の雰囲気づくりを促進しています。

・「市民の会」は「家族の会」の潜在する該当者が声を上げやすい社会づくりを進める活動家集団であることが望まれます。

・「市民の会」はともすれば不安定な精神状態を抱える「家族会」に寄り添い、包んで支える「市民の会」をめざすことがその存在意義と言えます。

・「家族会」と「市民の会」が互いを理解し合い、寄り添い、協力しあい進むことが重要です。

7.「家族会・市民の会」は個人を尊重した運営をめざします。

定例会、オンライン読書会、証言集会はどの会も誰でもWelcome、一回だけの参加もWelcomeです。スケジュールを紹介します。

・家族会・寄り添う市民の会は一人ひとりを尊重した優しい運営をいたします。

・自分と違う意見やお話しでも最後まで聞く。人の話を途中でさえぎらない。大きな声を出さない

(威嚇するような言い方はしない)。誰にも何も強制されない、という簡単なルールで個人を尊重する運営を心がけています。定例会など一回限りの参加も歓迎します。その後も無理をせず都合良い時にお出で下さい。

それでも、いざという時には大きな力を発揮する温かく頼りになる「家族会・寄り添う市民の会」をめざします!

8.戦争のない世界をめざしましょう。「戦争はしません 白旗を掲げま

しょう 話しあい和解しましょう」の白旗をアジア、オセアニア、世界に広げましょう。

*以下は黒井秋夫の訴えとして2024年9月8日

・戦争が世界を席巻しています。

戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。

戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重はどうでしょうか。

そもそも戦争することは誰がどこで決めているのでしょうか。国会で決まるのでしょうか。あるいは首長や集団の長の意思で、あるいは集団の多数の意見で戦争開始が決まるのでしょうか。

戦場の兵士は志願兵でしょうか。強制されていないでしょうか。本人の自由意志でしょうか。

私たちは個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で

兵士の道を選ぶことは尊重します。

・しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、集団の決定に強制されて兵士にされることは絶対に受け入れられません。真っ向から反対します。支持できません。

個人の自由意思はどんな場合でも尊重されるべきだし、民主主義の根本条件と思います。

戦争のない世界を戦争で作り出すことはできません。戦争は正義や道理の側が勝つわけではありません。負けたに側にも掲げた正義や道理が必ずあります。

負けてその時は服従しても時が経てば引き下げた正義や道理は息を吹き返すでしょう。

戦争では問題を解決できないのです。

・「戦争のない世界」はどのように実現するでしょうか。

それは「戦争のない世界」をめざす人々が多数になって初めて実現するでしょう。

「戦争のない世界」をめざす道筋に戦争は必要ありません。暴力は不必要です。

「戦争のない世界」をめざす行動は初めから最後まで戦争や暴力と無縁でなければなりません。

戦争や暴力を少しでも肯定すること、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。

・「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現するでしょう。それは遠い夢物語でしょうか。ありえない事でしょうか。

戦争や暴力に優れた者たちの正義や道理がこの先100年も続いたら人類は核戦争を回避し生き残れるでしょうか。

・戦争のない世界をめざしましょう!

2020年から私たちは「戦争をしない意思として白旗を掲げましょう」とHPなどで呼びかけています。2024年初めからは白旗を作成し普及を始めています。202453日の憲法集会では東京と大阪会場で白旗を掲げたら、多くの共感が寄せられて、いま白旗は全国に広がっています。

・白旗は日本にとどまらず「戦争をしない市民の旗印」としてアジアから世界中に広げましょうという声が、在日アジア人の人たちから上がっています。

近い将来に、国境の向こうに白旗が掲げられる日が来るでしょう。

それを見て日本に住む人たちはどうするでしょうか。

戦争は私もするつもりはない、急いで白旗を準備するでしょうか。

自衛権は放棄しない。だから白旗は掲げない、そうするでしょうか。

「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話し合い和解しましょう」とする「家族会・市民の会」の月刊ニュースは中国に韓国にアメリカの読者にも届いています。

日本で白旗を掲げる人たちがいるというニュースは更にその友人たちを介して拡散しているかもしれません。

いつか国境の向こうでも私たちに呼応して「私たちも戦争はしない」という意思表示に白旗を掲げる人たちが必ず現れるでしょう。

そのようにして戦争をしない世界に近づいて行く。私たちはそう確信しています。

9.PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処・子ども図書室の来

館者が3000人を越えました!

 

■2024年中間会計報告(8月31日現在)

202411日の繰越金486.301

・入金合計1,330.962円(中国カンパ586.520円、講演料154.000円、カンパその他590.442円)

・費用合計 956.455

・9月繰越 698.797

行事予定 

1回だけの参加もWelcome大歓迎いたします!

・どなたでも参加できます。発言を保障します。

 

912日(木)~17日(火)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会中国訪問。

・長春師範大学、黒井慶次郎初任地・公主嶺などを訪問。黒井秋夫がスピーチを予定。

919日(木)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

921日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。

923日(勤労感謝の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館

928日(土)松戸市小松原9条の会で黒井秋夫が講演

10月 4日(金)埼玉県の大学の授業で黒井秋夫が講演

1014日(体育の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京 オリンピックセンター

 中国帰国者支援・交流センター(中国残留孤児)語り部のお話し会 オンラインOK

1019日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館

1022日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

 東京保険生協で黒井秋夫が講演、1031日、118日、1119日も講演。

1110日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。

 平和遺族会会員の講演 オンラインOK

1116日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館中会議室

1119日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

1124日(日)広島市で黒井秋夫が講演

9.「家族会・市民の会」がお薦めしている書籍を紹介します。

PTSDの日本兵の家族の思いと願い              1200

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会編・あけび書房)

*戦争とトラウマ(中村江里・吉川弘文館)            4600

*現代の理論(現代の理論・社会フォーラム発行 同時代社)    1200

*いま語るべき日中戦争(日中口述歴史・文化研究会編 同時代社) 3000

*日中戦争への旅、加害の歴史・被害の歴史(宮内陽子・合同出版) 1600

*悼むひと(遠藤美幸・生きのびるブックス)           2300

*戦争と性 日本兵の戦場体験を受けとめる さらなる「非戦」のために

「戦争と性」編集室                       1600

*世界9月号(岩波書店)特集2 言えない傷、終わらない戦争   1045

 

*「戦争はしません 話し合い和解しましょう」の白旗     11000                      

 

 

)           2300

*戦争と性 日本兵の戦場体験を受けとめる さらなる「非戦」のために

「戦争と性」編集室                       1600

*世界9月号(岩波書店)特集2 言えない傷、終わらない戦争   1045

*「戦争はしません 話し合い和解しましょう」の白旗     11000                      

*リーフレット(家族会・市民の会活動紹介用)名刺代わり配布1001000        

中国・長春師範大学と公主嶺を訪問いたしました(9月12日~17日)黒井秋夫の挨拶を公開いたします。

 

元日本兵・父黒井慶次郎の中国人民への侵略と蛮行を心から謝罪いたします。50年後、100年後、200年後の子孫の世代には平和と和解の日中友好の絆が結ばれるよう全力を尽くします。(素案)

2024913

1.日本兵の父親の蛮行を皆さんに謝罪いたします。

私は「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の代表黒井秋夫と申します。

長春師範大学の皆さんにご挨拶申し上げることができることを心からうれしく思います。

PTSDの日本兵家族会」のメンバーは父親が日本軍兵士として中国を始め東南アジア戦線に従軍侵略し、その地の多くの人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した兵士の子ども、孫です。

日本軍兵士として従軍した戦争加害者の父親の蛮行を長春師範大学の皆さんに私は心からの謝罪をいたします。人間として許されない鬼の所業でした。本当に申し訳ありませんでした。

私は日本人として二度と戦争はしないし、二度と銃は取らないし、戦争をしない日本を目指す決意であることを表明いたします。

また、今は困難であろうとも、50年後、100年後、200年後の子孫の世代には平和と和解の日中友好の絆が結ばれるよう全力を尽くす覚悟であることを表明いたします。

 

2.父の初任地は吉林省公主嶺です。父が属した独立守備隊の残虐行為。

私・黒井秋夫の父、黒井慶次郎は191239日に小作農民の9人兄弟の9番目に生まれました。193220歳で招集され吉林省公主嶺が初任地で独立守備隊歩兵第一大隊第3中隊に配属されました。父の軍隊時代のアルバムのメモによれば、独立守備隊は、日本が「匪賊」と呼んだ中国の農民兵やそこに生活する人たちを襲い、命を奪い、財産を奪い、生活を破壊する残虐な作戦に従事しました。その後2年間、父は黒竜江省に転戦して1934年に上等兵に昇進して一旦帰国しました。その後1941年に再徴集され中国東北地方(旧満州)や長江流域で中国軍とたたかいました。1945年には軍曹に昇進し最終的には宜昌付近で15人前後の部下を持ち戦闘を指揮していたと思われます。

*明日14日、父の初任地、公主嶺に参ります。公主嶺の皆さんに父慶次郎の決して許されない蛮行を市民の皆さんに謝罪いたします。

また、明日は公主嶺の中学生の皆さんにお話しいたします。私は日本で小学生、中学生、高校生や大学生に授業でお話ししています。私の話しを聞いて、「戦争はしてはいけない」「戦争のない世界にするためにがんばりたい」と日本の中学生が書いた感想を中国の中学生の皆さんに伝えます。

*零下を下ること30余度、時々蒙古嵐まで襲うて身を切るような風、我討伐隊は進む。右は父。

中国人を銃剣で突き殺す日本兵。戦争は人を殺すこと。父が所属した関東軍、独立守備隊は人殺しに慣れさせるために刺突訓練をした。下は「日本の侵略:中国朝鮮(ほるぷ出版)」より。

*黒井慶次郎の初任地、公主嶺では米を食べた罰として生きている中国人を軍犬小屋に餌として放置したと公主嶺出身の李素楨さん(日中口述歴史文化研究会常務副会長)は子どもの頃に聞いたと証言しています。下は李素楨さん直筆の黒井に届いた手紙の一部。

・黒井慶次郎は戦争が終わり、人間の心を失った兵士から本来の自分に帰ろうとしたときに刺突訓練や「軍犬小屋で生きた中国人を餌にした」ことなど多くの中国人を殺害した戦争体験がトラウマとなり心を苦しめ戦争PTSD(戦争神経症)を発症したと考えられます。

3,PTSD戦争神経症を発症した父・黒井慶次郎

父は19466月に34才で日本に帰国し、その2年後に私は黒井慶次郎の次男として生まれました。父は、私が幼い頃から一度も定職に就くことなく、周囲との付き合いもなく、言葉を発することさえほとんどない暗い笑顔のない人間でした。父が定職に就かないため、一家は貧しい暮らしを強いられました。さらに、父は1人で何かを行うことを極端に怖がり、病院に行くことさえも母を伴わないとできない人間でした。

子どもの頃から黒井秋夫は、この普通ではない状態の父親のせいで貧乏なくらしをさせられて、働かない無気力な父親の姿を見て、次第に父親に反感を募らせていきました。

一家の主としても、父親としても失格だし、尊敬とは真逆でこういう男には絶対になるまい、家族に貧乏を強いるような人間には絶対なるまいと思い大人になりました。

そして異常な父親のことや家族の貧しい生活の事は周りの人には言えず隠し生きていました。

 

4.戦争中、日本軍はPTSD戦争神経症の日本兵の存在を日本社会に隠しました

アジア・太平洋戦争中の1938年に国府台陸軍病院が戦争神経症の専門病院として秘密裏に作られました。最後の病院長諏訪敬三郎は関係者に「陸軍病院の目的や研究実態を50年間は口外してはならない」とかん口令を敷きました。関係者が口をつぐんだために国府台陸軍病院の実態は未だに不明確なままです。

国と日本軍は「軍隊の士気退廃、国民精神の堕落である心因性の神経症は皇軍には存在しない」と

軍医たちに噓を言わせ、「PTSDの日本兵の存在」を日本社会に隠しました。そのため、ほとんどの日本人はPTSD戦争神経症を発症した日本軍兵士がいることを今も知りません。

1939年、1943年の読売新聞

 

5.830万人日本兵の20%50%300万人がPTSD(戦争神経症)を発症した。

2018年、PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会(現在はPTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を結成しました

・米軍資料では概ね20%50%の帰還米兵がPTSDを発症しています。アジア太平洋戦争に従軍し

た日本兵830万人から類推して300万人前後の日本兵がPTSDを発症したと私たちは考えています。

父親たち日本軍兵士はPTSDを発症し、トラウマに終生苦しみ、自殺したり、家族に暴力を振るったり、アルコール依存症になったり、無気力症状で労働ができませんでした。その子どもたちも父親から受けた暴力などの影響で今現在もトラウマティックストレスに苦しみ、推測100万人以上が社会生活に支障がある60歳代、70歳代、80歳代の子どもたちが存在することを社会に知ってもらい、戦争のない世界を作るために私たちは「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を結成して活動しています。

*「PTSDの日本兵と家族の交流館・子ども図書室」2020510日開館。

私は2015年に前立腺ガンを患い、手術後の2019年再発し放射線治療をし、201912月心房頻拍で手術を受ける(20226月、期外収縮で手術受ける)などして自分が健康なうちに「語り合う会」を形に残したいと2020510日に「PTSDの日本兵と家族の交流館」を開館し、20246月現在、開館以来約2800人の皆さんに来館いただいています。

6.李素楨さんとの出会いと交流 中国師範大学の皆さんとの交流始まる

*李素楨さん(日中口述歴史文化研究会常務副会長)と出会い、父の侵略行為を謝罪しました

2020823日、交流館に訪れた李素楨さんが吉林省公主嶺出身と聞いて驚愕しました。従軍した父親の初任地が公主嶺なのです。父親の引き合わせと直感し私は李素楨さんに「あなたのご両親、村の人たちに父親がなした殺害など非道な行為と多大なご迷惑を息子として心からお詫びします。申し訳ありませんでした。と謝罪しました。李素楨さんは私の手を握り「日中友好、日中友好!」と返してくださいました。その後、次のようなメールが届きました。

*李素楨さんから届いたメール
『あの戦争は指導者の責任だと思っています。お父様は普通の庶民として、戦場に行かされたのであって、お父様の責任とはいえません。お父様は加害者であったけれども、被害者でもありました。国境や民族を超えて、平和な社会を作るために、お互いに協力し、頑張って行きましょう』

*長春師範大学口述文化研究院日本訪問団と「家族会・市民の会」との日中国際民間交流会が20231119日、PTSDの日本兵と家族の交流館で開催され、黒井と会員が日本軍の侵略行為を謝罪しました。

20231119日、黒井は会の代表として以下のような挨拶をいたしました。

PTSDの日本兵家族会」は日本軍兵士として中国を始め東南アジア戦線に従軍侵略し、その地

の人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した兵士の子ども、孫です。

戦争加害者の父親、祖父の蛮行を長春師範大学の皆さんに心から謝罪いたします。本当に申し訳ありませんでした。私たちは二度と戦争はしませんとお誓いいたします。

アジアでは現在1千万人以上の人たちがPTSDを発症し苦しんでいると推測しています。

日本が始めた戦争は2千万人~3000万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を私たちの父親・日本兵は奪いました。中国、朝鮮半島、アジアには日本兵に襲撃された恐怖のトラウマが原因で1千万人以上の人たち(日本の発症者の10倍以上)がPTSDを発症して、連鎖し今もなお苦しんでいるのではないかと私たちは推測しています。日本軍兵士の侵略行為は本当に罪深いとしか言いようがありません。

20231119日、日中国際民間交流会の集合写真

7,2023年、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う関西市民の会」が発足し、20246月「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会ちば」が立ち上がり「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」が全国に広がっています。

PTSDを発症した日本兵の家族は推定300万人が全国に存在します。私たちは元兵士の自殺や暴

力に苦しみました。更に元兵士の孫世代に連鎖してトラウマティック・ストレスの苦しみは続いています。

・未だ埋もれている「声を上げられないPTSDの兵士の家族」が声を上げやすい状況を作るために

証言集会や講演会を開催して「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を全国に組織を拡大

をめざしています。

8,メディアに継続して報道され認識と共感の輪が広がっています

NHKやNNNなどのテレビ放送、YBC山形放送、文化放送などのラジオ放送、朝日新聞、毎日新聞など日本の3大全国紙はじめ地方新聞含めて40紙以上がPTSD戦争神経症の日本軍兵士と家族の存在の問題の報道を続けています。

報道により「日本兵の戦争神経症(PTSD)と連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」への認識が広がり「私の父も・祖父もPTSDの兵士だった」という声を上げる人が増えています。

👆2023815日敗戦記念の日、

朝日新聞1面トップで報道されました。

👆2024820日、毎日新聞で

PTSD家族会、国を動かす」と報道されました。

9,戦争PTSDを子どもたち、青年たちに語り継いでいます。伝わります。

私たちは次の世代の子どもたち、若い人たちに「戦争のない世界をめざしましょう」と伝える活動を続けています。そして私たちの訴えは子どもたち、若い人たちに確実に伝わっています。

 

左・東京の中学校でお話ししました 右・東京の学童クラブでお話ししました

 

10,20233月、PTSDの日本兵の存在と暮らした家族に続いている苦しみの連鎖」の問題を衆議院社会労働委員会で国会史上初めて宮本徹議員が取り上げ、加藤勝信厚労大臣はしょうけい館で語り継ぐことと調査を約束しました。

日本軍兵士のPTSD含めその原因は日本が始めた明治維新以来の侵略戦争が原因です。一切の責任は日本国家にあります。国は実態をただちに調査し「日本兵のPTSDと連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」の解決に当たるべきです。

11,「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話し合い和解しましょう」の白旗を掲げる活動を日本全国に広げています。戦争のない世界、暴力で物事を解決しない、一人ひとりが尊重される、誰もが安心して暮らせる平和な社会」をめざします。世界中で「戦争はしません」の白旗を掲げあう活動を広げます。

・「戦争のない世界をめざしましょう!」

2020年から私たちは「戦争をしない意思として白旗を掲げましょう」とホームページなどで呼びかけを始めて、2024年からは白旗を作成し普及する活動を続けています。

この活動が共感を呼び広がり、いつの日か世界中で、海を越え、国境の向こうで、私たちに呼応して「私たちも戦争はしない」という意思表示に白旗を掲げる人たちが必ず現れるでしょう。

そのようにして戦争をしない世界に近づいて行く。私はそう確信しています。

*市民が集会会場で白旗を掲げています

*労働組合(全印総連東京地本)が大会で白旗を掲げています。

PTSDの日本兵と家族の交流館は白旗を掲げています

*市民も自宅に白旗を掲げています

日中両国人民の平和友好万歳!

 

以上

2024年9月4日(水)
毎日新聞が社説で『元兵士のトラウマ調査 戦争の非道さ知る一助に』と「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の活動と主張を後押しする社説を出しました。
社説を読み黒井秋夫は感動で涙が出ました。力をいただきました。私たちは勇気を出して、仲間たちと手を携えて前進します。皆さん!よろしくお願いいたします。
厚労省としょうけい館にはぜひ、この声に応えていただきたいと思います。
毎日新聞社説を多くの皆さんに拡散いただきたいです。
皆さんのご支援が活動の力になります。よろしくお願いいたします。

来館者

3000人突破!

PTSDの日本兵と家族の交流館の来館者が95日(木)に来館者13人を迎えて3008人となり2020510日の開館以来の来館者が3000人を突破しました。

皆さんに支えていただいたおかげです。

 

これからもよろしくお願いいたします。

2024年8月20日(火)
毎日新聞が今朝の1面、3面で肥沼直寛記者の記事を掲載しました。
「国は戦争トラウマ調査へ」の1面記事の最後の段で「厚労省は調査対象について、戦時中に戦傷病者に限るとしている。家族が最近になって気付くケースは調査の対象外となる」がその通りなら全く受け入れられません。
それは昨年、国会で加藤克信厚労省大臣の答弁「戦傷病者とその家族が戦中戦後に体験した労苦を次の世代に伝えていくためにも大事だ」に反します。
3面記事最終段にあるように「今でも戦争が原因で苦しんでいる子ども世代がいる。無念のまま亡くなった父のような姿をきちんと調べ、後世に残してほしい。それが国としての責任だ」と強く主張し、国会質問していただいた宮本徹議員などと国へ働きかけを強めていきたいと思います。
それでも、私たちが声をあげたことで重い扉をこじ開けました。
PTSD家族会、寄り添う市民の会を更に広げて多くの皆さんの支援を広げて「調査対象を戦後に広げる」よう立ちはだかる壁を越えて行きましょう‼️
ジーンシャープ「独裁体制から民主主義へ」読書会
2024年9月19日(木)19:00~21:00
・参加者は自己紹介をします。8月の参加者は6名でした。
・4章を1人が音読します。参加者は聞いています。
・音読が終わったら意見交換をいたします。
・全員が発言します。時々その時の政治話題などの話しになった
り脱線することがあります。和気あいあい進めています。
*当会は下記のような運営をしています。読書会も同じように運営いたします。
★「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は一人ひとりを尊重した優しい運営をいたします。
*自分と違う意見やお話しでも最後まで聞く。人の話を途中でさえぎらない。大きな声を出さない(威嚇するような言い方はしない)。誰にも何も強制されない。という簡単なルールで個人を尊重する運営を心がけています。定例会など一回限りの参加も歓迎します。その後も無理をせず都合良い時にお出で下さい。それでも、いざという時には大きな力を発揮する温かく頼りになる「家族会・寄り添う市民の会」をめざします!
西東京市の方から吉沢智子さん(PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会)の白旗の作品を見て(第71回平和美術展、東京都美術館)うれしくなったと撮影した作品を添えてメールが黒井に届きました。
9月8日の「PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会」にも参加するとのことです。
13日には白旗をお二人にお送りしました。
お一人は福井県のお寺の住職さんです。お寺に掲げたいとのことです!少しずつ少しずつですが白旗が広がっています。
★岩波書店「世界9月号」で藤岡美千代さんと黒井秋夫の対談が掲載されます。
★世界9月号より
【特集2】癒えない傷、終わらない戦争
 戦闘が止む――まずはそこに漕ぎつけるまでの困難がある。だが、戦争はそこで終わらない。
 80年前、精神を病んだ元日本兵たちの苦しみは、自身や妻、子らに向けられ、世代をこえ伝播した。戦争が人間の何をどのように破壊したのか。家族たちの気づきと証言により、いまようやく像を結びつつある。
 国家間のみならず「テロとの戦争」が広がるなか、巻き込まれるのは兵士だけではない。社会の荒廃と人間の破壊が、まさにいまも進む。
 この事態を食い止める叡智を求め、戦争がもたらす長期的な影響を直視する。
❤NHKラジオ深夜便で8月13日(火)早朝4時台で黒井秋夫がインタビュー形式でお話しいたします。
どうぞお聞きください!
★8月12日(月)~13日(火)アンカー 中川緑
……… 天気概況・各地の天気と予想気温 ━━━━━━━━━━━━8月13日・午前4時台 ニュース …………………… 〔戦争平和インタビューシリーズ〕
*親父の苦しみを背負って ~戦争によるPTSD~
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」代表 黒井秋夫 きき手:山田真夕アナ(山形局) …………

 

202489日(金)東京都西東京市の小学校の学童クラブで「平和のお話し」をしました。ここでお話しするのは3年連続です。

1時間、1年生から4年生の80人の子どもたちが聞いてくれました。5年生になるとクラブを卒業するので1年生の子どもは来年は4年間私の話しを聞くことになります。

3年目の昨日のメインは「戦争をやめた人たち」という絵本の読み聞かせです。

第一次世界大戦さ中の1914年、ドイツ軍とイギリス軍の兵士たちが1224日のクリスマスイブの夜、戦場の塹壕を挟んで対峙していましたが、「清しこの夜」を歌い合い、やがて互いが塹壕を出て交流し、戦争の代わりにサッカーをしたそうです。

その後に戦争は再開されたが、戦闘開始命令が出ても互いに相手に当たらないように銃をわざとそらせて打ったという実話をもとにしたお話しです。

子どもたちはしっかり聞いてくれました。

なお、この本は横須賀でタクシードライバーをしている市原和彦さんからいただいた絵本の中の一冊です。市原さんは2022年夏から毎月毎月、交流館の子どもたちに読んでほしいと絵本をお送りいただいています。本が名ぶ一角に「市原和彦文庫コーナー」を作るまでになりました。本当に感謝しています。

 

絵本の読み聞かせの他、ガザで始まった戦争や、日本から始めた明治維新以来の日本の戦争の歴史の振り返り、黒井秋夫の父・慶次郎がなぜPTSDを発症したのかなどお話ししました。

また、交流館で展示している日本軍が使用した銃弾や陶製の手榴弾、軍服なども子どもたちが触ったり、着て見たりしてもらいました。

 

「戦争をしても何も良いことは何もないのにどうして戦争をするのか分からない」という声がたくさん上がりました。

毎年、何をお話ししようか頭を悩ませていますが、子どもたちの素直な反応にはいつも驚かされます。元気をもらいます。

 

とても楽しい1時間でした。

★毎日新聞大阪版2024年8月2日(金)でPTSDの日本兵の家族の思いと願い関西証言集会が次の見出しで報道されました。
『行っても還っても地獄 PTSDに苦しんだ元兵士 大阪・北区 遺族ら証言集会 戦争の爪痕、次世代にも』
会に大阪在住のお二人の方から「従軍した私の父親もPTSDだったのではないか」という電話がありました。PTSDの関西家族会に繋ぎました。
毎日新聞
2024/8/2 地方版

「戦争と性35号」をお薦めします。

1600円(+送料180円)でお送りできます。

藤岡美千代さん(1959年生まれ)の「砂の家族・生きる希望

 を奪われた父の戦争とは」に、戦争の恐ろしさ、底知れない暗

 闇、人の思いも人生も破壊し、家族に連鎖する帰還兵の

 PTSDの凄まじさを突き付ける藤岡さんの手記に黒井は衝撃

 を受けています。皆さんの戦争観、人生観もきっと変わるでし

 ょう。

 

*藤岡さんの父親はシベリア抑留後帰還した日本軍兵士です。

 子どもたちへの暴力、酩酊しては藤岡さんの小学校に押し掛け

 る、ガス栓を開ける度重なる心中未遂、幼い藤岡さんへの性的

 虐待、そして47歳で首をくくり自殺する。

・藤岡さんは母のくびきから逃れ、アルバイトをしながら短大を

 卒業保育士になる。ある日、結婚して生まれた幼い娘が自分を 

 求める声に「うるさい!」とドアまで突き飛ばしてしまう。リストカットも繰り返す。藤岡さん

は気付きます「父親と同じことをしている!」、、、、、、、。

・そしてたどり着いた思いと景色、思いとは、、、、。

藤岡さんの手記の見出しは以下の通り。

・父のちゃぶ台返し

・心中ごっこ

・花房先生との出会い

・学校ヘ行っても

・新しい家の引っ越しと妹が消えた

・父の姿のギャップ

・錯乱の父

・誰もちゃんと教えてくれなかった

・父を拒む

・家庭裁判所へ

・もう一人のみちよちゃん

・性虐待の連鎖

・読書は明日への希望

・父の死の真相

・気づき

・多くの学びのなかで

・やっと繋がった父と戦争と私

1枚のチラシと黒井さんとの出会い

・父の軍歴から戦争を読み取る

・父が見た風景は

・終戦後の捕虜、シベリア抑留

・戦争を許さないことが父娘の悲願

 

 

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会のリーフレットお送りします!

★配布いただければ1枚でも10枚でも100枚でも何枚でもお送りいたします。

★お届け先住所、電話番号などお知らせください。

 

*申し込み先qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp(黒井秋夫)

行事予定 1回だけの参加もWelcome大歓迎いたします!どなたでも参加できます。発言を保障します。

720日(土)平和のための京都戦争展 藤岡美千代さん講演 中村江里さん講演

7月21日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 遺族霊苑

・白崎朝子さん講演 現代の理論編集者 オンラインOK

7月23日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

89日(金)西東京市学童クラブで子どもたちに黒井秋夫がお話しします。

813日(火)NHKラジオ深夜便 黒井秋夫がお話しします。

818日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 生野区民センター206

820日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

821日(水)東京代々木病院で黒井秋夫がお話しします。

822日(木)船橋市勤労市民センターで黒井秋夫講演

823日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

825日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 オリンピック記念センター

831日(土)わかやま市民生協で黒井秋夫がお話しします。

91日(日)流山市平和のための戦争展、吉沢智子さん講演

98日(日)PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会東京

・オリンピック記念センター 10:0016:00 オンラインOK

912日(木)~17日(火)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会中国訪問。

・長春師範大学、黒井慶次郎初任地・公主嶺などを訪問。黒井秋夫がスピーチを予定。

919日(木)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

921日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。

923日(勤労感謝の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館

928日(土)松戸市小金原9条の会で黒井秋夫がお話しします

10月 4日(金)埼玉県の大学の授業で黒井秋夫が授業を受け持ちます

1014日(体育の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京 オリンピックセンター

 中国帰国者支援・交流センター(中国残留孤児)語り部のお話し会 オンラインOK

1019日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館

1022日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

1110日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。

 平和遺族会会員の講演 オンラインOK

1116日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館中会議室

 

1119日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

PTSDの日本兵と家族の思いと願い関西証言集会・基調報告

2024630日 

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・代表 黒井秋夫

1.2023年~大きく前進しました。メディアの報道広がる

・朝日新聞、2023815日(敗戦の日)以来「戦争トラウマ」現在も連載中。

YBC山形放送「でくのぼう~戦争とPTSD」ギャラクシー賞選奨受賞

・NNNドキュメント「でくのぼう~戦争とPTSD」全国放送

・ビックイシュー20238月号「知らなかった戦争PTSD」特集

・現代の理論2024年春号「戦争トラウマの封印を解く」特集

・診療研究(東京保険医協会)20241月号「戦争とPTSD」特集

 精神科医が戦争が原因の神経症に初めて気づく。

2.2023年~大きく前進しました

関西と千葉県で「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」が発足し

ました。証言集会を開催(ちばは11月に予定)。

・全国に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会*以下「家族会・市民の会」と記します」、PTSD

の日本兵と家族の思いと願い証言集会を広げます。

3.2023年~大きく前進しました。20233月、PTSDの日本兵と家族の問題が国会(衆議院社会労働委員会)で取り上げられ、厚労大臣は実態調査を約束。「家族会・市民の会」は厚労省との初めての会合の席で「PTSDの兵士の存在と連鎖し苦しんでいる家族の調査」を要望。しょうけい館で戦争神経症の兵士の展示を開始しました。

YBC山形放送が20233月、20246月に放送。朝日新聞、赤旗が報道しました。

・日本兵のPTSDの問題は過去のできごとではありません。暴力の連鎖は家族間の虐待として連鎖

して今でも多くの人たちが苦しんでいます。

日本軍兵士のPTSD含めその原因は日本が始めた明治維新以来の侵略戦争が原因です。一切の責任は国家にあります。国は実態をただちに調査し「日本兵のPTSDと連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」の解決に当たるべきです。

4.2023年~大きく前進しました。活動の輪が広がりました。

・「平和遺族会」会員の講演をきっかけに平和遺族会と「家族会・市民の会」の交流会を開催、遺族会ニュース発送のお手伝いをしています。東京都遺族霊苑で定例会を隔月で開催しています。

・「戦争と性」谷口和憲さん講演をオンライン含めて2回開催。継続して学習会を予定しています。

・中国帰国者支援・交流センター(中国残留孤児)の語り部の方が「家族会・市民の会」定例会に継続して参加。中国帰国者支援・交流センター職員を講師に学習会を開催。語り部のお話しを聞く会を10月に予定しています。

5.日中口述歴史・文化研究会(李素楨常務副会長)の橋渡しで長春師範

大学日中口述歴史文化研究院訪問団と国際民間交流会を開催しました。

・中国、朝鮮半島、アジアにはPTSDを発症した日本兵とその家族の10

倍以上の1千万人以上の人たちが、PTSDを発症し、今なお苦しんでいて連鎖し続いているのは確実です。

20231119日、日中国際民間交流会ではオンライン含めて30人を越える皆さんが集いま

した。黒井秋夫が、父親たちの戦争責任と正面から向き合い、戦争をしない社会をめざす会の活

動目的をお話しし、中国の人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した父や祖父の所業を子

孫として謝罪しました。「家族会・市民の会」の仲間6人も謝罪と各人の思いをお話ししました。

・「家族会・市民の会」は5人が2024912~17日中国(長春師

範大学と黒井秋夫の父慶次郎の兵士としての初任地、公主嶺)を訪問し市民交流を深めます。祖父、父親たち日本軍兵士の殺人、財産収奪などの蛮行を中国の人たちに謝罪します。

・日本が始めた戦争は2千万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を日本

兵は奪いました。そのため、特に主な戦場となったアジアで、日本軍に襲われた人たちの子孫の多くが今現在もPTSDに苦しんでいることは確実です。PTSDを発症した日本兵と私たち家族の10倍以上の1千万人以上の人たちが、今もなお苦しんでいる、連鎖して続いていることも確実だと私たちは推測します。

・「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の白旗を日本と対岸の中国で、アジア各地で、世界中の市民が掲げましょう!と呼びかけてきます。戦争をしない世界の市民の輪を作り広げる活動を呼びかけてきます。

6.「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」として組織改編し20231029日立上げました。「PTSDの日本兵家族会」と「寄り添う市民の会」それぞれの役割と関係を明確にしました。

・「家族会・市民の会」のような平和運動体は日本の平和運動でかつて例を見ません。

私たちは前例のない、お手本のない新しい形と理念の活動を作り出しつつあります。

だから、間違うことも当然だし、右往左往し迷うことも仕方ない事です。

「家族会・市民の会」がそのことを理解して一喜一憂せずに粘り強く議論し、一致点を見いだし、諦めず活動を積み重ねて進めていくことが重要です。

・「家族会・市民の会」の中心は「PTSDの日本兵家族会」です。

PTSDの兵士だった祖父や父親の影響を受けて未だにほとんどのメンバーは心の傷の苦しみを抱えて生きています。長い間、祖父や父親の行動を戦争が原因のPTSDと気づくことができず、家族の恥、家族の問題として口外できず社会に隠してきました。精神の病気に偏見が存在する現在の社会では声を上げることは簡単ではありません。

・「家族会・市民の会」の活動が広がり、PTSDの兵士と家族の問題への理解と認識が社会に浸透していけば「家族の会」の潜在する該当者が声を上げやすい雰囲気が作られます。メディアの報道の広がりも声を上げやすい社会の雰囲気づくりを促進しています。

・「市民の会」は「家族の会」の潜在する該当者が声を上げやすい社会づくりを進める活動家集団であることが望まれます。

・「市民の会」はともすれば不安定な精神状態を抱える「家族会」に寄り添い、包んで支える「市民の会」をめざすことがその存在意義と言えます。

・「家族会」と「市民の会」が互いを理解し合い、寄り添い、協力しあい進むことが重要です。

7.「家族会・市民の会」は個人を尊重した運営をめざします。

定例会、オンライン読書会、証言集会はどの会も誰でもWelcome、一回だけの参加もWelcomeです。スケジュールを紹介します。

・家族会・寄り添う市民の会は一人ひとりを尊重した優しい運営をいたします。

・自分と違う意見やお話しでも最後まで聞く。人の話を途中でさえぎらない。大きな声を出さない

(威嚇するような言い方はしない)。誰にも何も強制されない、という簡単なルールで個人を尊重する運営を心がけています。定例会など一回限りの参加も歓迎します。その後も無理をせず都合良い時にお出で下さい。

それでも、いざという時には大きな力を発揮する温かく頼りになる「家族会・寄り添う市民の会」をめざします!

8.戦争のない世界をめざしましょう。「戦争はしません 白旗を掲げま

しょう 話しあい和解しましょう」の白旗をアジア、オセアニア、世界に広げましょう。

*黒井秋夫の訴えとして2024630

・戦争が世界を席巻しています。

戦争を仕掛ける集団(国家)と対抗する集団がこの瞬間も殺し合いを続けています。

戦争することを決めた集団の意思と集団に属する個人の意思の尊重はどうでしょうか。

そもそも戦争することは誰がどこで決めているのでしょうか。国会で決まるのでしょうか。あるいは首長や集団の長の意思で、あるいは集団の多数の意見で戦争開始が決まるのでしょうか。

戦場の兵士は志願兵でしょうか。強制されていないでしょうか。本人の自由意志でしょうか。

私たちは個人が兵士になり戦場で殺し合いを選択することに賛成しませんが、本人の自由意思で

兵士の道を選ぶことは尊重します。

・しかし、ある個人が戦争をしたくないのに、集団の決定に強制されて兵士にされることは絶対に受け入れられません。真っ向から反対します。支持できません。

個人の自由意思はどんな場合でも尊重されるべきだし、民主主義の根本条件と思います。

戦争のない世界を戦争で作り出すことはできません。戦争は正義や道理の側が勝つわけではありません。負けたに側にも掲げた正義や道理が必ずあります。

負けてその時は服従しても時が経てば引き下げた正義や道理は息を吹き返すでしょう。

戦争では問題を解決できないのです。

・「戦争のない世界」はどのように実現するでしょうか。

それは「戦争のない世界」をめざす人々が多数になって初めて実現するでしょう。

「戦争のない世界」をめざす道筋に戦争は必要ありません。暴力は不必要です。

「戦争のない世界」をめざす行動は初めから最後まで戦争や暴力と無縁でなければなりません。

戦争や暴力を少しでも肯定すること、つまり、戦争をするどちらかに肩入れがあってはなりません。

・「戦争のない世界」をめざす人たちが、白旗を掲げる人たちが世界の多数になる時、「戦争のない世界」が実現するでしょう。それは遠い夢物語でしょうか。ありえない事でしょうか。

戦争や暴力に優れた者たちの正義や道理がこの先100年も続いたら人類は核戦争を回避し生き残れるでしょうか。

・戦争のない世界をめざしましょう!

2020年から私たちは「戦争をしない意思として白旗を掲げましょう」とHPなどで呼びかけています。2024年初めからは白旗を作成し普及を始めています。202453日の憲法集会では東京と大阪会場で白旗を掲げたら、多くの共感が寄せられて、いま白旗は全国に広がっています。

・白旗は日本にとどまらず「戦争をしない市民の旗印」としてアジアから世界中に広げましょうという声が、在日アジア人の人たちから上がっています。

近い将来に、国境の向こうに白旗が掲げられる日が来るでしょう。

それを見て日本に住む人たちはどうするでしょうか。

戦争は私もするつもりはない、急いで白旗を準備するでしょうか。

自衛権は放棄しない。だから白旗は掲げない、そうするでしょうか。

「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話し合い和解しましょう」とする「家族会・市民の会」の月刊ニュースは中国に韓国にアメリカの読者にも届いています。

日本で白旗を掲げる人たちがいるというニュースは更にその友人たちを介して拡散しているかもしれません。

いつか国境の向こうでも私たちに呼応して「私たちも戦争はしない」という意思表示に白旗を掲げる人たちが必ず現れるでしょう。

そのようにして戦争をしない世界に近づいて行く。私たちはそう確信しています。

行事予定 

1回だけの参加もWelcome大歓迎いたします!

・どなたでも参加できます。発言を保障します。

75日(金)立川市の総合病院の職員研修で黒井秋夫が講演

77日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 生野区民センター

7月21日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 遺族霊苑

・白崎朝子さん講演 現代の理論編集者 オンラインOK

7月23日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

818日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 生野区民センター206

820日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

822日(木)船橋市勤労市民センターで黒井秋夫講演

823日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

825日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 オリンピック記念センター

91日(日)流山市平和のための戦争展、吉沢智子さん講演

98日(日)PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会東京

・オリンピック記念センター 10:0016:00 オンラインOK

912日(木)~17日(火)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会中国訪問。

・長春師範大学、黒井慶次郎初任地・公主嶺などを訪問。黒井秋夫がスピーチを予定。

919日(木)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

921日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。

923日(勤労感謝の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館

10月 4日(金)埼玉県の大学の授業で黒井秋夫が講演

1014日(体育の日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京 オリンピックセンター

 中国帰国者支援・交流センター(中国残留孤児)語り部のお話し会 オンラインOK

1019日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館

1022日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

1110日(日)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会東京例会 東京都遺族霊苑。

 平和遺族会会員の講演 オンラインOK

1116日(土)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会関西例会 国労会館中会議室

1119日(火)ジーンシャープオンライン読書会 19:0021:00

 

 

9.「家族会・市民の会」がお薦めしている書籍を紹介します。

PTSDの日本兵の家族の思いと願い              1200

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会編・あけび書房)

*戦争とトラウマ(中村江里・吉川弘文館)            4600

*現代の理論(現代の理論・社会フォーラム発行 同時代社)    1200

*いま語るべき日中戦争(日中口述歴史・文化研究会編 同時代社) 3000

*日中戦争への旅、加害の歴史・被害の歴史(宮内陽子・合同出版) 1600

*悼むひと(遠藤美幸・生きのびるブックス)           2300

*戦争と性 日本兵の戦場体験を受けとめる さらなる「非戦」のために

「戦争と性」編集室                       1600

*「戦争はしません 話し合い和解しましょう」の白旗     11000                      

*リーフレット(家族会・市民の会活動紹介用)名刺代わり配布1001000                                     

10.朝日新聞「戦争トラウマ」紹介

21戦争トラウマ 連鎖する心の傷

悪夢、酒浸り、家族への暴力――。過酷な戦争体験からトラウマを抱え、後遺症に悩む旧日本兵たちの存在は置き去りにされてきました。ようやく語れるようになった子や孫の証言から、連鎖する心の傷の問題を考えます。

·        

6月2日、PTSDの日本兵家族会・

寄り添うちば市民の会 結成!!

東京、関西に次いで3か所目!38名が参加して結成!11月上旬に証言集会の開催(松戸市を予定)を準備します!

ゲスト:中村江里さん(上智大学教員)

 「元日本兵の PTSD と国府台陸軍病院の歴史」

■PTSDの日本兵の家族、二組が証言。約15人の懇親会で体験を

 語りあいました 。

PTSD の日本兵家族会・寄り添ちば市民の会

 

・連絡先:小薬祐子(090-1650-2653

     吉野信次(090-4606-9634

 

★吉野信次さんのラインより(6月3日)
・昨日、PTSDちばの会、黒井さんを始めとした関係者の皆さんからの支援をいただき立ち上げる事ができました。会場移動というハプニングがあったことが、かえって呼びかけが拡大できて成功させることができました。
さあ、ちばには続いて、新しい地域が名乗りを挙げられることを期待します。

 

千葉では、秋の証言集会に向けて各地で当事者の掘り起こしを始めます。
★2024年6月5日(水)
しんぶん赤旗首都圏版、朝日新聞千葉県版、東京新聞で報道されました!

PTSDの元兵士の家族に寄り添う会 戦争トラウマの影響知る機会に

写真・図版
集会で父親について話した後、手で顔をおおう女性=2024年6月2日午後4時3分、松戸市
  • 写真・図版
  • 写真・図版
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 太平洋戦争の戦地から戻った後、PTSD(心的外傷後ストレス障害)に苦しんだ元兵士の家族らを支援しようと、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会ちば」が設立された。

 「父は19歳でシベリア抑留を経験しました」

 2日、松戸市の稔台市民センターであった会の立ち上げ集会。戦地から復員した父親からの暴力について語る家族の話に、集まった約40人が耳を傾けた。

 アルコール依存や無気力、家族への暴力――。戦争で心に傷を負った元日本兵たちの姿を語り合う活動が近年、広がっている。2018年に東京都武蔵村山市の黒井秋夫さんが「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げたことに始まり、関西に次いで千葉は全国3番目になるという。

 この日の集会で講演した上智大の中村江里准教授によると、国内では1938年、国府台陸軍病院市川市)が精神神経疾患の治療のための特殊病院になり、終戦までに約1万人が入院。40年に傷痍軍人武蔵療養所(東京都小平市)が開所し、約950人が入所した。このほか、一般陸軍病院や民間精神科病院に入る人、自宅療養する人たちがいたという。

 中略(お買い求めいただきお読みください)

 おのを持った父親に追いかけられ、窓から飛び降りて逃げたこともあるという。そうした体験から、社会に出てからも「いつかこの人も豹変(ひょうへん)するのでは」と対人関係が困難に。そのうちほとんど起き上がることもできなくなり精神科に通った。

 女性は昨年、家族らの集会に参加。「ほかの家族の話を聞き、自分の父も戦争の犠牲者だと思えて、憎しみは消えた。私のように苦しんでいる人がいるなら、私も話そうと決めた」

 ★千葉の会は今秋、家族らの証言集会を開く予定。会への問い合わせは吉野信次さん(090・4606・9634)へ。

 

「戦争PTSD18回目~21回目・連載されます!

朝日新聞デジタル版2024613日(木)~16日(日)

わたしの布団に入ってきた父 暴力だけじゃない、復員兵の性虐待:朝日新聞デジタル (asahi.com)

4歳くらいの頃、よくおねしょをした。 怒った母に服をはぎ取られ、部屋の隅に放り出された。素っ裸で震えていると、布団に招き入れてくれるのは、いつも父だった。 布団の中は暖かかった。「お父ちゃんは救世主に見えた」と、藤岡美千代さん(65)は振り返る。全身をなで回されるのは、「温めてくれているんだ」と思っていた。 父は時に、娘の性器にも触れた。言葉にできない違和感だけが残った。

 

 

YBC山形放送「山形ZIP」で

「でくのぼう日本軍兵士・PTSDの実像」放送! 

2024615日(土)9:40

でくのぼう 日本軍兵士・PTSDの実像<2024年6月15日放送> - YBC 山形放送

虚ろで無気力な、でくのぼうと呼ばれた父。その心の傷を、理解してあげられなかった後悔に、苦しみ続けている息子。戦争は兵士の心を壊し、家族との絆をも傷つけました。 兵士の心の傷について証言をはじめた子どもたち。その活動は、国の実態調査へと結びつきました。見捨てられてきた戦争の傷跡に、光は当たるのか  優秀な兵士だった父はなぜ、でくのぼうに? 戦後社会に見捨てられてきた、兵士の心の傷に迫ります。

 2024614日 戦争トラウマNO18

母に「汚い」と吐き捨てられ 暴力、虐待、全て戦争とつながった。

母に「汚い」と吐き捨てられ 暴力、虐待、全て戦争とつながった:朝日新聞デジタル (asahi.com)

母は、藤岡美千代さん(65)を、こう呼んだ。「汚いやつ」という意味だ。名前で呼んでくれたことはなかった。ひどい時は「畜生」と吐き捨てられた。復員兵だった父は酒におぼれ、戦場の幻覚を見て家族に暴力をふるい、幼い藤岡さんの体をまさぐった。 母は、父の性加害を、おそらく知っていた。 父が布団に招き入れていたのは、家族4人が雑魚寝する狭い4畳半。隣で父が何をしているか、母が気づかぬはずはない。

 

2024615日 NO19戦争トラウマ

傷ついた兵士は、なぜ我が子を殴るのか トラウマ学の第一人者に聞く:朝日新聞デジタル (asahi.com)

今こそ国の責任で ―日本社会は戦争トラウマとどう向き合ってきたのでしょうか。

 戦争が日本社会に残したトラウマの総量は膨大でしょう。しかし、社会の対処能力を超える傷は、個人の記憶の中に障壁が生まれて乖離(かいり)されるのと似たような状態で、社会の中に隔離されて残ってしまいます。 戦争の記憶は、日本人全体が共有できる一つの物語として整理されないままになっています。忘却され、子供たちはそれを知らずに育つ。記憶の統合はますます難しくなり、分断は進みます。――元兵士もほとんどが世を去りました。戦争トラウマの実態を後世に伝えるのは難しいのでしょうか。悲観的にならず、体験を共有していく営みは重要です。トラウマを受けた元兵士の家族が連帯する動きもあります。大きな意味があります。「PTSDの日本兵家族・寄り添う市民の会」の活動を契機に、メディアも報じ始めています。国会でも昨年3月、この問題が取り上げられました。

 

中国派遣100万円カンパ

★家族会・市民の会は4人が912~17

中国を訪問し市民平和交流を深めます!

1人25万円の費用が掛かります。

お力を貸し下さい

★祖父、父親たち日本軍兵士の殺人、財産収奪などの

蛮行を中国の人たちに謝罪します。

「戦争はしません、白旗を掲げましょう、話しあい和解しましょう」の白旗を日本と中国の市民どうしが

アジアの市民、世界中の市民どうしが掲げ、

戦争をしない世界を市民の意思表示で作りましょう!

と、呼びかけてきます!

6月~9月のカンパは中国派遣費用といたします!

100万円カンパ振込先

口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。 

記号 11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)*ゆうちょ銀行口座。

 

★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

白旗が国を越えて掲げられる!

「戦争はしません 話し合いで解決しましょう」の旗印、白旗が政権どうしは対立しているとしても、それぞれぞれの市民どうしは「私たちは戦わない」との意思表示を白旗を掲げて意思表示をする。白旗を掲げて非戦の意思を相互確認する。

日本列島に「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の白旗が掲げられる。
日本海、東シナ海、オホーツク海、太平洋の対岸の朝鮮半島で掲げられる、中国で、香港、台湾で、シンガポールで、フィリピン、インドネシア、インドシナ、インドで掲げられる。
オーストラリア、ニュージーランド、太平洋諸島の諸国で、北アメリカ、南アメリカで白旗が掲げられる。世界中で掲げられる。

日本では5月3日の憲法集会ではあちこちの集会で白旗が掲げられた。それ以降も、個人の家で、どこかの集会や行動で白旗が掲げられている。戦争はしない意思表示をする人たちが可視化され増えている。

その白旗が昨年2023年11月19日の日中市民国際交流会で長春師範大学口述歴史文化研究院の皆さんに渡され海を越えた。

今現在、日本の東西南北の海を越えた対岸の市民に白旗の意味が伝わり、賛同を呼び「私たちも戦争はしないの意思表示の白旗を掲げましょう」という動きが広がろうとする確かな動きと気配がある。

夢ではない。夢では終わらない。私は大いなる希望を持つ。
多くの地域で市民たちが「戦争はしません」の白旗を掲げ始めたらどういう世界に変わっていくだろうか。
「万国の労働者団結せよ」が希望の象徴だった時代がある。
今、「世界の市民は戦争をしない白旗を掲げましょう」という時代が現実味を帯びる時が来ようとしているのだ。
私はそう感じ始めている。

 

2024年5月25日 黒井秋夫

白旗が国を越えて掲げられる!
日本列島に「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の白旗が掲げられる
日本海、東シナ海、オホーツク海、太平洋の対岸の朝鮮半島で掲げられる、中国で、香港でシンガポールで、フィリピン、インドネシア、インドシナ、インドで掲げられる。
オーストラリア、ニュージーランド、太平洋諸島の諸国で、北アメリカ、南アメリカで白旗が掲げられる。世界中で掲げられる。
「戦争はしません 話し合いで解決しましょう」の旗印、白旗が政権どうしは対立しているとしても、それぞれぞれの市民どうしは「私たちは戦わない」との意思表示を白旗を掲げて意思表示をする。白旗を掲げて非戦の意思を相互確認する。
日本では5月3日の憲法集会ではあちこちの集会で白旗が掲げられた。それ以降も、個人の家で、どこかの集会や行動で白旗が掲げられている。戦争はしない意思表示をする人たちが可視化され増えている。
その白旗が昨年2023年11月19日の日中市民国際交流会で長春師範大学口述歴史文化研究院の皆さんに渡され海を越えた。
今現在、日本の東西南北の海を越えた対岸の市民に白旗の意味が伝わり、賛同を呼び「私たちも戦争はしないの意思表示の白旗を掲げましょう」という動きが広がろうとする確かな動きと気配がある。
夢ではない。夢では終わらない。私は大いなる希望を持つ。
多くの地域で市民たちが「戦争はしません」の白旗を掲げ始めたらどういう世界に変わっていくだろうか。
「万国の労働者団結せよ」が希望の象徴だった時代がある。
今、「世界の市民は戦争をしない白旗を掲げましょう」という時代が現実味を帯びる時が来るかもしれない。
★ジーン・シャープ「独裁体制から民主主義へ」オンライン読書会2回目にお集まりください!2024年5月21日(火)19:00~21:00
・参加ご希望の方は黒井までお願いいたします。折り返しオンラ
 インアドレスをお知らせ致します。
*連絡先 黒井秋夫(qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp)
*オンライン読書会進め方
1,開始から30分は「独裁体制から民主主義へ」の最初のページ
 から音読いたします。
2,次の1時間は各人が感想を述べあいます。
3,さらに時間があれば繰り返します。
*2024年5月21日 18:50からの入室を予定しております。
★参考資料
1,私たちは軍事国家から侵略を受けたときに、それに対してどう向き合うべ
きか(想田和弘)
2. ジーン・シャープの非暴力抵抗理論(想田和弘)
3.ジーン・シャープ 非暴力革命のすすめ(48分)
2024年4月10日(水)
昨日9日が中学校の入学式。
夕方4時半、小学4年生当時からの常連だった女子7人が真新しい中学生の制服で来館してくれました。
中学生になっても交流館に来ると言ってはいましたが(黒井の本心はもう来なくなるだろうと思っていました)来てくれて、見違える姿で嬉しくなりました。
本当は正面からの写真をお見せしたいのですが、、後ろ姿になってもらってパチリ。
ただやかましいのは相変わらず。
2024年4月9日(火)13:40~17:00
ピースボート共同代表の野平晋作さん、元兵士のPTSDに関するクロアチア語で書かれた本を出版したヤスナ・バスティッチさんがPTSDの日本兵と家族の交流館に来館されました。
PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会メンバーなど5人と約2時間、双方の活動やめざすことについて和やかに交流しました。
*ヤスナ・バスティッチ Jasna BASTIC(ジャーナリスト)
 ボスニア・ヘルツェゴビナのサラエボ生まれ。1994年に戦争難
 民として逃れ、以来スイスのチューリッヒ在住。ジャーナリス
 トとして活動し、スイスのテレビ局で紛争関連の報道のリポー
 ターを務める。ピースボートでは、紛争などの危機的な状況が
 続く地域の学生や NGO、活動家に向けた「インターナショナ 
 ル・スチューデント・プログラム」の責任者を務めながら、そ
 の他の各種プロジェクトにも携わる。船内では、主にメディ
 ア・リテラシーやプロパガンダ、フェイクニュース、歴史認識
 におけるSNSの利用についてなどの講演を行う。兵士が抱える戦
 場のトラウマに関する著書を書き終えたばかり。
*交流で説明したメモ(黒井秋夫)
・ヤスナさんが発刊した「元兵士のPTSDに関する本」の内容を教
 えて下さい。
・「元兵士のPTSD」の本を出す経過。
・兵士のPTSDの世界の認識、特に2回の大戦の主戦場になったヨー
 ロッパ、旧ユーゴスラビアの現状。
*PTSDの日本兵家族会のメンバーそれぞれは皆異なるが、軽重は
 違ってもPTSDの兵士だった父親や祖父の暴力などの虐待を受け
 た経験から、今も精神が不安定な人たちです。言わば精神に 
 「障害」を持つ人たちが声を上げ活動する運動体です。
・「寄り添う市民」の力添えがあって初めて成立する活動できる
 運動体です。
・「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は世界の同類の活
 動をする皆さんと情報を交流し手をつないで「戦争のない世
 界」を引き寄せたいと活動しています。「戦争はしません 白
 旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の白旗を掲げる 
 活動は戦争のない社会を引き寄せる非暴力の平和活動として広
 げていきたいと考えています。
*活動の経過
・日本軍兵士のPTSDは無いものとして隠されてきた、日本人の多
 くは勇ましいサムライとしての日本軍兵士としてしか日本兵を
 イメージしていない
・2018年「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
 設立、2020年「PTSの日本兵と家族の交流館」開館
・2018年「戦争とトラウマ」を中村江里さん出版
・2018年「隠されたトラウマ-―8002人の病床日誌」をNHK放映、
 年間最優秀賞受賞
・2022年「PTSDの日本兵の家族の思いと願い証言集会」を東京で
 開催
・2023年「PTSDの日本兵の家族の思いと願い証言集会」を大阪で
 開催(東京で2回目の証言集会開催)
・2023年 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会を
 「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と組織名称を変更
 し整備した
・平和遺族会など平和を希求する団体と共同して活動する輪を積
 極的に進めています。
*参加者の感想です。
★とても友好的な雰囲気で話し合いが出来て、実りの多い時間を
 共有出来たと感じます。
 戦争をしたがるのは政権にとって不都合な真実を隠蔽したい政 
 治家や戦争で潤う企業、そしてその企業から莫大な政治献金や
 裏金を受け取る一部の政治家だけではないかと思います。
 普通の国民は決して殺人など望んでいません。国の体制や政治 
 家がどうあろうと、全ての国々の国民が戦争に対してNOと言え
 る環境作りが重要であると思います。貧富の格差を是正し望む
 人にはしっかりと教育を受ける権利を与えることが必要だと感
 じます。
 ヤスナさん自身が心にトラウマを抱えてないことを願っていま
 す🙏
★黒井さんは「歴史的な日だ!」と仰ってました。ヤスナ・バスティッチさんの来歴に触れ、全くそのとおりだと思いました。
ヤスナさんは、30数年前、包囲されたサラエボの街からかろうじて脱出し、今はスイスを拠点にジャーナリストとして戦争の恐ろしさに向き合い、発信を続けていらっしゃる方です。
その彼女が、日本で戦後ずっと隠されてきた戦争神経症と、それに苦しんできた帰還兵家族の存在を世の中に問いかける交流館を訪ねられ、黒井さん達と話し合われたことは、やはり「歴史的」なことだと痛感します。
ヤスナさんに交流館訪問をすすめ、英語を通訳していただいた野平晋作さん(ピースボート代表)にも感謝します。おかげで私もあれこれ質問することができて、大変勉強になりました。有り難うございました
★ボスニアヘルツェゴビナでの戦火を潜り抜けるという九死に一
 生を得て、スイスでジャーナリストとして活動、20年かかった
 研究調査で「Going to the dark」をクロアチア語で出版されたヤ
 スナさんのお話を聴かせていただきました。darkは戦闘行動は
 夜の闇に紛れて行われるということと、心の闇との両方だそう
 です。
 通訳をしてくださった野平さんにも、ぜひとも日本語版の出版 
 をしてください、とお願いしました。
★特集・戦争トラウマの封印を解く「現代の理論春号」20冊届き
 ました!お申し込みくだされば喜んでお送りいたします。
★1冊1200円です。レターパック代180円がプラスされます。
★「特集1、戦争トラウマの世代間連鎖を考える」では「白崎朝子さん・戦争トラウマの世代間連鎖」、「北村毅・孫の立場から見た戦争トラウマの世代間連鎖」、「吉沢智子・なかったことにされてきた家族のなかの戦争」、「黒井秋夫・戦争はしません 白旗を掲げましょう」が掲載されています。
★以下の書籍もご注文くださればお送りいたします!
・中村江里「戦争とトラウマ、4600円
・遠藤美幸「悼むひと、2300円」、
・日中歴史・文化研究「いま語るべき日中戦争、3000円」、
・「PTSDの日本兵の家族の思いと願い、1200円」
 
・日本中の人たちの必読書と思います。ぜひお読みいただきたい
 と思います。私たちがあげてきた声がいよいよ社会に大きく広
 がろうとしていると感じます。
 みなさん、更にお力添えをお願いいたします!
2024年4月6日(土)
都立東大和南公園でサンホセの会の主催で軍隊を持たない国・コスタリカの駐日アレキサンダー大使を招いてお花見会が開かれました。戦争遺産の東大和変電所を見学いただいた後に、満開の桜の下で持ち寄った料理と飲み物で和やかな談笑交流の時間になりました。
超フランクで陽気な大使が時々「NO WAR!」というフレーズが入る英語スペイン語日本語が乱れ飛ぶ楽しい時間でした!
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の2本の白旗を掲げて参加しました!
「戦争はしません」を世界中に広げましょう!
千葉県松戸市からうれしい写真が届きました。
白旗が玄関先に掲げられました。
更に広げて行きましょう!
白旗を提供いただいた千葉県松戸市の千田優子さん、同じく松戸市の福祉施設と大阪の藤岡美千代さん(喫茶店オリーブガーデン)が交流館同様に自宅玄関先に「戦争はしません 白旗を掲げましょう 話しあい和解しましょう」の白旗を掲げました。自宅内に白旗を飾った方もいらっしゃいます。
白旗を日本中に、世界中に広げましょう。掲げましょう。
白旗は「戦争をしない社会」を引き寄せる積極的な非暴力の活動です!

朝日新聞2024年3月26日朝刊

太平洋戦争で心に傷を負った元兵士の実態について、国が調査に乗り出すことが決まった。戦傷病者の援護の一環として国が開設した「しょうけい館」の運営有識者会議が13日に開かれ、精神疾患に苦しんだ戦傷病者についての資料などを集める方針が了承された。国による調査は初めて。

 戦争体験でトラウマを受け、PTSD(心的外傷後ストレス障害)などに苦しんだ元兵士については近年、家族が証言集会を開くなどして実態調査を求めていた。昨年3月には加藤勝信厚生労働相(当時)が国会で答弁し、しょうけい館で調査する方針を示していた。

 有識者会議では厚労省側が「心の傷に苦しんだ戦傷病者についての展示に取り組むため、資料や研究者の研究成果を中心とした調査を想定している」と説明。日本赤十字社参与の堀野政則氏は「事例を掘り起こすのは難しいが、拾い出せるものは残していくことが大切だ」とした。

 会議を受けて、「PTSDの日本兵家族会」の黒井秋夫代表らが15日、厚労省の担当者らと面会した。黒井代表は厚労省側に「実態調査をして全体像を明らかにしてほしい」などと要望した。厚労省の担当者は「(調査は)しょうけい館の機能の範疇(はんちゅう)に限られる」と述べるにとどめた。

2024年3月23日(土)
今しがた、中村江里さんの「戦争とトラウマ」、遠藤美幸さんの「悼むひと」がそれぞれ出版社から届きました。日中口述歴史研究会の「いま語るべき日中戦争」と「PTSDの日本兵の家族の思いと願い」と併せていく先々の集会、講演会、授業で販売普及いたします。白旗も一緒です。皆さん、ぜひご協力ください。
*普及する書籍は4冊に限らず扱えるだけ増やします!
これらの本と白旗は戦争のない世界を引き寄せる積極的な平和活動です。更に広げる力になります。平和への私たちの象徴的な意思の表れです。
友人から白旗を改造したポールに掲げた写真が届きました。
さあ、どんどん広げましょう!
一人ひとりの力は小さくても無力ではない。
思いが寄せ集まり、いつか大きな大河になる日が必ず来るでしょう!私は確信しています!

2024313日にしょうけい館有識者会議で承認された『心の傷を負われた兵士の実態の展示について』の厚生労働省案について衆議院議員会館で厚生労働省と懇談、申し入れを行いました。

*出席

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会6人、厚生労働省3人、宮本徹衆議院議員

朝日新聞、しんぶん赤旗の記者さん、川野純平(宮本徹)秘書が同席しました。

*日時

2024315日(金)15:00~16:00

 

★出席したPTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会の3名の懇談終了後の感想を紹介します。

★Aさん。

厚労省側から3人いらっしゃり、宮本徹議員、川野秘書、赤旗の芦川記者、朝日新聞(国会担当)後藤記者と私達6人の顔合せができ、厚労省側は、責任ある回答から逃げ気味ではあっても、とても貴重なお話合いの第一歩の一日だったと思います。

正規のお話合い後の、川野秘書を交えての五時までの懇談が、さらに素晴しかったと思います。

川野秘書が仰っていましたが、何しろ一年前の加藤勝信・当時厚労大臣答弁に沿った内容を、厚労省側は実行する事になっているので、大臣答弁をうまくいかして、話し合いを有効に進めていきましょう、との力強いサポートを頂ける事は有難いですし、家族会を代表しての黒井さん、黒川さん、吉沢さんのお話、とても良い内容でしたし、保浦さんも小泉も発言できて、それを宮本議員がバックアップ下さったのも良かったです。 やはり、昨年6月と9月に私達自身がしょうけいかんに伺ったこと、さらに昨日、宮本議員がしょうけい館の学芸員さんと面談された事もお話の裏付けとして有効になった事も、とても嬉しかったです。

 

★Bさん。

皆様の熱意は伝わっと思います。

あとは、識者の方々や、手持ちの資料、会員の方々をどう動員出来るか機会を議員さんや秘書さんも工夫して頂けるものと思います。

報道も黒井さんの大きな力なのがわかりました。

 

★Cさん。

去年のちょうど1年前の3/15宮本議員のPTSDの兵士についての、戦後初の国会質問から9月のしょうけい館訪問、それから半年の今日に繋がったことを心から喜んでいます。

 

しょうけい館の戦争トラウマによる兵士の実態や、戦後、その暴力性がそれぞれの家庭で激しいDVとして吹き荒れた事実をより多くの人々に知らせ、まだ戦争は終わってないのだ、ということに気づいてもらうきっかけの一つとして機能してほしいです。

谷口和徳さん講演(戦争と性)

感想を紹介いたします。

大きな反響が続いています!

★2024310日(日)東京都戦没者霊苑 平和遺族会と共催で開催

★続編を5月12日(日)

 東京都戦没者霊苑で平和遺族会との共催で開催いたします。

*今日の谷口さんのお話に引き込まれました。皆さんがおっしゃっていましたが、谷口さんが30年以上前から、男性側から性暴力を考え、行動に示した事実に驚き、敬服しました最後に谷口さんは性の問題も突き詰めれば国家の責任を問うことに行きつくと言われました。日本の皇軍兵士は性まで軍に管理支配されていたわけです。

フィリピンの山奥で玉砕しかない状況で、国家と個人を考え抜いた海軍将校がいました。

彼は命令を下す者は餓死したり戦闘で死に直面することはないことに気づき、フィリピンのジャングルで自分は誰のために戦って死ぬのかを考え抜いて、最後に白旗投降します。

国家権力に命をかけて抵抗したのだと思いました。

参加者の皆さんの発言にもいろいろ学ばせていただきました。久しぶりの参加でしたが、また参加したいと思いました。

 

*講演会は本当にたいへん勉強になりました。ありがとうございます。

今日も友人と電話でいろいろとお話をしていましたが、慰安婦問題はまだ終わってなく、海外慰安観光・国内慰安観光はもとより、一部の国際結婚も買春・売春の性質を持っているのではないか、と考えると、性的侵略戦争もまだ終わってないと考えさせられました。

参加された方がおっしゃった通りに、性的侵略は男性が加害者、女性が被害者だとか、男性対女性の侵略問題だけではありません。

あまりメディアに取り上げられてないと思いますが、占領時に慰安夫も存在していましたし、あまり問題視されていない理由は人数が少ないからだ、と言えるかというと、そう簡単ではないような気がします。性を商品とされる社会、それを認める社会には、もっと深い理由が存在するはずだと思います。谷口様の政府にもっと怒っていいというコメントにも感銘を受けました。

戦争と性についてもっと深く考えさせられるきっかけとなったご講演でした。男性の視点から男性の性犯罪問題を取り上げている谷口様に感服しております。

平和を願い、「内部告発」をし続けている皆さんに非常に敬意を表したいと思います。不戦宣言のシンボルの白旗を広げて行こうという黒井様の理念に賛同して白旗を一枚買いました。

 

*皆様のご議論、私にとっては大変勉強になります。昨日参加された方と二人で会の続きの話をしました。①再度谷口さんと交流,ミニ交流でもいい②侵略戰争の慰安婦のことはなぜ未だ存在③男性慰安夫のことについてまだ聞かせて④慰安婦と民族性⑤戦後の東京裁判には慰安婦の問題をふれなかったので、東京裁判は未完と思います!

 

http://japanese.china.org.cn/life/txt/2012-07/19/content_25954850.htm

 

東京多摩地域の中学校の12年生の平和授業の生徒感想文を紹介いたします。

2024216日、50分の授業を受け持ちました。

・戦争が終わった後も兵士は感情が崩れていたり、戦争がトラウマになっている人が多いと知った。その子ども

の子どもの人生もむしばまれるのも悪いと感じた。戦争がなかったら兵士の心をこわれずぼうりょくをふるったり、ずっとふるえることも、その子どもが男へのきょうふなどはなかったと思った。校外学習で学んだけど平和とは戦争がただ終わることじゃないとあらためて感じた。現在もロシア・ウクライナ・カザで戦争から帰ってきた人も戦争のトラウマがあると思うとかわいそう。私たちがそうならないために戦争をやらないことが大事、やった方、やられた方どちらも。未来は自分たちでつくる!

・戦争は兵士の家族にも影響を及ぼすことを知った。戦争はたくさんの被害があるとは知っていたが、そのトラ

ウマは子どもたちにも受け継がれていたことが驚きだった。これは昔のことではない。今の悲惨な現状。黒井さんが伝えたかったことは「戦争をしない、させない」「命を大切にする、させる」こと。世代を超えてそんな世界をつくること。

・人を殺めること求められた時代を生きることは、今の自分にはとてもではないが、考えられないと思った。今

回、一番印象に残った言葉は黒井さんの言った「未来は自分たちで作るもの」という言葉です。何十年前の人たちが戦場でつらい思いをして銃の下をくぐりぬけてきたから今がある。それを忘れず、自分の考えで戦争のない日本、世界を作るべきだと思った。

・黒井さんが常にみんなに強く訴えかけるようにして話していたから心にめっちゃ響いた。現代でも戦争(元兵

士)によって苦しんでいる人、PTSDだった人はこんなにいるんだと思った。「みなさんのおじいちゃんおばあちゃん、ひいおじいちゃんひいおばあちゃんが戦争を経験し生き残ったからあなた方がいるんですよ」。あたりまえのことだと思ったけど、改めて聞くと全然あたりまえじゃないと思った。

・戦争が原因で起きる家庭内暴力について初めて触れたが、ただのDVとは違い、憎むものがない分、よけいに

辛いのではないかと思った。同時に自分がされたことを次の世代に、次の世代にと受け継がれてしまうのはただのDVと一緒なんだなと思った。子どもが苦しむのもそうだが、夫を送り出し、無事に帰ったきたと思ったら抜け殻と化し暴力をふるい、酒やギャンブルに依存する変りはてた愛する人を見てどう思ったのだろうか。それを相談することもできず世にも認められない苦しさを想像すらしたくないと思った。

PTSDについて以前に学習したことがあったが改めて恐ろしいものであると思った。PTSDによって激しいけ

いれんをともない、精神病がエスカレートすることにより殺人、自殺などになってしまい自分自身を苦しめ、家族を苦しめてしまうのが本当に恐ろしいなと思う。

・戦争に行った結果、うけた心の傷は私たちのような未来を作り上げていく世代がしっかりと受けとめて向き合

っていくべき問題だと感じました。望んだわけではないのに、戦争へ行かされ、その結果、廃人になる。国は当時この事実をかくして、それを知らない子どもにもトラウマが移る、このれんさは私たちがそれぞれわすれることなく、つないでいき平和を実現することでたち切るべきだと思った。

・今日講話をしていただいて、今までには知らなかった、また違った面から戦争について知ることができました。

戦争によって苦しむのは兵士だけではなく、その家族も現在まで苦しんでいることが分かりました。今日、改めて戦争は絶対にしてはいけないと感じたし、これからもっと戦争とその事実と向き合って生きていこうと思います。

・私は何の不自由もなく生活していることにとても感謝しようと思いました。戦争はもう70年前に終わったも

のだと思ったけど、苦しみ、悲しみは今もずっと続いていてそれを聞いてとても悔しい、戦争を恨むような気持になりました。当時の戦争ではもちろん兵士の心と身体をを傷つけ、その家族も苦しかったと思います。ただ、今もその兵士の親せきなども苦しんでいる人がいたり、心が壊れてしまった精神が病んでしまった人がいることを良く知って、戦争は他人事ではないということを身に染みて感じることができました。

PTSDはその人だけでなく子供にまで害があると聞いて驚いた。また黒井さんが自分の人生は自分の力で切り

開いて欲しいという言葉におっしゃる通りだと思った。日本人は責任が強く同調圧力や断われない性格だったりして人と合わせたり、任せたりしがちになってしまう。それを少しの勇気を持って自分の言葉や意見を出して生活すれば平和な世界が作られると思った。

・戦争が終わったのにPTSDになって家族をきずつける兵士がたくさんいたんだと思った。兵士はPTSDにな

りたくてなってるわけじゃないとことが分かった。兵士はPTSDになっちゃうから戦争で本当につらいことがあったんだと分かった。戦争は自分を傷つけるし相手も傷つける、始まってからも終わってからも何も変わらない、本当にむだなことこと、ひどいめにあうことが分かった。ぼくは人を傷つけたくないし死にたくないから本当に戦争をしたくない。

・戦争は終わっても永遠に人の心を傷つけ、苦しめることを今回さらに実感した。PTSDという病気は初めて聞

いたが、話を聞いているうちにとても辛い病気だと知り、もう忘れることがないぐらい怖い症状で、私たち、戦争を経験していない世代も無関係ではない病気だと知った。症状の家族との関係も狂ってしまうほど精神的なダメージを負うと言うことがとても印象に残った。今でも続いている辛い連鎖を断ち切るために、私たちは暴力を振るうなど怖い大人にならず、戦争がもう怒らない世の中にしなければならない。

 

 

東京多摩地域の病院の2年目職員研修でお話しした際の感想文の一部を紹介いたします。

・戦争は良くないです。隠されていた真実があった。戦争が現代まで影響していると知った。生きることに意味

がある。現代にまで影響を与えてしまうほど、戦争は恐ろしい事だと感じました。(看護師)

・戦後PTSDがあると初めて知った。終戦で戦争が終わる訳ではない。無事に帰ってきたから良いのではなく、

ずっと心の傷とともに生きていると学んだ。その傷は世代を越えて引き継がれている可能性があると知り、戦争は絶対にあってはならないと考える。自身にも2人子どもがいる。殺さない、殺させない、どんなことがあっても逃げて生きて欲しいと切実に願う(助産師)。

・「戦争は追う言うものだった」をベースに今までは話しを聞いていたけど、戦争に出向いて生きて帰ってこら

れた方のその後をテーマに話しを聞けて良かった。PTSDのある日本兵もこれまで隠されて来て被害者でもあり、知ることが必要だと改めて感じた。伝えていく人、経験した人が少なくなる中、こういった貴重な体験を続けて欲しいと思った(看護師)。

・戦争の話しというと、帰ってこれなかった人や、家族の話しが多かったが、帰ってこれたとしても、身体的精

神的に元気という訳ではなかったり、家族がさらに被害を受けているのだと知れる機会になった。色々な面に影響があるので「戦争には反対」という声をあげることが大切だと思った。

・戦争という行動そのものが終わっても、戦争がもたらした数々の影響は今も多くの問題を残していることを改

めて知りました。目を覆いたくなる映像、耳をふさぎたくなる話もありましたが現実を受け止めて前に進んでいかなければならないのだと思いました(看護師)。

・終戦後生きて戻ってくることができた人は幸せに暮らしていると思っていたが、PTSDを発症する方が多いな

ど苦しんでいたことを初めて知った(看護師)

・人を殺さない、殺されない人間になる。どんなことがあっても戦争はダメ。憎しみは連鎖する。生み出さない

ことが大切。戦時中に兵士のPTSDを隠していたことを知って、兵士やご家族の方はやりきれない思いを抱えることになったのだろうと感じた。今でも虐待のニュースを良く耳にしますが、元をたどっていくと戦争によるPTSDに行きつくケースもあるのかなと感じた(看護師)。

・今回の話しを聞き、どんなことがあっても戦争は良くないと改めて感じた。人を殺さない、殺されない人間に

なることが大切。戦争に参加していた兵士が、加害者として被害にあった国の人へ謝っているのには驚きもあった。戦争で残された家族の話を今まで聞く機会はあったが、実際に戦争に行っていた兵士にフォーカスされた話は初めて聞いたので勉強になった(看護師)。

・戦争中の話しを聞いたことはありましたが、戦争後の家族の話しを聞いたことは初めてだったので、お話しを

聞けて良かったです。戦争体験者だけでなく、その家族にも苦しみが連鎖するということ、PTSD問題があったということ、たくさん学ぶことができました。戦争をしてはいけない、戦争のない世界をめざすことの大切さを実感しました(看護師)。

・戦争で生き残った方々がPTSDになり、家族へ虐待をしたり、無口無感情になったりと、改めて戦争の恐ろし

さを感じた。戦争に行った兵士が被害者であり、加害者にもなるという言葉が印象的で、戦争後も死ぬまで付き合っていかなければいけない苦しさを感じた。悲しみや苦しみは連鎖しているため、兵士だけでなく家族へもケアが必要であると事を学んだ。戦争による日本の被害は大きいものだったが、日本も多くの被害を他の国へやっていたと思うと恐ろしいと感じた。戦争はその時だけの苦しさではなく、現在も続いているため、継続したケアが必要であると学んだ。今回学んだことを語り継いでいくことも大切であると思った(保健師)。

・衝撃的だった。「戦争はいけないもの」と漠然と分かっているつもりだったし、自分も絶対にしないと思って

いました。しかし、今日の話を聞いて、戦争を直接体験した人だけではなく、その人の子ども、またその子どもと連鎖的に続いて行くのだと初めて知りました。自分の中だけで「戦争はしてはいけないもの」にとどめておくのではなく、身近な人にでも話して広めていくことも必要だと思いました。

・今までに戦争を体験した方のお話しは効いたことがあったが、黒井さんのお父様のような戦後の変化した姿の

お話しを聞くのは初めてだった。戦争がもたらす影響の大きさは計り知れないと感じた。また、戦争後のけいれん、PTSDを政府は隠していたと言うことも初めて知った。グループトークの中で、訓練の一環として刺突が印象に残ったという声が多かった。殺害に慣れさせるためとはいえ、人間がすべきことではないと感じた。

・戦争で心に負った傷がなかった事にされ、帰国後にケアや治療がなにもなされず、生涯を終えた人がたくさん

いることに驚きました。大まかな歴史だけでなく、現実はどうだったのか、知って考える機会をいただけて良かったです。加害者にも被害者にもなりうるという言葉が印象的だった。日本は被害を受けているという印象だったが、外国にも多くの被害をもたらしていることに気が付いた(看護師)。

・医師として、心を見るためには社会や歴史の事を知らなければならないので日々勉強しているが、軍人とPTSD

心の病に関してアメリカは研究が盛んなのかデータをいくつか見たことがあったが、日本兵の事は不覚にもちゃんと考えたことがなかった。大変ありがたい機会だった(医師)。

・戦争で行われた残虐な行為についてはこれまで度々学んできたが、日本兵がその後どのように過ごし、心の傷

と戦ってきたかについては考えたことがなく初めて知った。改めて戦争の悲惨さを知った(医師)

・正直に言えば、ひどく気分が悪くなりました。しかし、映像や写真、人の口伝えでここまでの気分の悪くなる

ような体験を、当事者は大変な苦痛と戦っているのだと分かりました。その苦痛がPTSDとして現われ、家族や他者にも影響を及ぼしたのだと初めて知りました。とても辛い出来事だからこそ、目をそむけず戦争が何を起こしているのかよく考える必要があると感じました(看護師)。

PTSDになり人生が狂い家族まで不幸になってしまう戦争の被害者は、身体的外傷を負った人だけではない。

その時代を生きた人々、それにかかわる人びと全てなのだと感じた(薬剤師)

PTSDを今まで隠してきたということもあり、私も気づかずこれまで過ごしてきましたが、戦争を体験した人

 

だけでなく、その子ども、また孫にまで影響が出ていることを知り、とても衝撃的な話しを聞くことができました。日本で戦争が(他の国でも)起きないようにしたい(薬剤師)。

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会ニュース2024,2月号

「白旗を世界中で掲げましょう」は戦争のない世界を引き寄せる積極的な非暴力行動です。世界中に広げましょう!「家族会・市民の会」、2024年実現すること

★証言集会を各地で開催し「家族会・市民の会」を全国に広げます!

★中国を訪問し白旗を掲げ市民どうしの平和交流を進めます!

👆熊本日日新聞218日号で「PTSDの日本兵と家族の思いと願い」が紹介されました。

PTSDの日本兵と家族の交流館 2024210日(土)

2020年月10日開館以来の来館者が2501人に!

PTSDの日本兵と家族の交流館の来館者が29日に2500人を突破しました。

2020510日の開館以来約4年間の快挙です!

昨年夏はコロナ流行によりほぼ二カ月閉館しました。にもかかわらず開館日が年間の半分ほどですがそれでも毎年600人の皆さんに来館いただいたことになります。感謝感謝しかありません!

時の政権が「PTSDの日本兵の存在」を戦争中も戦後も隠し続けたために埋もれていた「PTSDの日本兵の存在」が交流館を起点として少しずつ少しずつですがPTSDの兵士の家族が声をあげるようになっています。その人たちの多くは今も父親から受けた暴力などのトラウマに苦しんでいます。

一度は声をあげて交流館と繋がった時があったのに、再び沈黙の世界に戻る人たちも多いのです。本当に家族が受けた心の傷は深いのです。この活動が時の経過とともに順調に拡大するというものではないのです。紆余曲折を経ながら、それでも少しずつ少しずつ輪が広がる、そういう活動なのです。だからこそ倦まずたゆまず「PTSDの日本兵の家族の集う起点」としての役割を果たしてまいります。

来館者の7割は地元武蔵村山市3小の子どもたちです。「気が休まる」「落ち着く」などと感想をノートに残して行きます。パンも大人気。「お腹が空いた」と飛び込んでくる子どももいます。週4回開いている「子ども食堂」の役割も果たしているようです。

開館時にはなかった子どもたち用の図書が増えました。横須賀の市原和彦さんをはじめ皆さんから「子どもたちへ」と絵本などが届きます。感謝でいっぱいです。

子どもたちに戦争を少しでも感じてほしいと皆さんに協力をいただいて、特に李素楨先生からは日本軍の軍服、三八式銃の銃弾や出征時の幟など日本軍の戦争遺品を寄贈いただき触れる展示をしています。展示してみて、子どもたちは軍服などよりも銃弾に一番反応することも知りました。戦争や軍隊は人を殺すのが仕事なのだと子どもたちは鋭く直感しています。

「戦争をしてはいけない」を地域の子どもたちに語り継ぐ場所としての役割も工夫していきたいと思います。

今は10㎡の「PTSDの日本兵と家族の交流館」はここの全国1か所です。

この活動の広がりの中でいつの日か、二つ目が、三つ目が、そして全国各地に「PTSDの日本兵と家族の交流館」が開館することをめざしたいと思います。

これからもよろしくお願いいたします。

 

「汝殺すなかれ」は人間最初の道徳。人殺しが使命の軍隊とはどう理屈をつけても整合性は取れない。正当防衛、自衛権と言うだろうが、個人の正当防衛と国や集団の自衛権とは同じではない。

私は国や集団の自衛権の「意思決定の過程」に疑義を呈する。自衛権の発動の意思決定は誰が、どの機関が最終判断するのか。発動に賛成しない少数意見はどうなるのか。発動されたら発動者や軍隊の指示命令に国民や集団は決定の判断が決まったら、以降は強制的に従わなければならないのか。自衛権の発動に同意しない個人の存在は認められているのか。自衛権の発動、戦争開始に加わらない個人の行動は尊重されるのか。加わった自衛軍の個々の戦術、戦闘現場で行き過ぎや、民間人への暴力行為などを個々の兵士が拒否することは許されるのか。

自衛権と言う時に、個人の意思・意見と集団や国のそれとどちらに重きが置かれるのか問いたい。このことは個人の考えや生き方が尊重される社会なのかどうかの決定的な分岐点と思う。

私は個人の尊重、個人の意見考え判断の尊重を第一義のモラルとする社会をめざしたい。個人個人や自由にものを言えて、誰からも抑止されない社会をめざしたい。

そう言った時、殺人が目的であり、軍として一体になって戦闘行為することが当然で、いちいち個人の思いや考えを考慮などしていては戦闘作戦が成立しない軍隊のモラルと人間個人個人の尊重とはそもそも相容れない。

軍隊も戦争も個人を尊重する物ではないのだ。軍隊や戦争と個人が自分の考えで生きることとは相いれないのだ。

PTSDの日本兵と家族の交流館代表 黒井秋夫 202428

 

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(東京)日程

・どなたでも、1回だけでも参加できます。参加歓迎します!

 オンライン参加希望の方はメールでお申し込みください(2月と3月以降も同様です)

☆310日(日)東京都戦没者慰霊苑2階(後楽園)

 10:0012:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 

谷口和憲さん講演(戦争と性・発行者)

414日(日)オリンピック記念センター・セ106号室

10:0012:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 寄り添う市民の会

・講演者調整中。

☆5月12日(日)東京都戦没者慰霊苑2階(後楽園)

10:0012:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 寄り添う市民の会

・講演者調整中。

69日(日)会場未定

10:0012:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 寄り添う市民の会

715日(日)会場未定

10:0012:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00 寄り添う市民の会

98日(日)

・第3PTSDの日本兵の家族の思いと願い東京証言集会 オリンピック記念センター

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(関西)日程

・どなたでも、1回だけでも参加できます。歓迎します!

225()生野区区民センター 13:3016:00

13:3016:00宋実成さん講演会 タイトル・在日朝鮮人から見た「中国脅威論」

オンライン中継いたします。ご希望の方は qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

16:0016:30寄り添う市民の会を行います。

320(水、祝日)福島区区民センター 13:3016:00 *講演者調整中。

429(月、祝日)国労会館 13:3016:00

519()国労会館 13:3016:00

616日(日)会場未定13:3016:00

630日(日)PLP会館 10:0016:00 

PTSDの日本兵の家族の思いと願い大阪証言集会 

714日(日)会場未定13:3016:00 *証言集会の振り返り

818日(日)会場未定13:3016:00 *講演者調整中。

★講演・授業の予定

322日(金)全印総連 *425日(木)竹田良美通作品展示会

■講演開催の希望など連絡問い合わせ先 

黒井秋夫 電話08011213888 メールアドレス  qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp 

★2023年、活動のまとめと成果

1,PTSDの日本兵の家族の思いと願い証言集会を東京、大阪の2か所で開催、裾野を広げました。

2,日中国際民間交流会を11月に開催し、「家族会・市民の会」は先の戦争を中国の皆さんに

謝罪しました。契機となり日中の民間人どうしの友好交流が動き出しました。

3,国会・衆議院社会厚生労働委員会で「日本兵のPTSDの問題」が初めて議論され、厚労大臣が

取組を約束しました。

4,朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、NNN日本テレビ、YBC山形放送が報道しました。

・朝日新聞は8月と10月、12月の3期間に特集報道しました。       

・ビックイシュー、週刊金曜日、労働教育センター「女も男も」が戦争とPTSDを特集しました

5,PTSDの原因として戦争が精神科医の皆さんの視野に入りました。

・東京保険医協会「診療研究」20241月号で「戦争とPTSDの特集」が組まれました。

戦争体験が兵士だけでなく戦後を生きた人たちの精神にどういう影響があったのか、あるのかが

現在を含めて遡って検証されるきっかけになることを期待します。

6,活動組織を「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と整理再編し10月に出発しました。

7,「戦争をしない、させない・いのちを大事にする、させる」を次世代に語り継いでいます。

・小学生、中学生、高校生、大学生や若い社会人対象の講演会、学習会が開かれています。

ご支援のカンパ振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)*ゆうちょ銀行口座。

★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

会計中間報告(202411日~131日)

2024年初の繰越金486.301円 20241月の収支 経費合計 233.819(仕入れて払い済みの書籍在庫が105.600円分あります) 収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計86.732

2024131日現在の残高 339.214

李素楨さんとの交流日誌 2月号 

★初級者コースあります!ご一緒に中国語の達人になりましょう!李素楨さんのZOOM中国語講座を学んでいます。とても楽しい授業です!

★日中口述歴史文化研究会常務副会長 吉林長春師範大学 教 授 法政大学 講 師 

★PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会

 

PTSDの日本兵と家族の交流館
黒井秋夫 電話08011213888 ホームページ  https://www.ptsd-nihonhei.com 
208-0001
武蔵村山市中藤3-15-4 
メールアドレス  qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
「家族会・市民の会」通信は周辺600世帯と武蔵村山市の市長・副市長さん、市議会議員さん、教育委員会、市立3小に配布。報道各社に配信しています。

2月16日(金)東村山市の中学校の1年生、2年生併せて300人の生徒たちにそれぞれ50分の平和授業でお話ししました。
17日(土)は尾張一宮の千秋病院で56人の職員の皆さんにお話ししました。
NHKが首都圏情報ネタドリで紹介した、今もPTSDの兵士だった父親の家族への暴力のトラウマに苦しむ子どもたちの映像と、国府台陸軍病院の戦争神経症の日本兵の苦しむ映像を初めに見ていただきました。
そして「二度と戦争をしてはいけない。戦争をして良いことなど一つもない。戦争をしない旗印の白旗を世界中に広げましょう」「皆さんが今生きているのは両親がいたから、その両親はまた両親がいたから皆さんは生きている。祖父母、曾祖父母はアジア太平洋戦争を生き残ったから皆さんがいる。皆さんは皆さんの力で考えて戦争のない世界をめざして欲しい。そして祖父母、曾祖父母が生き抜いたようにどんなことがあっても、戦争は逃げても良いから生き抜いて欲しい」「人を殺す人間にならないでほしい。人に殺される人間にならないでほしい」とお話ししました。
中学校では代表の生徒から「兵士のPTSDは初めて知りました。戦争は良くないと思います」というお礼の言葉をいただきました。
千秋病院では事務委員会という若い職員が兵士のPTSDの事前学習をして準備してくれました。
「PTSDの日本兵と家族の交流館」の写真が会場中に貼られていました。千秋病院では職員向け広報誌にPTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会の活動を2年以上も毎月掲載いただいています。参加者には事務委員会が作成した3種類のPTSDの兵士に関する資料が配布されました。
初めて訪問した千秋病院ですがアウェイではなくホームの温かい雰囲気でお話しできました。
参加者の一人が「従軍した祖父は夜中にうなされて大声を出した。PTSDだったのではないか」という発言がありました。
また参加者の感想文でも「発言者と同じような祖父がいた」という方がいたとお知らせがありました。
名古屋でのPTSDの日本兵の家族の思いと願い証言集会に結び付けたいと強く思いました。
公立中学校という制約の中で粘り強く準備して下さった東村山市の中学校の先生たちの平和授業への熱意にも打たれました。
2日間大きな勇気と力を黒井はいただきました。
昨日からエリカ・チェノウスの「市民的抵抗・非暴力が社会を変える」を読み始めました。3.5%が動けば社会が変わる。
力強い励まされるメッセージです。

 PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(元・PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会)立ち上げ6周年

 

2018年1月17日の立ち上げ宣言・全文

 

父は戦争の事だけでなく他の事にも無口でした。
1948年生まれの私はそういう父を生来の父の姿と思ってきました。
しかしベトナム戦争で米兵の3割前後が悲惨な戦争体験で精神を崩し、元の社会に復帰できないという。
同じような日中戦争や太平洋戦争を体験した日本兵も、つまりは私の父たちも精神を侵されたとして不思議ではない。
本当は父は正常な精神に戻りたいと必死に戦後社会を生きていたのではないだろうか。
私は快活だったかも知れない出征前の父は知らない。復員した後の無口な父しか知らない。
私は「本当の父」を知らないままに父を亡くしたのではないだろうか。
2~3年前からそんな思いで父を振り返るようになりました。
だとしたら、父も私も不幸だった。本当の自分を見せることも心の内を語ることもできずに苦しんだかもしれない父。
そんな風には生前一度も思ったことの無い息子。
その無口の父に反発し続けた私。父を通じて私も又戦争の傷を心に負ったのかもしれない。
私たちの世代にも呼びかけたい。
父親たちを見直そう。父親たちの精神世界を想像してみよう。
語り合おうではないか。
若い人たち、我々の子供たち、孫たちにも戦争は兵士のみならずその家族をも。戦争が終わったその後も家族を通じて長い間影響を与え続けるのだと伝えたい。

この指にとまってほしい!

 

2018年1月17日  黒井秋夫。

1月17日(水)「ほかげ」上映後に塚本晋也監督と中村江里さん(戦争とトラウマ・著者、広島大学大学院准教授)とのトークショーが約30分、会場で行われました。塚本晋也監督が「戦争、兵士、PTSD」と真正面から向き合い、「戦争、兵士、PTSD」を主題にした映画作品と次回も撮りたいという熱意が伝わりました。
トークショー終了後にお二人と「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の吉沢智子さんとメディアの方を交えて懇談いたしました。
アメリカ映画ではプラトーンなど「兵士のPTSD」を主題にした多くの作品がありますが日本映画ではありませんでした。塚本晋也監督が次回作で「兵士のPTSD」をテーマの作品を撮るとしたら日本映画史上初めてになります。
私は日本の皆さんに見ていただきたいのは勿論ですが、中国、朝鮮半島、台湾、アジアの皆さんに見てもらいたいと思っています。加害者、日本兵もこうなった。その影響は家族に連鎖して80年になろうとする今も戦争が続いている実態を知っていもらいたいのです。
戦争をして良いことなど一つもない。戦争は何も解決しない。新たな憎しみを作り新たな戦争の火種を作るだけと訴えたい。「戦争はしない、させない。命を大事にする、させる。白旗を掲げましょう!」を広げることこそが戦争をしない世界を作る道だと呼び掛けたいのです。

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会ニュース2024,1月号

迎春 

白旗を高く掲げましょう!

世界中に広げましょう!

 

戦争をしない・させない 

命を大事にする・させる

 

「家族会・市民の会」、2024年実現すること

★証言集会を各地で開催し

「家族会・市民の会」を全国に広げます!

★「家族会・市民の会」は白旗を掲げ、

 中国を訪問し市民交流を深めます!

★2023年、活動のまとめと成果

1,PTSDの日本兵の家族の思いと願い証言集会を東京、大阪の2か所で開催。裾野を広げました。

2,日中国際民間交流会を11月に開催し、「家族の会・市民の会」は先の戦争を中国の皆さんに

謝罪しました。契機となり日中民間人どうしの友好交流が動き出しました。

3,国会・衆議院社会厚生労働委員会で「日本兵のPTSDの問題」が初めて議論され、厚労大臣が

取組を約束しました。

4,朝日新聞、読売新聞、毎日新聞、日経新聞、NNN日本テレビ、YBC山形放送が報道しました。

・朝日新聞は8月と10月、12月の3期間に特集報道しました。       

・ビックイシュー、週刊金曜日、労働教育センター「女も男も」が戦争とPTSDを特集しました

5,PTSDの原因として戦争が精神科医の皆さんの視野に入りました。

・東京保険医協会「診療研究」20241月号で「戦争とPTSDの特集」が組まれました。

戦争体験が兵士だけでなく戦後を生きた人たちの精神にどういう影響があったのか、あるのかが

現在を含めて遡って検証されるきっかけになることを期待します。

6,活動組織を「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と整理再編し10月に出発しました。

7,「戦争をしない、させない・いのちを大事にする、させる」を次世代に語り継いでいます。

・小学生、中学生、高校生、大学生や若い社会人対象の講演会、学習会が開かれています。

 

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(東京)日程

・どなたでも、1回だけでも参加できます。歓迎します!

2024114日(日)武蔵村山市中藤地区会館(PTSDの日本兵と家族の交流館向かい)

10:00~12:00  PTSDの日本兵家族会交流会 

13:0016:00 宇野昌樹さん講演 「イスラエルとパレスチナ第2弾!」

 オンラインでも参加できます。希望の方はメールでお申し込みください(2月、3月も同様です)。

212日(月・祝日)オリンピック記念センター・セ414号室

10:00~12:00  PTSDの日本兵家族会交流会 

13:00~16:00 倉橋綾子さん講演(憲兵だった父が遺したもの)

310日(日)東京都戦没者慰霊苑

 10:0012:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~15:00 谷口和憲さん講演(戦争と性・発行者)

414日(日)オリンピック記念センター・セ106号室

10:0012:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00

*5月12日(日)東京都戦没者慰霊苑

10:0012:00 PTSDの日本兵家族会交流会 ・13:00~16:00

98日(日)

・第3PTSDの日本兵の家族の思いと願い東京証言集会 オリンピック記念センター

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(関西)日程

・どなたでも、1回だけでも参加できます。歓迎します!

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(関西)」でも講演を計画します。

・講演者やテーマの希望がありましたらお知らせください。

121()国労会館 13:3016:00

225(月、祝日)生野区区民センター 13:3016:00

320(水、祝日)福島区区民センター 13:3016:00

429(月、祝日)国労会館 13:3016:00

519()国労会館 13:3016:00

★講演などの予定

18日(月・祝日)西東京市柳沢公民館 主催、平和のための戦争展(誰でも参加できます)

216日(金)東村山市(中学生が対象)

217日(土)尾張健友会(職員さん対象)

■講演開催の希望など連絡問い合わせ先

黒井秋夫 電話08011213888 208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 

メールアドレス  qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp ホームページ  https://www.ptsd-nihonhei.com 

★2024年の年頭のご挨拶申し上げます

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会

PTSDの日本兵と家族の交流館 代表 黒井秋夫
★白旗を高く掲げましょう!世界中に広げましょう!

『戦争をしない・させない 命を大事にする・させる』

1,「戦争はしない、人殺しはしない、戦場から逃げる」

逃げきれなかったら「白旗を上げて命に従う」という選択をします。

交流館にはガンジーの肖像画を室内に掲げています。ガンジーは非暴力主義を唱えました。

黒井が青年時代に経験した内ゲバの応酬、25年後のニューヨーク貿易センタービルへの旅客機突入、アメリカのオサマビンラディン等への報復、イラクへの米軍の侵攻などなど、暴力が暴力を呼ぶ連鎖に、私は何かを暴力で解決することはできない、と悟りました。そして非暴力にたどり着きました。その時、私は50歳をわずかに超えた頃でした。

非暴力と言えばガンジー、ガンジーを読みました。しかし、ガンジーに私は「しっくり」きませんでした。

ガンジーの非暴力は非暴力抵抗です。「敵・暴漢の前に身を投げ出して抵抗する行動」をガンジーは要求します。敵・暴漢を前にして逃げ出す様な卑怯な非暴力ではない、とも言います。

敵・暴漢(イギリス帝国主義)は非暴力抵抗する100200人のインド人を殺すことはできても100万人200万人と殺すことはできない、そしてインドは非暴力抵抗で勝利する、とも言います。

私は繰り返し読んでも「敵・暴漢に身を投げ出す、殺されることを覚悟した100人の勇気」を自分は持つことはできない、そんな強い人間ではない、と認めざるを得ないと思いました。

ガンジーの非暴力は誰でもできる行動ではない。自己犠牲を体現できる、本当に勇気ある人しか実行不可能な高尚な非暴力と思います。私は弱い人間だ。銃を向けてくる敵・暴漢に死を覚悟して身を投げ出す勇気などこれっぽっちも持ち合わせていない卑怯な人間だ、と思わされました。

67才の時、ピースボートで沖縄那覇に向かう船中で沖縄伊江島の阿波根唱鴻さんの非暴力に出会いました。

1959年、沖縄に来た世界人権連盟議長に「米軍に取り上げられた農地はどうしたら取り戻せるか?」との阿波根昌鴻さんに「みんなが反対すれば取り戻せる」と連盟議長は答えたと言います。阿波根さんは深く納得しました。

相手が敵と思える米軍でも「会談の時は必ず座る。耳より上に手は上げない。静かに話す。道理を通して訴える。破壊者軍人を教え導く心構え」を、すべての人たちに理解してもらい農地を取り返す戦いを阿波根さんは実践しました。たしかに、阿波根さんが生きて勝利の日を迎えることはできませんでした。今もなお、農地は返ってきていません。

それでも、その精神は伊江島の人たちに受け継がれています。

法然・親鸞は成仏することは誰でもできると説きました。修行などいらない。そのままの自分でいいのだと。人間誰もが悪人であり、善人しか成仏ができないならどんな人間も成仏できない、と言いました。

遠藤周作は沈黙の中で踏み絵を前に躊躇するロドリゴに「踏むが良い」とあの人・キリストは耳元でささやいたと綴ります。キチジローは「俺は弱い人間だ。何度もイエスを裏切った。自分をこんな弱い人間に生まれさせて、強い人だけが救われるのか」と叫びます。

私は悪人であり、ロドリゴであり、キチジローに違いありません。勇気など持ち合わせていない卑怯者の一人です。

私はそうして「戦争はしません。白旗を掲げましょう。話し合い和解しましょう」にたどり着きました。

戦争になったら、なりそうになったら、さっさと逃げよう。見つかったら白旗を見てもらおう。支配される覚悟を決めて、その屈辱にも耐えよう。生き延びよう。絶対に銃は取らない。それでも無力な私を殺すなら殺すが良い。殺して生き延びるより何ぼかましだ。

戦になったら逃げるのは遠い昔から遭遇したほとんどの先人が選んだ道です。戦国時代の農民も、明治維新の時にも兵士以外は皆逃げました。

ロシアに侵攻されたウクライナの母と子どもも老人も戦場から避難しています。

黒井は戦場から逃げる人たちを支持します。応援します。あえて言えば拍手を送ります。

逃げて逃げて生き延びて欲しい。いつか停戦の日が来る。そうしたら皆さんの出番です。母と子どもたちが手を繋いで次なる世界を作って欲しい。戦争のない平和な世界を作って欲しい。

逃げることなら誰でもできる、それも抵抗の一つだろう。戦争するより何ぼかましだ。

★Wさんから異論が届き、黒井は「私の考えとは少し違う」と以下返信しました。

『万が一、日本が他国から攻められ不測の事態が生じた時には、軍事力ではない非暴力の抵抗によって、人的物的被害を最小限に留めることが可能である。』

私は攻められても武力やガンジーの主張するような抵抗はしないし、私はできない、と述べました。私の活動は「日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる平和な社会」をめざしています。だから、一にも二にも戦争をさせない、しない国家をめざしています。そのことは大前提です。

私の主張はそれでも戦争は起きるかもしれない。

その時には、その情勢でも個人の選択、覚悟は当然問われます。

黒井個人は「戦争はしない、人殺しはしない」を取るべき選択と考えています。

だとしたら、「まず逃げる。戦場から逃げる」であり、逃げきれなかったら「白旗を上げて命に従う」という選択を致します。付け足せば、私は「戦争はしない、人殺しはしない」が戦後日本の憲法であり、世界への約束と考えています。しかし、日本の憲法がそうだからの白旗宣言ではありません。もっと普遍的、世界がめざすべきことと考えています。

私は「人類はいつの日か戦争をしない世界・地球を作る知恵がある」という希望を持っています。

それは希望であり、説得力ある根拠、理論ではありません。

それでも私は「戦争はしません。白旗を掲げましょう。話しあい和解しましょう」の白旗を掲げ続けます。

実際に白旗をおつくりなった女性が2名ですがいらっしゃいます。

白旗が多数にならない限り人類は戦争から逃れられないと私は考えています。

しかし、知恵ある人類はいつの日かそういう考えに進化してたどり着くと信じているのです。

そう主張し続けることが未来を開くし大事なのだと考えています。

2,「人の命を奪ってはいけない、人を殺してはいけない」揺るがない土台・羅針盤でありリトマス試験紙とする

「人の命を奪ってはいけない、人を殺してはいけない」を主張の初めに据える。揺るがない土台とする。このことを羅針盤にする。リトマス試験紙とする。

そんなことは当たり前のことで、議論の前提だろうと思う。

白旗を掲げることは当たり前のことを表現したに過ぎない。

人はたくさんの判断間違いをする。

真実に気付いてから取り返せる間違いもあるが、人を殺したことが間違いと気づいてもそれは取り返し効かない。失われた命は永遠に取り戻すことはできない。

判断間違いしない完全な人間は存在しない。存在したことはない。と思う。

だから、取り返しのつかないことをしてはならないのだと私は言いたい。

だから人の命を奪うこと、人殺しをしてはいけないと私は言いたいのだ。

事実だとする情報は錯綜する。全ての事実を把握することは誰にもできない。報じられる事実はそのほんの数%にすぎない。数%も私たちは知りえているだろうか。

そうだとしても次々と私たちは判断を迫られる。決断せねばならないことに包まれて生きている。

地球上のさまざまの地で砲弾、銃弾が飛び交っている。その時でも、いや、そういう時だからこそ、その時の土台や羅針盤、リトマス試験紙に「人の命を奪ってはいけない、人を殺してはいけない」を置きましょうと私は提案したい。

目の前で起きる圧倒的な状況でも、目を覆いたくなる、気がおかしくなるような修羅場に直面した時でも人でありたい。

知恵を駆使して話しあい、対話の道を選びたい。

どんなに不可能に思えても取り返せる判断を私たちはしたい。

近道と思える安易な暴力を選んではならない。

それは新しい諍いの種を蒔くだけだと歴史が教えている。

取り返せる間違いなら何とか許してもらおう。

起こりうる取り返せない間違いは選択しない事しか避ける手立てはない。私はそう思う。

白旗を掲げる。人は殺さない。暴力は決して振るわない。理解すれば簡単なことです。誰でもできます。

3,それは誰でもできることですか。

訓練したり学習しなくてもできることですか。それはむずかしくはないですか。簡単なことですか。

「何々をやりましょう」と言う時にそのことはとても大事なことだと思います。

訓練や学習が必要ではその時間がある人以外はできません。そもそも訓練や学習では、その段階に到達できない、理解できない人が必ずいます。その段階に到達できた人、理解できた人だけができることなら私はそのやり方をおすすめできません。そのような方法は選択しません。

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の活動においても、誰でもできる簡単なことであることが何より大事だと私は考えています。

今日、この会場に参加している人が「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」のメンバーです。と時々私は言います。来月は来月で同じように言います。

近い将来、会のメンバーは登録制となり年会費などあるかもしれません。それでも、メンバーだからといって何かを強制したりすることはしません。決まりに縛ることも考えていません。

人を縛ることなどそもそもできないのです。不可能なのです。人の気持ちは日々変化します。あるいは成長します。人を大事にしたいのです。その人の生き方や考えを尊重したいのです。

ある日のその時に、ある課題で一致する。そのことが全てだと私は考えています。もちろん、その一致する集団が、「家族会・市民の会」がどんどん膨らみ大きな集団になることを望んでいます。それでも何の強制も働かない集団でありたいのです。あくまでも誰にも束縛されない、本人の自由意思で集まっている、一緒に活動している集団であることをめざしたいと思います。

それは簡単ではないかもしれませんが「家族会・市民の会」はその道を模索していきたいのです。

「誰それさん、来月も必ず来てください」とは言わないようにしています。少しであっても「強制を感ずる」言葉や行動はしないようにしているつもりです。強制することはできないし、仮にできたとしても120%の力を発揮する生き生きした組織にはならないでしょう。

個人が尊重されて、自由な意思と判断で参加することも、不参加を選んでも誰からも非難されたりしない組織を私はめざしたいと考えています。               202411日 黒井秋夫

 

2024年は200万円のご助力を!

★証言集会を各地で開催し「家族会・市民の会」を全国に広げます!

★「家族会・市民の会」は白旗を掲げ、中国を訪問し市民交流を深めます!

ご支援のカンパ振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)*ゆうちょ銀行口座。

★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

会計中間報告(202211日~1130日)

2023年、年初の繰越金 169.539円 20231月~1130日の収支

経費合計 1.261.336円  収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計1.505.098

2023930日現在の残高 413.301

李素楨さんとの交流日誌 1月号 

★初級者コースあります!ご一緒に中国語の達人になりましょう!

李素楨さんのZOOM中国語講座を学んでいます。とても楽しい授業です!

★日中口述歴史文化研究会常務副会長 吉林長春師範大学 教 授 法政大学 講 師 

★PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会

 

PTSDの日本兵と家族の交流館
黒井秋夫 電話08011213888 ホームページ  https://www.ptsd-nihonhei.com 
208-0001
武蔵村山市中藤3-15-4 
メールアドレス  qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
「家族会・市民の会」通信は周辺600世帯と武蔵村山市の市長・副市長さん、市議会議員さん、教育委員会、市立3小に配布。報道各社に配信しています。

1月8日(月)西東京市柳沢公民館に43人の皆さんに来ていただきました。「PTSDの日本兵と家族の思いと願い」の書籍も12冊お買い求めいただきました。
「家族会・寄り添う市民の会」のメンバーが8人、会の呼びかけに応えて参加した方が他に10人ほどいらっしゃいました。
活発な質疑応答があり黒井も励まされる講演会になりました!
2024年の出発にお出でいただいた皆さん、ありがとうございます!今年も手を携え力強く歩いて行きましょう!
東京保険医協会の機関誌『診療研究・2024年1月号』が「戦争とPTSD」を特集しました。
黒井の「父を苦しめた戦争の正体」が掲載されました。
蟻塚亮二さん、竹内真弓さんのお二人の精神科医も投稿されています。
竹内真弓さんは9月3日の東京証言集会に参加されて、北村毅さん、藤岡美千代さんのお話しに衝撃を受けたと書いておられます。
遂に精神科医の皆さんの関心の範囲に「戦争とPTSD」が入りました。歴史的事件と感じています!
戦争体験が兵士だけでなく戦後を生きた人たちの精神にどういう影響があったのか、あるのかが現在を含めて遡って検証されるきっかけになることを期待します。
ぜひお買い求めになりお読みいただきたいと思います。
★東京保険医協会・連絡先
・〒1600023 新宿区西新宿3-2-7 KDX新宿ビル4階 
 東京保険医協会「診療研究」編集部
 FAX0353393449
 Eメール info@hokeni.org
2023年12月25日(月)の朝日新聞。
「渡辺えりの心に残るひととき」は8月15日の「抜け殻だった父」の記事が加藤江里子さんの投書になり、それが渡辺えりさんの「温かい声届け戦争止めたい」に繋がりました!
日本兵のPTSDへの関心が広がっています!
励まされます!

最新ニュース

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会

2023.12月号

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会開催しました。

1029日(日)「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立提案集会をオリンピック記念青少年センター会場参加25人、オンライン参加15人の40人の参加で開催いたしました。今後は「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と名乗り活動いたします。ユープランさんからYouTubeにアップしていただきました。https://www.youtube.com/watch?v=mFp7_Ibu9eQ

1,「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(家族会・市民の会)」活動の5本の柱

*第1の柱 「PTSDの日本兵家族会」を交流の場として全国各地域に働きかけて組織します。

・地域に2人以上で少人数から、毎月一回(以上)のPTSDの日本兵の家族の交流の場を作ります。

*第2の柱 証言集会と証言集会実行委員会を「家族会・市民の会」の主要な活動とします。

・証言集会を東京、大阪から全国に広げます。各地の市民運動に共同開催を働きかけます。2024年は千葉県松戸市で開催を目指します。新潟、福岡、広島、四国、名古屋、札幌、で開催をめざします。

*第3の柱 PTSDの日本兵の家族の体験を証言(家族の証言)として後世に語り継ぎます。

*第4の柱*「家族会・市民の会」の活動を活発に社会に広報します。

・機関紙を月刊で、時機に応じてメールで情報を発信します。

*第5の柱 厚生労働省に「PTSDの日本兵の家族の問題」の解決を要請します。

 

1119日(日)日中国際民間交流会を開催し友好の虹の橋を架け渡しました!

(長春師範大学口述歴史文化院・日中口述歴史研究会・PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会)

・私たちは訪問団を「PTSDの日本兵と家族の交流館」前でお出迎え歓迎いたしました。交流館開設の経緯や「戦争はしません」の白旗を掲げる思いを説明いたしました。国府台陸軍病院の戦争神経症の症例を扱った映像、「でくのぼう 戦争とPTSD」と中国語入り字幕で見ていただきました。

2時間の昼食会は黒井自宅居間で20人以上の乾杯で始まり、和やかな交歓の時間になりました。赤飯や「家族会・市民の会」の自家製デザートが披露されました。

・午后2時からの日中国際民間交流会ではオンライン含めて30人を越える皆さんが集いました。

黒井秋夫が、父親たちの戦争責任と正面から向き合い、戦争をしない社会をめざす会の活動目的をお話しし、中国の人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した父や祖父の所業を子孫として謝罪しました。「家族会・市民の会」の仲間6人も謝罪と各人の思いをお話ししました。

・「家族会・市民の会」から「戦争はしませんの白旗」や「千人針、檄文の入った日章旗」を戦争遺品として訪問団に寄贈されました。

日中国際民間交流会はこのようにして準備され、交流が進みました。そして更に相互交流へとつながろうとしています。20231119日、一滴の水のしずくが大地に放たれました。

共にしようとする何滴ものしずくが続きました。

今は細い流れではあっても、確かに大地を潤す流れになろうする歴史の一筋、一歩が踏み出されたと黒井は感じています。歴史は誰が作るのか。それは一人ひとりの思いから始まり作りだされるのだと私は思います。

一人一人は微力だが無力ではない。無限大の可能性がある。一滴の水がやがて大河にならないと誰が言えようか。今踏み出したこの一歩がいつの日か振り返ったとき歴史の出発点になる。

私はそう確信しています。日中の草の根市民交流万歳!万々歳!

当面の日程

18日(祝日)

講演会(黒井)練馬区柳沢公民館

114日(日)

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・東京」10:0016:00 中藤地区会館

121日(日)

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・関西」13:3016:00 国労会館

212日(日)

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会・東京」10:0016:00 オリンピックセンター

216日(金)

東村山市内中学校で講演会(黒井)

「非暴力・白旗を高く掲げる」が未来を開く!

20231215

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会、PTSDの日本兵と家族の交流館代表 黒井秋夫

「非暴力・白旗を高く掲げる」への賛同が確実に広がっていると私は感じています。そして、「非暴力・白旗を高く掲げる」の行動が世界を変えて行くと考えています。

2023年の現代、暴力が世界を横行しています。力の多寡が価値あるように見えます。しかし、それは砂上の楼閣に過ぎないと私は思います。作り上げる片方からそれは崩れ続けているように私には見えます。

ヨーロッパが地球世界を席巻し支配した16世紀を端緒とする現代世界が21世紀の今、支配開始の起点からアフリカから南米からアジアからの波にヨーロッパが、北アメリカ世界が、日本の帝国主義世界の崩壊が始まり、止まらないように私には見えます。

・ガンジーが言う勇気ある人たちの非暴力の抵抗を私は実践できません。私は弱い人間であり、暴漢に身を投げ出す勇気はありません。察知したらきっと逃げる道を選ぶでしょう。逃げられないとしたら支配に従うでしょう。屈辱に耐えて時の来るのを待つでしょう。面従腹背の日々に耐え時を待つでしょう。

・沈黙に倣えば「白旗を高く掲げよ。生き延びよ」とあの方は言うに違いありません。「卑怯者のためにこそ私はいるのだ」と言うに違いありません。

勇気ある者は勇気を信じ貫けばよい。勇気ないものは屈辱に耐え生き延びよ、それも又正しい生き方だ、何ら恥じることではないとあの方は言うに違いありません。

救いに修行など必要ない。誰でもできる経文、南無阿弥陀仏と唱えるだけで人間は救われるとあの人は言いました。そうだそうだと私は思います。

勇気ある人や強い人、修行ができる人が人間の全てではない。いやむしろそういう人たちはほんの少数なのではないか。

私のように、勇気を持ち合わせない、暴力に立ち向かえない人の方が多いのではないだろうか。

そう言う人たちでも、誰にでも、どんな人にでもできて自分らしく生きていけるやり方や救いが大事なのではないでしょうか。

戦争には理屈が伴う。プーチン大統領にも、ゼレンスキー大統領にも、ネタニヤフ首相にもハマスにも。

彼らは戦争を推進しています。他国民を殺すために自国民の命を犠牲にする戦争を続けています。

私はどんな理由があっても殺人に違いない戦争は支持しません。

そうして築かれる平和も社会も支持しません。

私は人殺しは絶対悪だという立場を支持します。

たとえ一人であろうと誰かの命を犠牲にして築かれる世界を支持しません。暴力で築かれる世界を支持しません。それは必ず反撃を生みます。決して安定した世界を作ることはありません。

私は戦争のない世界をめざします。

戦争のない世界を戦争で作ることはできません。

暴力で作ることはできません。

戦争のない世界は「いかなる戦争にも組しない人たちが多数になって初めて実現する」と私は考えています。

「PTSDの日本兵と家族の交流館」に掲げた初代の白旗は「日本人は二度と戦争をしない証し」として長春師範大学の皆さんに寄贈され海を渡り、今は中国の人たちの手にあります。

2代目が私の妻、さち子さんの手で製造中です。クリスマスの頃には出来上がり、交流館玄関に高く掲げられるでしょう。

「弱い人たちよ、白旗を高く掲げて生きよ」とあの方やあの人がおっしゃっている声が私には聞こえます。

戦争のない世界をめざす旗印として白旗を高く掲げましょう!

2024年は200万円のご助力を!

★証言集会を各地で開催し「家族会・市民の会」を全国に広げます!

★「家族会・市民の会」は中国を訪問し市民交流を深めます!

ご支援のカンパ振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)*ゆうちょ銀行口座。

★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

会計中間報告(202211日~1130日)

2023年、年初の繰越金 169.539円 20231月~1130日の収支

経費合計 1.261.336円  収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計1.505.098

2023930日現在の残高 413.301

李素楨さんとの交流日誌 10月号 

★初級者コースあります!ご一緒に中国語の達人になりましょう!

李素楨さんのZOOM中国語講座を学んでいます。とても楽しい授業です!

 

★日中口述歴史文化研究会常務副会長 吉林長春師範大学 教 授 法政大学 講 師 

「女も男も NO142 2023年秋冬号」「part3戦時から現代に引き継がれているもの」に中村江里さん(80年前の戦争と現在をつなぐ、トラウマインフォームドな平和教育)と村本邦子さん(歴史のトラウマと平和教育)、黒井の(PTSDの日本兵と家族の交流館)が掲載されています。
お買い求めになりどうぞお読みください!
★連載
戦争トラウマ 連鎖する心の傷(全10回)
朝日新聞デジタル版、朝刊(10日から連載)
朝日新聞朝刊でも連載始まる!
12月10日(日)の1面と27面で「戦争トラウマ」が掲載されました。『「斬った」誇るおやじ嫌で嫌で』として武田鉄矢さんがお話ししています。
お買い求めになりぜひお読みください!
著名人が兵士だった父親が戦争PTSDを抱えていたと語り始めました。社会への影響は大きいと思います。
「自分もそうだ」と気づく人が増えるでしょう。
メディアの注目も増すでしょう。
「戦争をすれば心を壊し家族の人生も生活も台無しにするPTSDの兵士が必ず生まれる」が日本の社会に知られる波が広がるでしょう。少しずつ少しずつ世の中が変化するでしょう。
「戦争は良いことなど一つもない。二度と戦争をしてはいけない」という世論に繋げましょう!シンボルの白旗を誇りを持って掲げましょう!
私たちは前進します!
★第8回
優しかった父のアルバムに隠された処刑写真 娘は記憶を胸の奥底に
★4枚続きの写真だった。
 男性が数人、兵隊に引き立てられていた。大勢の見物人の前でうつぶせに地面に寝かせられ、頭を台の上に載せられる。兵士が大きな刃物で首を切り落とす。最後の写真は、生首がいくつも転がっていた。
 異国の服を着た男性たちに、兵士が銃剣を突きつける写真もあった。父の日常風景を撮った写真の合間に、そうした戦争の写真が何枚も貼ってあった。異様なアルバムだった。
 その後、何が起きたのか、はっきりとは覚えていない。
 父が、玄関戸のつっかえ棒を握りしめていた。何度も、何度も殴られた。頭をかばった腕が、みるみる腫れ上がった。
★今年9月、そんな筒井さんに一つの出会いがあった。
 東京都武蔵村山市のホールで、「PTSDの日本兵と家族の思いと願い 東京証言集会」という集まりがあることを知り、いてもたってもいられず、住んでいる長野県から上京した。
 最寄り駅まではたどり着いたものの、バスの乗り方が分からない。バス停で近くにいた女性(68)に話しかけた。千葉県から来たという女性は、親切に教えてくれた。車内では隣同士で座った。目的地も同じだった。
 女性は、筒井さんがせきを切ったように父の話をするのを、うなずきながら聞いた。女性の父もまた、戦争で心に傷を負っていた。
★証言集会では、筒井さんと並んで座り、戦争でトラウマを受けた元兵士の父や祖父のことを打ち明ける人たちの話を熱心に聞いた。無気力、酒浸り、虐待。3世代にわたって虐待が連鎖している家族もいた。
 「一緒に分かち合ってもいいんだ」とようやく思えた。「思い切って足を運んで、本当によかった。人生の転換点だったのかもしれません」(後藤遼太)
朝日新聞デジタル版で『戦争とトラウマ、連鎖する心の傷』が10月に続いて連載されます‼️
第7回目は武田鉄矢さんです。
朝刊では9日から連載と聞いています。
どうぞお買い求めになりお読みください
★「市原和彦文庫」開設しました!
 2022年7月から毎月、子ども向け本と菓子が届きます。
 横須賀市の市川和彦さんからの贈り物です。
 市川さんの復員兵の父親は妻に(市川さんのお母さん)に酒を
 飲んでは暴力を振るったり悪口をぶつけました。
 市川さんはNHKの「ネタドリ」で父親が死んだとき「涙一つこ
 ぼれなかった」「ざまあみろと思った」とお話ししています。
★「子どもたちに読んでほしい。食べて欲しい」市川さんのお心
 に心から感謝申し上げます!
 これからもよろしくお願いいたします。
★「イスラエルとパレスチナを結ぶ
日本人学生たち」を応援します!
・12月5日(火)のNHKでも報道されました。
 「対話を続けよう」という学生たちの活動に心から賛同しま
 す。それは私たちがめざす「どんなに時間がかかっても暴力で 
 はなく話し合い」「戦争ではなく白旗を掲げる」に繋がってい
 ると思います。

11人は微力だが無力ではない。

無限大の可能性がある。

一滴の水がやがて大河になる。

今、踏み出したこの一歩がいつの日か振り返ったときに歴史の出発点になる。

1124日(金)中国訪問団の皆さんは無事に帰国されました。

1119日の国際民間交流会の共催者「日中口述文化研究会」のお話しによれば、日本が起こした戦争に正面から向き合う「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の平和活動を目の当たりにした強い印象を再三お話しされたという。

日本で温かいもてなしを受けたとお話しされたという。

また「家族会・市民の会」は中国訪問したいという希望を訪問団の皆さんにお伝えしました。

 

私たちは訪問団を「PTSDの日本兵と家族の交流館」前で勢ぞろいしてお出迎えし歓迎いたしました。交流館開設の経緯や「戦争はしません」の白旗を掲げる思いを説明いたしました。

交流館では国府台陸軍病院の戦争神経症の症例を扱った映像、「でくのぼう 戦争とPTSD」と中国語入り字幕で見ていただきました。

 

2時間の昼食会は黒井自宅居間と和室で20人以上が立ち上がり、乾杯の音頭で始まり、和気あいあい和やかな交歓の時間になりました。赤飯がお膳を飾り、「家族会・市民の会」の皆さんそれぞれが自宅で作成したデザートが披露されました。また、会員の庭に咲く菊の花が室内に深秋の芳香を放ちました。

 

午后2時からの日中国際民間交流会ではオンライン含めて30人を越える皆さんが集いました。

「家族会・市民の会」を代表して黒井秋夫が、父親たちの戦争責任と正面から向き合い、戦争をしない社会をめざす会の活動目的をお話ししました。その中で多くの中国の人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した父や祖父、日本軍兵士の所業を子孫として謝罪しました。

「家族会・市民の会」の仲間6人が侵略戦争への謝罪を含めて各人の思いをお話ししました。

日中口述文化研究会からのご挨拶、中国訪問団のご挨拶を受けて、「家族会・市民の会」から「戦争はしませんの白旗」や「千人針、檄文の入った日章旗」を戦争遺品として訪問団に寄贈されました。

 

日中国際民間交流会の席上で、来年2024年に黒井秋夫は父の初任地公主嶺を含む中国を訪問したいと訪問団の皆さんに宣言いたしました。何人かの「家族会・市民の会」のメンバーからも「訪問したい!」との希望がその場で表明されました。

 

日中国際民間交流会はこのようにして準備され、交流が進みました。

そして更に相互交流へとつながろうとしています。

 

20231119日、一滴の水のしずくが大地に放たれました。

共にしようとする何滴ものしずくが続きました。

今は細い流れではあっても、確かに大地を潤す流れになろうする歴史の一筋、一歩が踏み出されたと黒井は感じています。

歴史は誰が作るのか。

それは一人ひとりの思いから始まり作りだされるのだと私は思います。

 

一人一人は微力だが無力ではない。

無限大の可能性がある。

一滴の水がやがて大河にならないと誰が言えようか。

今踏み出したこの一歩がいつの日か振り返ったとき歴史の出発点になる。

私はそう確信しています。

 

日中の草の根市民交流万歳!万々歳!

長春師範大学日本訪問団の皆さんを迎えて

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」代表・黒井秋夫ご挨拶

20231119

 

(当日の挨拶資料では段落ごとにパワーポイントが入っていますが、ここでは表示できないので省いています。パワーポイント含め全文必要な方はメールでお送りいたします)

 

欢迎长春师范大学访问日本代表团

“PTSD日本兵家属会/市民共情会代表黑井秋夫致辞

 

20231119

 

私は「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の代表黒井秋夫と申します。

長春師範大学の皆さんを心から熱烈に歓迎申し上げます。

皆さんと「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」との国際民間交流会が実現したことを心から嬉しく

思います。

この交流会を提案いただいて準備いただいた日中口述歴史研究会の李素楨先生に心から感謝申し

上げます。本当にありがとうございます。

我叫黑井秋夫,是“PTSD(创伤后应激障碍)日本兵家属会/市民共情会的代表。

谨向从长春师范大学远道而来的朋友们表示衷心的热烈欢迎。

贵学院与“PTSD日本兵家属会/市民共情会之间的国际民间交流活动能够成为现实,我深感欣慰。在此由衷地感谢日中口述史研究组李素桢教授提议并帮助安排本次交流会。

非常感谢。

PTSDの日本兵家族会」のメンバーは父親が日本軍兵士として中国を始め東南アジア戦線に従軍侵略

し、その地の多くの人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した兵士の子ども、孫です。

日本軍兵士として従軍した戦争加害者の父親の所業を長春師範大学の皆さんに国際民間交流会の場で

心からの謝罪をしたいと思います。本当に申し訳ありませんでした。お許しください。

今はあの世に逝きましたが、自分たちの犯した罪を心から悔いているであろう父親たち、祖父たちを、いつ

の日かお許しいただきたいと子どもとして孫として切に請いお願い申し上げます。

“PTSD日本兵家属会的成员是由,和我父亲一样曾在中国和其他东南亚前线服役并实施侵略,在那里杀害了许多人,窃取了当地的财产并摧毁了他们的生计的,日本士兵的子女,孙子孙女组成。

在这次国际民间交流活动上,在长春师范大学的各位面前,对于我的父亲,一个在日军服役的战争加害者的所作所为。我想从心底里道歉。真的非常抱歉。请求大家的宽恕。

虽然现在他们已经去世了,但是作为他们的后代,想起父辈和祖辈也曾发自内心地忏悔自己的罪行,在这里真诚的请求大家的宽恕。

PTSDの日本兵家族会」の父や祖父たち日本軍兵士が侵略者・加害者としての戦争体験を原因として

PTSDを発症し、共に暮らした家族もそのことにより苦しんでいる現状があります。

この事実は日本では軍や時の政権により国民に隠され、未だにこの事実を知る人はまだまだ多くありませ

ん。

この歴史的事実を広く知っていただくために「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」を設立して私

たちは活動しています。

“PTSD日本兵家属会成员的父辈和祖辈的日本军人都是因为他们作为侵略者和加害者的战争经历,患上了有创伤后应激障碍(PTSD)综合征,同时由于他们的患病,住在一起的家庭成员也同样饱受痛苦。

军方和当时的政府向人们隐瞒了这一事实,至今知道这个事情的人还不多。

为了让这个历史事实广为人知,我成立了“PTSD日本兵家属会/市民共情会并开展活动。

PTSDの日本兵家族会」の父親や祖父たちは戦争体験が原因で精神が破壊されトラウマ・PTSDに終生苦

しみ、自殺したり、家族に暴力を振るったり、アルコール依存症になったり、無気力症状で労働ができません

でした。そのため「PTSDの日本兵家族会」のメンバーもまた、成長段階から父親から受けた暴力などの影

響を精神的に強く受けて今も苦しんでいるのが現状です。

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は日本がニ度と戦争をしないこと、世界から戦争がなくなる社

会をめざして活動をしています。訪問団の皆さんに私たちの思いを以下の資料を使いお伝えしたいと思いま

す。

“PTSD日本兵家属会成员的父辈和祖辈们因战争经历而遭受精神摧残,并在余生中饱受创伤和创伤后应激障碍的折磨。

他们自杀、对家人施暴、酗酒或因昏昏欲睡而无法工作。因此,“PTSD日本兵家属会的成员也从小就受到父辈暴力的影响,很多人至今还承受着痛苦。

“PTSD日本兵家属会/市民共情会是一个致力于确保日本不再陷入战争、为了在世界范围内实现没有战争的社会而活动的团体。

我们想通过以下资料信息向来访团传达我们的想法。

なお、「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」の代表の黒井秋夫は来年、2024年に父親・黒井慶次

郎の初任地、吉林省公主嶺を含む中国を訪問したいと考えていることをお伝えいたします。

此外,“PTSD日本兵家属会/市民共情会代表黑井秋夫计划于明年2024年访问中国,此行将包括父亲黑井庆次郎初次服兵役的地点吉林省公主岭地区。

黒井秋夫の父、黒井慶次郎は191239日に小作農民の9人兄弟の9番目に生まれました。

193220歳で招集され吉林省公主嶺が初任地で独立守備隊歩兵第一大隊第3中隊に配属されまし

た。

父が残した軍隊時代のアルバムのメモによれば、日本軍は、当時日本が「匪賊」と呼びましたが中国の農

民兵やそこに居住する人たちを襲い、命を奪い、財産を奪い、生活を破壊する残虐な作戦に従事したと思

われます。その後2年間、父は黒竜江省に転戦して1934年に上等兵に昇進して一旦帰国しました。

黑井秋夫的父亲黑井庆次郎出生于191239日,是佃农家庭的九个孩子中的第九个。

193220岁时参军,后隶属独立守备队步兵第一大队第3中队,被分配到吉林省公主岭。

据我父亲当年当兵时留下的相册里的笔记记载,日本军队袭击当时被日本称为匪贼的中国民兵和当地居民,夺走生命,窃取财产,破坏生计。

接下来的两年里,我父亲被调到黑龙江省,并于1934年晋升为上等兵并一度返回日本。

1941年に私の父は再度召集されて黒竜江省、吉林省、山西省、揚子江沿岸を転戦して1945年、宜昌

付近で敗戦となり捕虜になりましたが1945年には軍曹になり15人前後の部下を持ち戦争を指揮してい

たと思われます。そして父は194634才で日本に帰国しました。その2年後に私は黒井慶次郎の次男

として生まれました。

1941年,父亲再次应征入伍,先后在黑龙江、吉林、山西、长江沿岸作战,1945年在宜昌附近战败并被俘,但在1945年,他成为一名中士,指挥着大约15名部下。

1946年,34岁的父亲回到日本。两年后,我作为黑井庆次郎的第二个儿子出生。

軍隊時代の父のアルバムのメモには「昭和維新をかざる導士たらねばならない」といった勇ましい文言が並び、数多くの戦闘に参加したことが読み取れます。しかし、私が知る戦地から帰国後の父・慶次郎は、アルバムから連想されるような活動的な人物では全くありませんでした。

父は、私が幼い頃から一度も定職に就くことなく、周囲との付き合いもなく、言葉を発することさえほとんどない暗い笑顔のない人間でした。父が定職に就かないため、一家は貧しい暮らしを強いられました。さらに、父は1人で何かを行うことを極端に怖がり、病院に行ったりするにも母を伴わないと行くことができませんでした。

父亲的军旅笔记中,有一定要成为领导昭和维新的领袖等大义凛然的话语,可见他参加过许多战斗。然而,我所认识的从战争归来后的父亲庆次郎,根本不是像能与这些笔记联系在一起的人物。

从小到大,父亲从来没有正式的工作,从不与周围的人交往,性格阴郁,不苟言笑,很少说话。由于父亲没有固定工作,一家人的生活陷入贫困。而且父亲非常害怕自己做事,连去医院都必须有母亲陪同。

なぜこんな状態なのか この親のせいで貧乏なくらしをさせられていると、理由も分からないまま、ただただ働かない無気力な父親の姿を見て、私は次第に反感を募らせていきました。

一家の主としても失格だし、父親としても失格だし、尊敬とは真逆でこういう男には絶対になるまい、家族に貧乏を強いるような人間には絶対なるまいと思い大人になりました。

そして父親や家族の貧しい生活の事は周りの人には言えませんでした。隠していました。

为什么会变成这样,我觉得因为父亲的缘故让我过着贫困的生活,当我看到他是一个昏昏欲睡、不知为何不工作的父亲时,我渐渐开始怨恨他。

我认为他没有资格做一家之主,没有资格做一个父亲。在长大承认的过程中,时刻想着不能成为他那种,与我所尊敬的人完全相反的,迫使家人陷入贫困的人。

我也从未把父亲的事,和家庭贫困的事向周围诉说。一直有所隐瞒。

 

201512月、ベトナム戦争に従軍したアメリカの海兵隊員アレンネルソンさんのDVD講演を視聴しました。彼は、帰国後戦場で受けた精神的なストレスからPTSDを発症し、家族へ暴力を振るい一緒に暮らせなくなってホームレスになり家族は崩壊しました。涙ながらに経験を語る海兵隊員の姿と、家で言葉も発さずただただ無気力だった父、慶次郎の姿が重なって見えました。そして私は一瞬にして理解しました。父も又、このアメリカ海兵隊員のように戦争体験で心を壊しPTSDを発症したに違いないと思いました。父、慶次郎は戦地での体験を人知れず抱え、苦しんでいたのだと思い当たりました。

これがきっかけになり2018年「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を1人で設立し2020年に「PTSDの日本兵と家族の交流館」を開館しました。

201512月,我观看了参加过越战的美国海军陆战队员艾伦·尼尔森的DVD讲座。由于在战场上受到的精神压力,他患上了创伤后应激障碍(PTSD),并且由于他对家人的暴力行为,他无法与家人住在一起,变得无家可归,家庭破裂。当我看到这位海军陆战队员泪流满面地谈论他的经历,我联想到了父亲庆二郎的形象,他也只是昏昏欲睡,在家里不说话。我立刻明白了。我想我的父亲一定因为战争经历而患上了创伤后应激障碍(PTSD),就像这位美国海军陆战队员一样。我意识到我的父亲庆二郎正在暗中承受着战场上的经历。

这促使我在2018年成立了一个小组,供患有 PTSD 的日本复员士兵及其家人进行讨论,并于2020年开设了患有PTSD的日本士兵及家属交流馆

アジア・太平洋戦争中の1938年に国府台陸軍病院が戦争神経症の専門病院として秘密裏に作られました。最後の病院長諏訪敬三郎は関係者に「陸軍病院の目的や研究実態を50年間は口外してはならない」とかん口令を敷きました。関係者が口をつぐんだために国府台陸軍病院の実態は未だに不明確なままです。

国と日本軍は「軍隊の士気退廃、国民精神の堕落である心因性の神経症は皇軍には存在しない」と

軍医たちに噓を言わせ、「戦争神経症日本兵(PTSDの日本兵)の存在」を社会に隠しました。

1938年亚州/太平洋战争期间,日本秘密成立了国府台陆军医院,作为战争神经症专科医院。该医院的最后一任院长诹访敬三郎向相关人员发出了禁言令:“50年内不得泄露军队医院的目的或其研究状况。由于相关人员保持沉默,国府台陆军医院的实际情况尚不清楚。

政府和日本军方表示,皇军中不存在精神性神经症,即军心下降和民族精神下降。他们强迫军医撒谎,并向社会隐瞒了患有战争神经症的日本士兵(即患有创伤后应激障碍(PTSD)的日本士兵)的存在。

 

米軍の統計によればベトナム戦争、アフガン・イラク戦争などに従軍した米兵の20%~50%が

戦争神経症(PTSD)を発症すると言います。この数値をアジア太平洋戦争に従軍した日本兵に換

算すると200万人から400万人に該当します。これは戦死した日本兵230万人と同程度になり

ます。

据美国军方统计,参加过越南战争、阿富汗战争、伊拉克战争等的美军士兵中,有20%50%患有战争神经症(PTSD)。将此数字换算为参加亚太战争的日本士兵。这相当于200万到400万人。这相当于日本阵亡的230万士兵的数目。

 

上記のように「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」、「PTSDの日本兵と家族の交流館」の活動が数多くのメディアに紹介されるようになりました。

日本の国営放送NHKや朝日新聞など日本の3大全国紙はじめ地方新聞含めて40紙以上、またビックイシューなどの冊子でも報じられています。

幅広く報道されて「日本兵の戦争神経症(PTSD)と連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」が段々と日本の人たちに認識されるようになっています。多くの人たちの共感の輪が広がっています。

如上所述,与患有创伤后应激障碍的日本复员军人家属座谈会患有PTSD的日本士兵及家属交流馆的活动已被多家媒体介绍。

包括日本国家广播公司NHK、朝日新闻等日本三大全国性报纸、地方报纸以及《Big Issue》等小册子在内的40多家报纸对此进行了报道。

经过广泛报道,日本民众逐渐意识到日本士兵及其家属的战争神经症(PTSD)问题。许多人的同感正在扩大。

日本兵の戦争神経症(PTSD)の問題は過去のできごとではありません。暴力の連鎖は家族間の虐待として連鎖して今でも多くの人たちが苦しんでいます。

日本軍兵士の戦争神経症(PTSD)含めその原因は日本が始めた明治維新以来の侵略戦争が原因です。一切の責任は国家にあります。国は実態をただちに調査し「日本兵の戦争神経症(PTSD)と連鎖して苦しむ兵士の家族の問題」の解決に当たるべきです。

日本士兵的战争神经症(PTSD)问题并非过去的事件。暴力循环随着家庭成员之间的虐待而继续,许多人仍然遭受痛苦。

日本士兵的战争神经症(PTSD)的根源是日本明治维新后开始的侵略战争的结果。所有责任均由国家承担。政府应立即调查实际情况,并尽力解决日本士兵患有战争神经症(PTSD)的士兵家属问题

2020823日、日中口述歴史研究会の李素楨さんが「PTSDの日本兵と家族の交流館」に研究のお仕事で来館されました。

出身地が吉林省公主嶺と聞いて黒井は本当に驚きました。公主嶺は20才で招集された父、黒井慶

次郎の初任地だからです。従軍侵略し、その地の多くの人たちの命を奪い、財産を奪い、生活を破壊した

ことを、死んだ父黒井慶次郎が自分に代わって「中国人にひどいことをしたから謝罪してほしい」と、公主嶺

出身の李素楨さんを呼んだと直感しました。

黒井はその場で「公主嶺の人たちに残虐な事をした父の罪を許して欲しい」と謝罪しました。そうしたら李素

楨さんは寛容なお心を示され黒井の肩を抱いて手を握って「日中友好、日中友好」との言葉をかけていただ

きました。黒井は感動して泣きました。このことは佐賀新聞、南日本新聞、山形新聞などで「溝埋める交流」

とのタイトルで報道されました。

2020823日,中日口述历史研究组李素楨来到患有PTSD的日本士兵及家属交流馆进行研究工作。

黑井一听说李素楨出生在吉林省公主岭,感到非常惊讶。因为已故的父亲黑井庆次郎,初次服役的地点就在公主岭地区。我感觉到冥冥之中,是我的父亲黑井庆次郎想要为他所犯下的掠夺生命财产,破坏生计的侵略行为赎罪,我仿佛听见他在说:我对中国人民做了很可怕的事情,所以我希望你代替我向他们道歉。并请公主岭出身的李素桢教授过来接受道歉。

黑井当场道歉说:我的父亲对公主岭的人民犯下残酷的罪行,非常抱歉。然后李素楨伸出手臂搂住黑井的肩膀,握住他的手,说道:中日友好,中日友好。黑井感情激昂得流下了眼泪。佐贺新闻、南日本新闻、山形新闻等对此进行了题为《弥合鸿沟的交流》的报道。

日本が始めた戦争は2千万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を私たちの父親・日本兵は奪いました。特に主な戦場となったアジアで、日本軍に襲われた人たちの子孫の多くが今現在もPTSDに苦しんでいることは確実です。中国、朝鮮半島、アジアにはPTSDを発症した日本兵と私たち家族の10倍以上の1千万人以上の人たちが、今もなお苦しんでいる、連鎖して続いていることも確実だと私は推測いたします。

日本が起こした戦争、父親たちがなした所業は本当に罪深いと言わねばなりません。

日本发动的战争夺去了2000余万亚洲人民以及同盟国士兵和公民的生命,可以肯定的是,许多遭受日军袭击的人的后代,尤其是在亚洲这个主战场,仍然患有创伤后应激障碍。中国、朝鲜半岛和亚洲有超过1000万人患有创伤后应激障碍,是日本士兵和我们家人人数的10倍以上,而且连锁反应肯定会持续下去。我猜是这样的。

我必须说,日本发动的战争和我们的父辈的所作所为确实是罪孽深重。

 

日本が明治維新以来70年以上も自ら起こした中国、朝鮮、アジアへの侵略戦争は日本はもとより、アジア諸国民に今もなおPTSDの発症と連鎖など取り返しつかない甚大な被害を作り出しています。

戦争や武力、暴力では諸問題を何一つ解決できないことは日本の戦争の歴史から明らかです。

日本自明治维新以来对中国、韩国和其他亚洲国家发动的侵略战争已经持续了70多年,至今仍在造成巨大的、不可逆转的损害,包括创伤后应激障碍(PTSD)的发展和连锁反应,不仅对日本,而且对全世界都造成了巨大的、不可逆转的损害。其他亚洲国家的人民。

日本的战争历史清楚地表明,战争、武力、暴力解决不了任何问题。

私たちは次の世代の子どもたち、若い人たちに「戦争のない世界をめざしましょう」と伝える活動を続けています。そして私たちの訴えは子どもたち、若い人たちに確実に伝わっています。

 

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」は訴えます。

日本人である私たちは二度と戦争はいたしません。二度と銃を人間に向けません。

もしも戦争という事態になったら誇りを持って白旗を掲げます。

「戦争のない世界をめざしましょう!」

我们将继续开展活动,向下一代儿童和青少年传达让我们建立一个没有战争的世界。我们的呼吁肯定会传达给儿童和年轻人。

 

“PTSD日本兵家属会/市民共情会发出呼吁。

作为日本人民,我们永远不会再次陷入战争。我再也不会用枪指着任何人了。

如果发生战争,我会自豪地举起白旗。

 

让我们建立一个没有战争的世界!

毎日新聞2023年11月12日(日)9面「語る」でPTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会の設立が報じられました!お買い求めになりぜひお読みください。

昨日29日(日)「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立提案集会をオリンピック記念青少年センター会場参加25人、オンライン参加15人の40人の参加で開催いたしました。今後は「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と名乗り活動いたします。
昨日の「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立提案集会がユープランさんからYouTubeにアップしていただきました。
2時間半ですがぜひご覧ください。
★当日の基本資料を以下公開いたします。
★10.29「PTSDの日本兵家族会・寄りそう市民の会設立提案集会
1,呼びかけ会プログラム
★日時10月29日(日)14:00~16:30 オリンピック記念センター(セ510)とオンライン
①各地域の活動を交流します(各20分)
・PTSD日本兵家族交流会(関西)の活動経過・内容とめざすこと(家族交流会関西支部)
・松戸「沖縄とつながろう!」実行委員会の活動経過とめざすこと(松戸)
・PTSD日本兵家族交流会(東京)の活動経過・内容とめざすこと(東京家族交流会)
・「家族会・市民の会」組織と活動イメージ(作成者)
・メッセージ 中村江里さん
②「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(家族会・市民の会)」設立を提案します(黒井秋夫)
③参加者どうしの意見交流
★当日運営
・受付で事前申込者を確認します。事前申込者含めて住所氏名記入用紙をお渡しし回収します。
・オンライン発言者、参加者をスクリーンに映してプログラムを進行します。
・時間管理を小泉恵美さんにお願いします。
・16時半に終了し、17時には施錠して退出します。
・集会終了後、簡単な交流会を企画します。
2,「家族会・市民の会」設立の意義目的の論議を今後も続けます。
★「PTSDの日本兵と家族の問題」は「日本の戦争を振り返り平和をめざす活動であり、与野党を問わない国民的な課題」を担うにふさわしい「自由で民主的で力強い活動組織」に成長発展したい。
(参考)東京証言集会、冒頭ご挨拶➡現状の私たちは取り上げていただくほどの組織力もない未熟な
発展途上の未だ弱小な活動組織と自覚しています。それでも、背負っている課題は原爆被爆者
の問題や戦没者などと同列の重要な戦争と平和のテーマと考えています。「PTSDの日本兵と家
族の問題」はそれらと同様に与野党を問わない国民的なテーマとも考えています。
(1)「家族会・市民の会」の組織イメージ。
・参加する個人が尊重される。
「家族会・市民の会」では発言者は大きな声を出さない、威嚇的発言をしない、発言を途中でさえ
ぎらない、最後まできちんと気持ち良く話せる、聞いてもらえる運営をします。
・「家族会・市民の会」はそれぞれが尊重され自主的で自立した地域分散型の組織をめざします。
・「家族会・市民の会」どうしは活発に交流し学び合い連帯して活動の進展をめざします。
(2)「家族会・市民の会」を待ちではなく大阪の先例のように、講演会・証言集会などを地域に呼
び掛け積極的、計画的に作ることをめざします。
3,「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(家族会・市民の会)」活動の5本の柱
*第1の柱 「PTSDの日本兵家族会」を交流の場として全国各地域に働きかけて組織します。
・地域に2人以上で少人数から、毎月一回(以上)のPTSDの日本兵の家族の交流の場を作ります。
・「PTSDの日本兵家族会」は相互に交流し、運営の手法など学び合えるようにします。
・「PTSDの日本兵家族会」の全国連合も展望します。
*第2の柱 証言集会と証言集会実行委員会を「家族会・市民の会」の主要な活動とします。
・証言集会を「私の父親もPTSDの日本兵だったのではないか」という当事者の気づきと掘り起しの
場として地域ごとに開催します。
・証言集会を東京、大阪から全国に広げます。各地の市民運動に共同開催を働きかけます。
2024年は千葉県松戸市で開催を目指します。(黒井の自宅がある)新潟と福岡、広島、四国、名古屋、札幌、には語り合う会ニュースの読者がいますので開催を働きかけます。
・数年後に全国証言集会を東京で開催します。
*第3の柱 PTSDの日本兵の家族の体験を証言(家族の証言)として後世に語り継ぎます。
・家族の証言を映像、文章で保存し「家族会・市民の会」のホームページ(現・語り合う会HP)に
保存します。
・家族の証言の公開は、その方法、基準を定めます。
*第4の柱*「家族会・市民の会」の活動を活発に社会に広報します。
・機関紙を月刊で発信します。郵送250人(箇所)、メール600人(箇所)。
・時機に応じてメールで情報を発信します。600人(箇所)。
・「家族会・市民の会」の主張の発信方法・ルール、HP管理、月例ニュース発行、講演活動
*第5の柱 厚生労働省に「PTSDの日本兵の家族の問題」の解決を要請します。
・厚生労働省、しょうけい館に「家族会・市民の会」の要求を定め提出し話し合いを続けます。
4,「家族会・市民の会」設立に必要な事柄
(1)「家族会・市民の会」の活動の目的、目指すことを明記する。
「(例)日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる平和な社会」をめざす。
(2)規約を制定します。
・会員の資格、権利と義務、役員体制、総会など。
(3)民主的組織運営と体制を作ります。
・運営をリードする事務局体制を整備します。
・中央事務局を考えます。東京、大阪、(松戸市)、各地域に地域事務局を考えます。
・中央事務局と地域事務局との関係を整備します。
(4)「家族会・市民の会」の財政を整備します。
今日からは
「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」と
名乗り活動します!
5,2023年の日程
・10月29日(日)「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会(オリンピック青
年センター会場参加とオンライン参加)14時~
・11月12日(日)・家族会交流会(中藤地区会館)10時~12時
        ・パレスチナ・イスラエル問題の学習会(13時~14時半)を広く呼びかけ開催し
ます。講師は宇野昌樹さんです。
        ・11.19国際交流会運営を相談(14時半~16時半)します。
・11月19日(日)「長春師範大学日本訪問団」と「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」との
国際交流会
・11月26日(日)大阪証言集会実行委員会(国労会館)13:30~
・12月17日(日)東京証言集会実行委員会・PTSDの日本兵家族会交流会(オリンピックセンターを
予定)10時~16時
20231029 UPLAN 黒井秋夫「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会
YOUTUBE.COM
20231029 UPLAN 黒井秋夫「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会

腑に落ちた土井敏邦さんの「ハマス・イスラエル軍戦争」の論説を紹介します(黒井秋夫)

 

なぜもう一つの“テロ”を無視するのか―ガザ情勢への私見―土井敏邦ジャーナリスト

なぜもう一つの“テロ”を無視するのか―ガザ情勢への私見―(土井敏邦) - エキスパート - Yahoo!ニュース
10/12(木) 20:50
イスラエルの空爆で破壊されたガザ市内(2023年10月)/撮影・ガザ市民
【「ハマスのテロ」の衝撃】
 10月7日に始まったイスラム組織「ハマス」によるイスラエルへの奇襲攻撃とイスラエル側の報復の報道が連日、国際報道のトップニュースになっている。
 私はちょうどその日、山形国際ドキュメンタリー映画祭に参加するために山形のホテルにいて、8日早朝、連れ合いからの電話で初めてその事件を知った。
 まず驚いたのはイスラエル側の百人単位(当時)の犠牲者の数だった。約50日間続いた2014年ガザ攻撃でもイスラエル側の犠牲者は73人。それに対して1日で百人単位の死者を出すハマス側の攻撃とは一体どんなものだったのか、電話による情報からは詳細を知ることができなかった。ただその犠牲者数からして、今回のイスラエル側からの報復は、これまでの数回のガザ攻撃とはまったく異次元の凄まじいものになることは予想ができた。私の脳裏に、ガザで暮らす多くの友人、知人たちの顔が浮かんだ。彼らはどうなるのか、と。
 10日(火)の早朝、ホテルのテレビでNHK・BS1の国際ニュースで、ハマス側が短時間に5000発を超えるロケット弾をテルアビブなどイスラエルの都市に向けて発射したこと、国境の壁を破ってハマスの武装集団がイスラエル側に侵入したことを映像で詳細に知った。
 そのニュースの中で私が最も衝撃を受けたのは、国境近くでの開かれていたイスラエルの野外音楽イベント会場にハマスの武装集団が侵入し無差別に発砲、260人以上のイスラエル人を射殺したというニュースだった。紛れもなく「テロ」「虐殺」である。
 ハマス側は、「自分たちがやられたことをやり返すのだ!」と言い放つのだろうか。これまでパレスチナ側は、イスラエルによる空爆で無差別に子どもを含む市民が殺害される事態を「イスラエル側の非人道的なテロ」として国際世論に訴えてきた。しかしハマスのこのような虐殺行為は、パレスチナ人側の“道義的な正当性”を失わせる。ハマスが「奪われた故郷の回復」「占領との闘い」を名目に行った今回のようなテロは、パレスチナ人への国際世論の支持を失わせ、ガザの民衆が置かれた状況を改善することには決してつながらない。
2014年ガザ攻撃で家を破壊された少年/撮影・土井敏邦
【ガザ住民のハマスへの失望と怒り】
 私は2008~2009年、そして2014年のガザ攻撃の現場を取材してきた。「ハマスがロケット弾をイスラエルに撃ち込めば、イスラエルはその数百倍の報復をする」ことは、これまでの経験からハマスも民衆も熟知している。そしてその報復の最も甚大な被害を受けるのは、攻撃したハマスではなく、民衆だ。戦闘中は、「ガザを解放するために闘っている」というハマスの主張を信じていた民衆は、戦後、住む家を失い、生きていく糧も失っても、ハマスとその政府からはほとんど救済の手をさしのべることもなかった。「甚大な被害を修復する資金がない」とハマス政府は、カタールなど湾岸諸国の支援を求めた。その一方でハマスは次の攻撃のために、ロケット弾を量産する資金は確保していたのだ。「5000発以上のロケット弾を放った」というニュースに、私の脳裏に真っ先に浮かんだのは、「ガザの民衆がこれほど貧困で喘いでいるなか、どこにそんな資金があったのか?」という驚きだった。
 2014年ガザ攻撃の最中、イスラエルの空爆と砲撃で家を破壊されたある住民は、「ハマスは私たちのため闘ってくれている」と私のインタビューに答えた。しかし1年半後、その住民は「ハマスに騙された。こんな政府の下で暮らしたくない。もうガザを脱出したい」と怒りをぶつけた。戦後、復興もままならず、住む家もなく、仕事も失い、生きる糧さえ失った住民は、インタビューする私にハマスへの失望と怒りを露わにした。外国人ジャーナリストへのハマス批判は危険を伴うが、そうせざるをえないほど、彼らの怒りは抑えがたいものになっていた。
 しかしそれは表面に出ることはほとんどない。数年前、若者たちがジャバリア難民キャンプを中心に大規模なデモを行い、「私たちを食べさせろ!私たちを生きさせろ!」と訴えた。しかし、あっと言う間にハマス政府当局に武力でねじ伏せられた。海外メディアで報じられることもほとんどなかった。
 10月12日の朝、ガザの知人が、「今はハマスの攻撃を大多数の住民が支持している」とメールで伝えてきた。日常的にイスラエルの封鎖と攻撃に苦しめられている住民が、イスラエル側に多数の犠牲者を出したハマスの攻撃に「イスラエルに一矢を報いた」と溜飲を下げているのだろうか。しかしこの「支持」は2014年攻撃と同じように、戦後、破壊と中で支援もなく生きることを強いられたときに、「ハマスへの失望と怒り」へと変わっていくだろうと私は予想する。
 私たちはハマスもガザ民衆も「ガザのパレスチナ人」として一括りして見がちだ。または「多くのガザ住民はハマスを支持しているから、ハマスと一体だ」と考える。しかし、ガザで民衆の声を丹念に聴いて回ると、ハマスと一般民衆とは大きく乖離していることを実感する。2007年にハマスがガザを実効支配して以来、住民の生活は改善するどころか悪化の一途をたどっている。イスラエル占領時代にイスラエルへ出稼ぎに出ていたある老男性が私のインタビューの中で、「イスラエル占領時代の方がずっとよかった」と吐露した。「占領からの解放」のためにあれほどの犠牲を払ってきたパレスチナ人に、「占領時代がよかった」と言わせてしまう政府とは、いったい何なのか!30数年間、パレスチナ人のイスラエル占領からの解放の闘いを取材してきた私は、そんな絶望的な声に愕然とした。
2014年ガザ攻撃で病院に避難した少女/撮影・土井敏邦
【語られない“占領”というテロ】
 今回の情勢を伝える海外のメディア報道を観ながら、私はどうしようもない違和感を覚えることがある。
 欧米の首脳たちが一斉に、ハマスのイスラエル攻撃を「テロ」と非難し、その「テロの被害者」であるイスラエルへの全面的な支持を表明したことである。それは、このガザ情勢があたかも10月7日のハマスの攻撃によって始まったかのような口ぶりだ。
 このハマスの攻撃の根底には、長年、ガザが封鎖状態に置かれ、実質的に“占領”されているという現実が欧米諸国の首脳たちの発言からはすっぽり抜け落ちている。また「自治区」ヨルダン川西岸でも、半分以上の地域がすでにイスラエルに実効支配され、西岸全体に点在するユダヤ人入植地によってパレスチナ人地区が日々侵蝕・分断され、その入植者たちによって日常的にパレスチナ人住民の生命と財産が脅かされている現実、そしてもう「パレスチナ国家」のための基盤が完全に奪われつつある現実には欧米の指導者たちはまったく言及しないのだ。
 日常的に住民の自由と人間の尊厳を奪う“占領”は、武器を使う暴力とはかたちも質も違うが、間違いなく“暴力”だ。「人間が自由と尊厳を持って人間らしく生きる」生活基盤を、日々確実に奪う“構造的な暴力”である。
 「政治的目的を達成するために、暗殺、殺害、破壊、監禁や拉致による自由束縛など苛酷な手段で、敵対する当事者、さらには無関係な一般市民や建造物などを攻撃し、攻撃の物理的な成果よりもそこで生ずる心理的威圧や恐怖心を通して、譲歩や抑圧などを図るもの」という「テロ」の定義に従えば、イスラエルの“占領”はまがいもなく“テロ”である。しかもイスラエルという国家による“国家テロ”である。しかもそれは1967年以来、56年もずっと続いている。
 しかし欧米諸国は、それを“テロ”と認めることもせず、占領を口先だけで非難するだけで、実際にその現状を変えるために何一つ本気で行動してこなかった。そして今、ハマスのあの攻撃の背景にある“占領”という「国家テロ」を看過しておきながら、ハマスとその行動を「テロ」「テロリスト」と口を極めて非難するのだ。
 アメリカは、ロシアによるウクライナの侵略、占領を激しく非難し、占領されるウクライナには武器も資金も惜しみなく支援する。一方、何十年も続くイスラエルによるパレスチナ占領では、「占領される側」ではなく、「占領する側」のイスラエルを支持・支援し続ける。アメリカのこの矛盾、 “二重基準”をヨーロッパ諸国も日本も「おかしくないか?」と疑問を呈することもせず、アメリカと一緒になって、“占領”に抵抗するパレスチナ人すべてを「テロリスト」と呼ぶ。
 「パレスチナの解放」という大義名分を掲げてイスラエルの民間人を虐殺し、足元のガザの民衆の苦難を顧みることもしないハマスとその行動に、私は怒りさえ覚える。
 34年間、“パレスチナ”に通い現場で生きる人びとの姿を記録してきた私は今、イスラエルの“占領”とハマスの“圧政”という二重の苦難に苦しむガザの民衆の立場に立ち、その視点から、ガザ情勢、パレスチナ情勢を見続けていこうと思う。
記事に関する報告
土井敏邦
ジャーナリスト

1953年、佐賀県生まれ。1985年より30数年、断続的にパレスチナ・イスラエルの現地取材。2009年4月、ドキュメンタリー映像シリーズ『届かぬ声―パレスチナ・占領と生きる人びと』全4部作を完成、その4部の『沈黙を破る』は、2009年11月、第9回石橋湛山記念・早稲田ジャーナリズム大賞。2016年に『ガザに生きる』(全5部作)で大同生命地域研究特別賞を受賞。主な書著に『アメリカのユダヤ人』(岩波新書)、『「和平合意」とパレスチナ』(朝日選書)、『パレスチナの声、イスラエルの声』『沈黙を破る』(以上、岩波書店)など多数。
PTSDの復員日本兵と暮らした家族が
語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館
黒井秋夫 電話08011213888 
ホームページ  https://www.ptsd-nihonhei.com 
208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 
★メールアドレス  qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp
★「語り合う会」通信は周辺600世帯と武蔵村山市の市長・副市長さん、
市議会議員さん、教育委員会、市立3小に配布。報道各社に配信しています。
 
❤活動は皆さんのお力添えが支えます
2022年は70万円2023年は100万円のご助力を!

ご支援カンパ振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会
★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用) ・ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251
★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)
・ゆうちょ銀行口座 ★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625
会計中間報告(202211日~930日)
2023年、年初の繰越金 169.539円
2023年1月~9月30日の収支
経費合計 1.088.642円  収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計1.260.978円
2023年9月30日現在の残高 341.875円
*大阪証言集会実行委員会の交通費は「語り合う会」が半額を負担、黒井が半額を負担しています。
・関東の講演の交通費は黒井が負担しています。
 

ハマス・イスラエル軍戦争の

即時中止を呼びかけます!

戦争は人殺しです!

 

殺人を重ねてより良い世界が

作れるわけがありません。

軍事力では何も解決できません!

 

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は

全ての戦争に賛成しません!

話し合いで解決を!

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会23.10月号

1,10.29に「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会を開催します。

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立総会は2024年中に開催いたします。

2,「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会

★日時1029日(日)14:0016:30 オリンピック記念センター(セ510

*オンラインで参加できます。事前申し込みが必要です(1027日締め切り)。

・申し込みメールアドレスは qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(家族会・市民の会)」設立呼びかけ集会

・当日プログラム(予定)

  各地域の活動を交流します

PTSD日本兵家族交流会(関西支部)の活動経過・内容とめざすこと(家族交流会関西支部)

・松戸「沖縄とつながろう!」実行委員会の活動経過とめざすこと(依頼中)

PTSD日本兵家族交流会(東京)の活動経過・内容とめざすこと(東京家族交流会)

・「家族会・市民の会」組織と活動イメージ(作成者)

②「家族会・市民の会」設立の課題の提案(黒井秋夫)

③参加者どうしの意見交流

3,「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立の意義目的(案)

★「PTSDの日本兵と家族の問題」は「日本の戦争を振り返り平和をめざす活動であり、与野党を問わない国民的な課題」を担うにふさわしい「自由で民主的で力強い活動組織」に成長したい。

(参考)東京証言集会、冒頭ご挨拶現状の私たちは取り上げていただくほどの組織力もない未熟

   な発展途上の未だ弱小な活動組織と自覚しています。それでも、背負っている課題は原爆被爆者の問題や戦没者などと同列の重要な戦争と平和のテーマと考えています。「PTSDの日本兵と家族の問題」はそれらと同様に与野党を問わない国民的なテーマとも考えています。

(1)PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(家族会・市民の会)」活動の5本の柱

①の柱「PTSDの日本兵家族会」をPTSDの日本兵の家族の交流の場として全国各地域に誕生させる。

・地域に2人以上で少人数から、毎月一回(以上)のPTSDの日本兵の家族の交流の場を作る。

・「PTSDの日本兵家族会」は相互に交流し、運営の手法など学び合えるようにする。

PTSDの日本兵家族会」の全国連合も展望します。

②の柱* 証言集会と証言集会実行委員会を「家族会・市民の会」の主要な活動とする。

・証言集会を「私の父親もPTSDの日本兵だったのではないか」という当事者の気づきと掘り起しの場として地域ごとに開催する。

・証言集会を東京、大阪から全国に広げましょう。各地の市民運動に共同開催を働きかけましょう。

2024年は千葉県松戸市で開催を目指す。黒井の自宅がある新潟と福岡、広島、四国、名古屋、札幌、には語り合う会ニュースの読者がいますので働きかけましょう。その他の候補地は!

・数年後に全国証言集会を東京で開催しましょう。

③の柱*PTSDの日本兵の家族の体験を証言(家族の証言)として後世に語り継ぐ

家族の証言を映像、文章で保存し「家族会・市民の会」のホームページ(現・語り合う会HP)

 に保存する。

・家族の証言の公開は、その方法、基準を定めておく。

④の柱*「家族会・市民の会」の活動を活発に社会に広報する。

・機関紙を月刊で発信する。

・時機に応じてメールでニュースを発信する。

・「家族会・市民の会」の主張の発信方法・ルール、HP管理、月例ニュース発行、講演活動

⑤の柱*厚生労働省に「PTSDの日本兵の家族の問題」の解決を要請します。

・厚生労働省、しょうけい館に「家族会・市民の会」の要求を定め提出し話し合いを続けます。

2)「家族会・市民の会」設立に必要な事柄

  「家族会・市民の会」の活動の目的、目指すことを明記する。

「(例)日本が二度と戦争をしない。誰もが安心して暮らせる平和な社会」をめざす。

  規約を制定する。

・会員の資格、権利と義務、役員体制、総会など。

  民主的組織運営と体制

・運営をリードする事務局体制の整備。

*中央事務局を作る。東京と大阪に(松戸市にも)地域事務局を置く。

・中央事務局として世話人会(仮称)、世話人会会長、副会長、会計、その他を定める。

・中央事務局と地域事務局との関係。

  「家族会・市民の会」の財政の整備

5.2023年の日程

108日(日)PTSD家族交流会、東京証言集会実行委員会

(オリンピック青年センター)10時~

1020日(金)戦争と平和のお話し会(武蔵村山市さくらホール)武蔵村山市生涯学習係主催

1029日(日)「PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会」設立呼びかけ集会

(オリンピック青年センター会場参加とオンライン参加)14時~

1112日(日)東京証言集会実行委員会・PTSDの日本兵家族会交流会

(中藤地区会館)10時~

1126日(日)大阪証言集会実行委員会(国労会館)13:30

1210日(日)東京証言集会実行委員会・PTSDの日本兵家族会交流会

(オリンピックセンターか中藤地区会館)10時~

9.3東京証言集会振り返り

*参加者 1部、2部の参加者は155人でした。

・参加地域の広がり、高知や京都、山形の女子短大生の参加などありました。

・第3部の家族交流会参加者は70人程で昨年を上回りました。

・証言集会の収支。

収入155.227円 支出 327.678円 172.451円の赤字になりました。

9.3PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会参加者アンケート

□熱を込めた黒井さんの言葉、北村先生の具体例の数々の紹介、とても涙なしには聞けませんでした。わずかですがカンパさせていただきます。

□私の父も元日本兵でした。講演を聞いて、ふと「あれは父の心の負傷だったのか」疑ったのは勤めが長く続かなかったことです。転職をくり返し、はなはだしい時は数週間で辞めました。腹が立って殴ってきたことも。徴兵される前の父の姿を知らないのでそれが従軍体験にどう結びつくのだろうか?とは思いますが。

□貴重なお話しありがとうございました。近年ようやく戦争PTSDのことが(アメリカでは70年代すでに)日本社会が今も抱えている重要な問題であり、世代間に引き継がれるトラウマの文脈でいうとかなり「身近な問題」であることが示されるようになってきたと感じています。その点、黒井さんを中心とした方々の活動は大きな貢献をされていると思います。

□今日は貴重なお話しをありがとうございました。私は1970年生まれの女性です。10~20代の子ども3人、夫の5人家族です。母方の祖父はインパールで戦死、母は終戦時4才でした。晩年“鬱と躁”のバランスを崩し、10年程前に自死。私は子どもの頃からは母はどこか心に穴があると感じていました。母が自死を選んだのは(私たち家族がいながら)姉たちが結婚や華やかで豊かな生活を得たのを見ながら常に孤独だったのだと思います。

□戦争の被害を目の当たりにしました。戦争は絶対にいけないと、再度確信しました。皆さんの活動がますます広がることを期待しております。

□今日参加して私の父がまさにそうだったんだと思いました。父はインパール作戦の生き残り兵でした。出征する時、私は母のお腹の中で、父が返ってきた時は5才になっていました。私は父に可愛がられた経験がなく、父が亡くなるまで(65才)育ての親のような気がしていました。父は毎日酒を飲んでは戦争の話しをして、戦友のことを話す時は男泣きする始末、私はいつもそんな父が嫌いで酒代で貧乏暮らしは父のせいだと思っていました。結婚して夫から父の苦しみを理解するよう言われて図書館などでインパール作戦のことを知り、父を見る目が変わったと同時に父の私に対する態度も変わったように思います。それでも80才になった今でも子ども時代、父に差別されて育ったころを思い出すと今でも涙が出ます。

2023年は100万円のご助力を!

ご支援のカンパ振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)*ゆうちょ銀行口座。

★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

会計中間報告(202211日~930日)

2023年、年初の繰越金 169.539

20231月~930日の収支

経費合計 1.088.642円  収入(カンパ、黒井講演料、集会収入など)合計1.260.978

2023930日現在の残高 341.875

*大阪証言集会実行委員会の交通費は「語り合う会」が半額を負担、黒井が半額を負担しています。

・関東の講演の交通費は黒井が負担しています。

李素楨さんとの交流日誌 10月号 

★初級者コースあります!ご一緒に中国語の達人になりましょう!

李素楨さんのZOOM中国語講座を学んでいます。とても楽しい授業です!

★日中口述歴史文化研究会常務副会長 吉林長春師範大学 教 授 法政大学 講 師 

 

 

多くの皆さんにこのニュースをお届けしています!

ニュースは武蔵村山市長、副市長、市議会議員、教育委員会、市立3小教職員に配布しています。

52か所のマスメディアに送信しています。250人に郵送で、600か所にメール送信。

・交流館周辺600戸に黒井が手配り配布しています。

NNNドキュメント・でくのぼう~戦争とPTSD~

8月度ギャラクシー賞(放送批評懇談会)受賞!

NNNドキュメント|日本テレビ 814日、20日に放送

定職に就かず家に引きこもり、虚ろな目をした“父”。黒井秋夫さんは、父・慶次郎さんをずっと尊敬できずにいた。戦争が、父の心を壊したのだと知るまでは―。数少ない遺品のアルバムを開いた息子は、そのとき初めて〝兵士〟の父と出会った。

精悍な表情の、勇敢な兵士だった慶次郎さん。戦地から生きて帰った父はなぜ、別人に変わってしまったのか。兵士の心を壊し、生還後の家族との時間までも奪った過酷な戦場の真実に迫る。

ナレーション/二又一成  制作/山形放送  放送枠/30

★他のギャラクシー賞受賞作品 ①ファミリーヒストリー 「草刈正雄〜初めて知る米兵の父 97歳伯母が語る真実とは〜」814日放送 日本放送協会 NHKエンタープライズなど他2作品

 

9.3PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会を150人の参加で開催しました!

2023.9.3PTSDの日本兵と家族の思いと願い東京証言集会参加者アンケートを(抜粋し)公開します。

□熱を込めた黒井さんの言葉、北村先生の具体例の数々の紹介、とても涙なしには聞けませんでした。幸いにも、私の育った環境はひどいものではありませんでしたが若い頃から戦争に対する反感のような物は持っていたと思います。私の子どもたちにも「戦争はダメ」という内容の映画(アニメなど)を良く見せてきましたが、現在40歳代の娘と息子は今の社会をどのようにとらえているか気になるところです。わずかですがカンパさせていただきます。

□私の父も元日本兵でした。講演を聞いて、ふと「あれは父の心の負傷だったのか」疑ったのは勤めが長く続かなかったことです。転職をくり返し、はなはだしい時は数週間で辞めました。母が尋ねると「上司への不満」が多かった覚えがあります。腹が立って殴ってきたこともありました。

徴兵される前の父の姿を知らないのでそれが従軍体験にどう結びつくのだろうか?とは思いますが。

□貴重なお話しありがとうございました。近年ようやく戦争PTSDのことが(アメリカでは70年代すでに)日本社会が今も抱えている重要な問題であり、世代間に引き継がれるトラウマの文脈でいうとかなり「身近な問題」であることが示されるようになってきたと感じています。その点、黒井さんを中心とした方々の活動は大きな貢献をされていると思います。

□今日は貴重なお話しをありがとうございました。私は1970年生まれの女性です。10~20代の子ども3人、夫の5人家族です。母方の祖父はインパールで戦死、母は終戦時4才でした。晩年“鬱と躁”のバランスを崩し、10年程前に自死。私は子どもの頃からは母はどこか心に穴があると感じていました。母は3人の姉がいるのですが、母にとって姉たちは守ってくれる存在であると同時にいじめられる(逆らえない)存在だったと思います。母は私たち家族よりもいつも姉たち実家の関係に重きを置いていました。

母が自死を選んだのは(私たち家族がいながら)姉たちが結婚や華やかで豊かな生活を得たのを見ながら常に孤独だったのだと思います。

□戦争の被害を目の当たりにしました。戦争は絶対にいけないと、再度確信しました。皆さんの活動がますます広がることを期待しております。

□今日参加して私の父がまさにそうだったんだと思いました。父はインパール作戦の生き残り兵でした。出征する時、私は母のお腹の中で、父が返ってきた時は5才になっていました。母は父が帰るまで実家の(叔父)家族と一緒に暮らしたので叔父のことを「父ちゃん」と呼んでいたそうです。なので、イギリスの捕虜となり遅れて帰国した時は「父ちゃんよ」とまわりの人たちに言われても母の背中に隠れてどこかのおじちゃんのように見ていたそうです。1年後、2年後と妹、弟と生まれてからはそちらの方が可愛くて、私は父に可愛がられた経験がなく、父が亡くなるまで(65才)育ての親のような気がしていました。父は毎日酒を飲んでは戦争の話しをして、助けられず連れて歩けなかった戦友のことを話す時は男泣きする始末、私はいつもそんな父が嫌いで大手企業の従業員でありながら酒代で貧乏暮らしは父のせいだと思っていました。

結婚して夫から父の苦しみを理解するよう言われて図書館などでインパール作戦のことを知り、父を見る目が変わったと同時に父の私に対する態度も変わったように思います。それでも80才になった今でも子ども時代、父に差別されて育ったころを思い出すと今でも涙が出ます。

□「戦争前夜、新しい戦前」と言われる中で、復員日本兵のトラウマ、PTSDを広く伝えていくことは重要だと思います。これを全国化するために、どうすれば良いのか知恵を出していければと思います。

□証言が悲惨でこんなにも大きなPTSDがあるのを知り戦争の悪がより分かった。ネルソンさんの「あなたは人を殺しましたか?」の本を中学校の読み語りでも読み、子どもたちにも戦争の悪、軍隊の悪さも知らせたいと思った。

□大変複雑な問題をスライドやレジュメで分かりやすくお話しくださりありがとうございました。北村さんにご紹介いただいた関係者の作品も読み、考え続けていきたいです。

私がこの会に関わりたいと思ったのは何より次の世代以降に決して戦争を体験させたくないからです。正直、学校教育には期待していません。自分(1970年生まれ)も含め、日本が戦後行なってきた教育は(私たちが受けた)再び戦争を是とするものだったと思います。

自身の子どもたちを見ても学校でまともな歴史教育を受けてきたとは思えません。先生方は委縮して自由にものを言える学校ではなくなっていると感じます。保護者も同じです。北村先生や中村先生のような研究者の方のますますの活躍を願っています。同時に、社会で発言することなど持ちえない自分のような人間にも平和を創る力があると信じたいです。その方法を模索しています。

 

辛い体験を口にしていただき本当に感謝申し上げます。ここまで生きて伝えてくださること、勇気づけられます。お身体をお大事に、これからもこの世の中を共に良い方向になるよう導いてください。私も非力ながらがんばります。

ご挨拶

本日はたくさんの皆さんにご参加いただきました。心から感謝申し上げます。

先月の815日前後には多くのメディアの皆さんから「PTSDの日本兵と家族の問題」を報道いただきました。

戦前戦後、政権と軍が国民に隠してきた「PTSDの日本兵と家族の問題」がメディアの皆さんの報道によって、日本社会に明らかになりつつあります。年を追うごとに社会の注目度も高まっていると感じています。

本日の証言集会のチラシ一つとってみても今年は多くの個人、団体の皆さんに配布していただきました。支援してくださる輪がどんどんと確実に広がっています。力づけられ励まされています。本当にありがとうございます。心から感謝申し上げます。

 

社会に語られず家族内の恥とされてきた「PTSDの日本兵と家族の問題」が、家族内に留め置く問題ではなく戦争を始めた国家にこそ責任があるのであって、家族たちは社会に向けて話して良い事なのだ、堂々と話すべきだとPTSDの日本兵の家族たちは気付きつつあります。時代は大きく変わろうとしています。今日の証言集会も時代が変わっていく現場になるでしょう。参加された皆さんにはその立会人になっていただき、今日聞いたこと、見たこと、実感したことをご自分の家族に、友人たちにお話しし伝えていただきたいと思います。

 

日本兵がPTSDを発症した原因は日本が起こした明治以来の中国、朝鮮半島、アジアへの戦争と戦場体験に起因することは言うまでもない事です。家族である私たちの苦しみも元は同じです。

日本が始めた中国、朝鮮半島、アジアへの戦争にあります。

 

しかし皆さん、PTSDを発症して人生を台無しにし、家族生活をも破壊した日本兵・父親たちは戦争のただの被害者でしょうか。そうではないと私は思います。

日本が始めた戦争は2千万人と言われるアジアの人たち、そして連合国の兵士国民の命を(私たちの父親・日本兵は)奪いました。特に主な戦場となったアジアで、日本軍に襲われた人たちの子孫の多くが今現在もPTSDに苦しんでいることは確実です。PTSDの日本兵は100万人単位で存在したと推定していますが、中国、朝鮮半島、アジアにはPTSDの日本兵とその家族の10倍以上にもなる人たちが、今もなお苦しんでいる、連鎖しして続いていることも確実だと私は推測いたします。

 

私は日本が始めた戦争がもたらしたこと、日本兵の父親たちが作り、今もアジアの多くの人たちが苦しんでいるであろう負の遺産に正面から向き合いたいと思います。

私、黒井秋夫は日本軍兵士、軍曹、黒井慶次郎の息子として、戦争を始めた日本に今を生きる子孫として、中国の人たち、朝鮮半島の人たち、アジアの人たちに、そして連合国の皆さんに対しても父親がなした所業について深く深く謝罪いたします。本当に申し訳ありませんでした。お許しください。

 

PTSDの兵士や国民を生む戦争に良いことなど一つもありません。

私・黒井秋夫は「戦争のない世界を作りましょう」と皆さんに呼び掛けます。「どのような活動を積み上げたら戦争のない世界を作ることができるか考えましょう」と世界の人たちに呼びかけます。

私は残された生涯を戦争のない世界を作り上げることに尽くします。

アジアの人たちに約束します。世界の人たちに約束します。

何があろうと私は銃を人間に向けることはいたしません。銃を向けられたとしても、そう言う事態には誇りを持って白旗を掲げます。そして白旗を掲げる人が、賛同する人たちが日本国中に広げる努力を続けますと約束いたします。

私たちが、PTSDの日本兵の家族がその声を上げれば上げるほど、国民がこのことを知れば知るほど「日本が二度と戦争をしてはいけない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に近づくと信じています。

 

多くのメディアの皆さんに報道していただき心から感謝申し上げます。

しかし現状の私たちは取り上げていただくほどの組織力もない未熟な発展途上の未だ弱小な活動組織と自覚しています。

それでも、背負っている課題は原爆被爆者の問題や戦没者などと同列の重要な戦争と平和のテーマと考えています。「PTSDの日本兵と家族の問題」はそれらと同様に与野党を問わない国民的なテーマとも考えています。皆さんのお力添えが頼りです。引き続きのご支援を心からお願い申し上げます。

 

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」は2022年は1年間で709.324円の収入で運営いたしました。

2023年は8月までで昨年1年間の収入を超えて832.601円の皆さんのカンパ(黒井の講演料も含みますが)で運営しています。しかし、今日の東京証言集会だけでも概算で370.000円の費用が掛かります。1029日はオリンピック記念青少年センターで「PTSDの日本兵の家族会・寄り添う市民の会」の設立総会を開催いたします(注・創立大会は2024年に延期しました)。

皆さんの力強い支援が今後も必要です。あたたかいご支援を心からお願い申し上げます。

 

また、今年69日に「PTSDの日本兵の家族の思いと願い」を出版いたしました。PTSDの日本兵が存在した事、苦しんでいる家族がいること。このことを知ることは日本と日本人の歴史とアイデンティティにとっても重要で欠かすことのできない事ではないでしょうか。

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」はこの本は日本人の必読書と考えています。アジアの人たち、世界の人たちにもいつか翻訳されて読んでいただきたいと思っています。

私たちの活動をささえる資金にもなることができます。どうぞお買い求めください。

再度訴えます。皆さんの力強い支援が今後も必要です。あたたかいご支援を心からお願い申し上げます。

皆さん、一緒に手を繋ぎ、戦争のない世界、平和な社会をめざす活動が、もっともっと大きな輪になるように広げながら歩いて行きましょう!

ありがとうございました。

202393日(後日加筆含む)

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・PTSDの日本兵と家族の交流館」

代表 黒井秋夫

 

8月9日(水)
西東京市の学童クラブで昨年に続いて2回目の「平和のお話し会(黒板に子どもたち作成ポスターにある)」で黒井はお話しし1時間ほど楽しい時間を過ごしました。*写真はお話し会前。
50枚の写真映像を使用したロシアとウクライナの戦争と明治以来の日本が起こした戦争が題材です。
写真にある従軍した兵士は自分の父親に、避難する女性と子供は母親と自分自身に置き換えて想像してもらいました。
写真ごとに「兵士=父親」はどう思ったか。「女性と子供=母親と自分自身」はどう思ったか。一枚ごとに質問すると、何人もの子供たちが手を上げて答えてくれ、その連続で進めました。
終盤に「戦争とは何だろう。どんな良いことがあるのだろう」と問いかけました。「良いことは一つもない」というたくさんの発言が返ってきました。
最後に黒井は皆さんにお願いがあります。
『将来、人を殺す人になって欲しくない。人に殺される人になって欲しくない。生き延びて未来を作る人間になって欲しい』と、沖縄戦で白旗を掲げる少女の写真を見てもらいお話ししました。
黒板に貼られた歓迎のポスターは去年もいただきましたが今年のポスターも家宝として保存します。

PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会参加者感想文 

2023.6.25

・旧日本兵のPTSDの問題を直接聞いたのは初めてです。ベトナム帰還兵、イラク戦(自衛隊含む)、アフガン帰りのソ連兵などの話しは聞いていましたが、旧日本兵にもありうると漠然と思っていましたが、このことが明らかになったのが2018年、5年前とは驚きました。ヒロシマナガサキの被爆者やハンセン病の家族の証言も(明らかになるまで)時間がかかりましたが、やはり「加害のこと」を語るにはより口が重くなると思いました。PTSDの概念が理解され広まることも今集会の成立にプラスしたと思う。PS 私自身も、父の母へのDVがトラウマになってACになったと思います。

・アイルランド、スコットランド(アイルランド紛争)和平合意直後、イタリア、豪州、ワシントンなどの戦争PTSD療養施設の豪華さ、手厚い治療病院をめぐり感動したのは30年前のリサーチでした。日本兵に対する軍や政治は人命を軽んじていると感じました。ゼロ戦はパイロットを守る装備を削って性能追及。米軍機は幾重にも命を守る工夫。豪、ニュージーランド、アメリカの戦死資料館や公文書館をめぐりました。日本の復員兵は放置されている姿は「皇軍」として派兵され棄民された半島出身兵、傷痍軍人、在日コリアンを描いた「血と骨」も想起されます。義祖母は南陽戦線、中国南京で医師として731部隊に関与、登戸には終生足が向けられず、慰霊の旅、中国、パプアニューギニアを終え、自死いたしました。戦後日本映画に現れた戦争トラウマ表現を調べています。

・非常に苦しい内容ですが知らねばならない、伝えねばならないと感じます。私のは母方の祖父は山形県酒田市出身で戦争に行きました。左肩に銃弾が貫通した痕がありました。祖父は知る限り家族にも親戚にも戦争のことを言わずに死にました。今でも祖父が何を言いたかったのか?言えなかったのか?と思います。祖父は幸い家族に暴力を振るうことはありませんでしたが、大変恐い人でした。私は祖父をかわいそうに思います。本当はもっともっと話したかったのではないかと申し訳なく思います。

・まず知ること、気づくこと、考える事、語ること、出会うこと。黒井さんの熱い熱い思いをいただきました。参加して良かったです。大阪で来年“会”を催されるとか。基調講演は関西の名物アナウンサー桑原征平さん(79才)を推薦します。彼自身が父からのPTSD被害者とラジオ番組で度々語られておりました。

・アジア太平洋戦争での具体的な侵略加害行為に対して法的な責任が問われたりしたことがない日本に果たして「戦後」を名乗る資格があるのだろうかと思います。戦争責任者が国民の象徴として不気味に国民の空気感を支配し常に軍備拡充に明け暮れ、マイノリティーを差別し、沖縄など地方を犠牲にしてきた現在の日本という国家にとって、戦争トラウマに苦しむ家族は当然の帰結なのではないでしょうか。しかし、勿論、私たちはこの情況に沈黙していていいはずがありません。日本政府が戦前戦後を通じていかに凶器の政策や教育を続けてきたかを明らかにし、自らの経験を語る口をも奪う悲惨な戦争トラウマ被害に対する加害責任を余すところなく国に追及すべきだと思います。

・戦後80年近くを経て、今、日本兵のPTSDに光が当てられたのかという驚きと、今は亡き傷痍軍人だった父と自分との関係を思い出し、ぜひ聞いてみたいと思いました。反戦の集会や加害の歴史本など、今でも参加したり、読んだりして忘れないようにしてきましたが、この度は当事者としての自分に出会うきっかけになりました。

父のみになってみる?ブタれることはありませんでしたが、毎夜飲酒は欠かせませんでした。セクハラ的行為から逃げ回った日々。小2の時、家出を思いつきました。国の責任を問うておられます。確かにそう思いますが、具体的にその責任を取る国とは何でしょう?

・国のために戦った帰還兵が軍隊生活の思いは口に出さないで家庭は安心安全であるはずが思いもよらない事が世代を越えて300万人もいたという言う現実から今!!全国広がっていくことを確信持ちました。

・今日は3世として、戦争体験を語り継ぎの場を作る者として、特攻警察官の祖父から愛を受けずに育った父から暴力を受けた者として皆様のお話しを伺っておりました。復員兵のPTSDは声なき戦争の負の現実であり、その声を多くの人々と共有認知することが、負の歴史の繰り返しを止める行為になるような気がしています。

かつての戦争の総括がされないままのこの国に住む者として非常に示唆に富む内容でした。次回もぜひ参加させていただきたいと思います。ありがとうございました。

・すばらしい集会でした。全てよかった。

・午前の部で問題提起や方向性を中村さんや北村さんの話を聞いて目が開かれる思いでした。私たちの世代は日本兵士の子どもたちで様々な影響を受けています。自分は分からないが社会病理となって無意識なレベルで日本社会を苦しめています。PTSD分析では心理学の知識も必要です。これからもっともっと考え続けたいです。

午後の部で日本兵の家族に証言を聞いて。

太平洋戦争の兵士のPTSDが問題となるまで80年近くも経っている。その間、多くの人が苦しみ続けてきた。この事実に何とも言えない3人の発言はとても重みがある。病気のため父はたまたま兵士として出征しなかった。それをどんなふうに考えていたのだろう。負い目がありながら戦後を生きてきたのだろう。

・戦争被害者とは誰だろう、と良く考えます。私は普段は広島長崎の原爆被害者を取材していますが、医療保険の対象である「被爆者(1世)」の範囲を巡る議論はなお続いていることに加え、23世も子や孫の立場からその「被害」を訴えています。被爆者の23世も原爆の後遺症を訴える親の介護に明け暮れ、貧困で苦しむなどしてきました。23世の問題については放射線の遺伝的影響という観点にフォーカスして語られることが多く、第一世代の“家族”として被った苦しみに光を当てられてこられませんでした。今日、北村教授の言葉にありましたが「戦後の後遺症」との言葉が印象に残っています。「日本兵」と「被爆者」という違いはありますが、戦争で深い傷を負い、その苦しみを次世代家族にも負わされたという点では共通していると思いました。第1世代と共に暮らした家族の苦しみは「戦争被害」ではないのか、ということを思うこの頃です。

・敗戦後のドイツと日本の国と人びとのあり方があまりに違うことの根底にこの復員兵の問題があったのか!と目が啓かれる思いです。ドイツは戦争責任を言葉や形だけでなく行動として表し続けていると思います。ところが、日本は自らがその一員であるべき東アジア諸国を帝国時代の植民地と変わらぬまなざしで見下し続け、昨今ではそう考える必要のない仮想敵国と見なし軍備拡張に邁進しているようです。この反省のなさと、無自覚、その根底にあるのは一人ひとりの兵士の苦しみを「私たち」の「群れとしての」記憶として向き合うことのなかった国と、国民にあるのでは。色々と考える良い機会になりました。お話しくださった方に感謝します。

・加害体験を告白する元日本兵が少ない理由が分かった。PTSDで飲まないと語れない、しらふでは黙るしかなかったのか。撫順の戦犯収容所では一種のPTSD患者対策となって日本兵の告白ができたのではないか。という感想を本日の講演を聞きながら感じました。下級の日本兵は「自分が被害者」なので、植民地国民への反省・謝罪をする気持ちの余裕がないのでしょうか?この辺りが課題と考えます。とにかく加害者日本兵のトラウマの現実が良く理解できました。

・罪悪感を解放するために酒を飲む人もいれば、を行使した満足感、それを現在も行使したい欲求が酒を理由に実行できた(ひどい行いとして表現できずため込んでいた)人、いろんなタイプがいたのだろう。民族・地方・貧困差別を行使する政治権力者にも脈々と受け継がれ、影響を受けているのが私たち日本人を含めた、在日外国人、被差別部落者、沖縄、アイヌ、性的マイノリティーなど、日本の全住民だと考えられ慄然とした。

・ありがとうございました。勉強の途上です。PTSD日本兵の問題、とても重要だと思います。この問題に永らく日本人は気付いて来なかった、覆い隠されてきたことが又大きな問題だと思います。

戦争責任という言葉が出されたと思います。正に戦争責任(天皇や政府の)隠ぺい問題と、日本兵のPTSDの隠蔽が繋がったように思います。埋もれたPTSD日本兵の家族の問題を掘り起して行く活動に大変期待しており、可能な限りの協力をさせていただきたいと思います。

・今日のテーマ「トラウマ」の問題を黒井氏のおっしゃるように、前面に、全国的に取り上げ整理しなければ本当の戦争の本質に迫れないと思います。戦争を始めたり引っ張って行った指導者、また何よりも天皇からまだ日本の人民は謝罪されていない。それがない限り戦後は終わらないし、まして東南アジアや中国・朝鮮に本気で謝罪する気持ちになれない日本人が多いのはある意味当然だろうと思う。

やっと国会の一隅で取り上げられたのが大きなきっかけになればと願う。人間の事、人間の心理学の研究をしなければならないと思う。

・昨日の講演・映画会でもらったチラシを見て参加しました。

私の父親も学徒動員で中国に従軍したそうです。帰国後、いいなずけの母と結婚して私が生まれたのですが、平和的な父だったので5人に1人の従軍兵士が何らかのPTSDになったのは知りませんでした。もうびっくりしました。大人になってから父に「戦争でどこへ行ったの?」と聞くと、南京と教えてくれましたが、それ以上は聞かず残念なことをしました。ただ「戦争は絶対するな!」が口癖でした。戦後は戦友会の幹事もしていたようです。会うのを楽しみにしていました。証言者の方のような家庭がなくなるように、戦争を許さないために努力していきたいです。

・繰り返し繰り返し、中身の濃い話しに圧倒されました。

・私は20代ということもあって、直接、日本兵のの戦争体験を聞く機会はありませんでした。沖縄で住民の戦争トラウマの聞き取りを5年くらい続けていますが、断片的に戦争が戦後の家庭環境について話を聞く機会がありました。3月に沖縄で開かれたイベントで私がお話をしたときに、ある女性が「私の父は戦争体験を話すことが少なかったですが、酒を飲むと罵声を浴びせられたり、強い口調で戦争の話しをしたりしていたのを思い出していた」という方がいました。「トラウマ、PTSDという言葉を当時は知らなかったので、父を全く理解できなくて父を軽蔑していたんですが、父を受け入れることも大切ですよね」と感想をくださった方がいました。今日のお話を聞き、PTSDの日本兵の家族の話を通じて等閑視されてきた兵士の姿を考え続けたいと思います。

・ベトナム帰還兵のPTSDについては知っていたのですが、当然そのことと関連付けて想像できたはずの日本兵として従軍した人たちのこととしては思い至りませんでした。午前午後とお話を伺うことができ、日本兵とその家族に起きていた事について知ることができました。ありがとうございました。交流会にも参加させていただき、より理解を深めることができました。

・初めて参加させていただきました。PLP会館にも初めてきました。戦争を始めた政府が兵士たちに傷を負わせたにもかかわらず、戦後まったく面倒を見ず、家族と地域に全てを丸投げしてしまったことを知りました。その被害者が家族であったことが良く分かりました。愛する家族であるが故に余計に苦しく悲しかったと事と思います。私の父も時々暴力を振るいましたが、それも関係があったように思いました。色々と勉強させていただきました。大変ありがとうございました。

・個別に断片的に聞き知っていたが加害者側兵士の体験とOTSDがこのような形で社会に広く共有されることはとても重要な試みだと思い、取り組みを高く評価します。アジアの被害者が受けたPTSDとどう結び付けられるのか、大切な課題(大きな歴史)に結びついていくことを期待します。

・圧倒されました。貴重な企画をありがとうございました。特にご家族の方、お話しいただいてありがとうございました。

・戦時下の性暴力、復員兵士のPTSDについては国際関係学を学ぶ中でふれ、考えてきましたが、改めて日本兵の家族の視点に立ったこの問題は知らずにいました。“家族・国民”を守る戦いと言いながら、一体何を守って来たのか、むしろ“家族”の人間関係を壊してきたんじゃないかと、当時の、そして現在に繋がる国家権力、戦争指導者に怒りを覚えます。お話を聞かせてくれた家族のみなさん、話しにくいだろうことを、お話しして下さりありがとうございました。トラウマ・PTSDの影響を受ける家族のお話しは虐待はじめ様ざまな暴力を受ける子どもたちの反応と同じように重なり、全く戦後は終わっていないと痛感しました。

・貴重なお話を聞くことができ、参加させていただきありがとうございました。忘れられないように、この輪がドンドン広がりますように祈っています。戦争は終わっていないと!!突き刺さりました。

・私の父も、祖父もアジア侵略者でした。が、表立った暴力はありませんでした。しかし、志願して陸軍に行った父の頭が戦争体験でいっぱいだったことは分かっています。その父は娘に酒がなくとも体験を語りました。私はインタビューもできました。それが反戦平和への教えとなっております。実被害を受けたスピーカーの皆さんの記憶をなくすほどの解離(麻痺か)ご体験苦しくお聞きしました。本当に痛みなしには聞けませんでした。父上らの暴力、PTSDが戦争体験であることは間違いないのですが、今な男から女へのDVやテロともいえる行為(放火銃撃殺戮)が止まないことは原因に「戦争だけではない」と、戦争トラウマとそっくりだと感じたことです。戦争に行かずとも男性がそうなっていく、この世界は透明な戦場だと改めて実感。密室である家庭内での妻、子どもへの殺すほどの暴行が現在続いています。戦争をしないだけでは不十分だと、この国は亡びると信じます。このストーリー、テーマは普遍的ですので、別なストーリーと思わず繋いでからめ「男を競争、抑圧に追い詰めない社会」へと変える努力をしていきたいです。ありがとうございました。

・世代を貫いてゆく現状に驚きます。国(支配する、してきた人々)、社会、文化の責任の視点、特に文化における市民運動への指摘(戦後の政党、特に革新、労働運動、研究者を含めて)、重要だと思います。戦争責任を巡っても同様の見直し、とらえ直しが必要だとも思います。記録の保存も大事。

・戦争が本当に家族を破壊し、傷つけ、戦後生まれの世代までも苦しめるのだと心に響きました。これは個人の問題ではなく、社会の問題であり、文化であり、歴史の話しなのだ気づかされました。衝撃が大きく受け止めきれません。メディアの人間です。テレビや放送番組を作っています。戦後70年以上経ってようやく認識されるようになったこの問題、私も追いかけたいし何かお手伝いできればと思います。

・本日の集会に大勢の方に参加してもらいたかったのに、毎月の例会に出席できず、とうとう本日を迎えました。この人、」あの人と声をかけなかった人の顔が浮かび反省しています。二人の元司書にチラシを渡して「このような集まりは初めて。ありがとう」と言ってもらえたのが良かった。うれしかったです。常日頃の人との繋がりを大切にして来年の集会に心を向けて行きます。平和はこのような形で「戦争は絶対ダメ!」という強い心を創っていく努力が大切ですね。黒井さん、ご自分の病気を持ちながら一生懸命な姿に私も仲間にこの活動を広く伝える努力を楽しくしようと!!

 

・戦後がまだ終わっていないのだと分かりました。愚かな戦争のことをもっと人々が知り、起こさないないように終えるように祈っています。

PTSDの日本兵の家族の思いと願い」2刷りいたします!

2000冊の在庫が150冊になったと出版元あけび書房さんからありました。

お買い求めいただいた皆さん、お友だちに勧めていただいた皆さんに心から感謝申し上げます。

これからさらに力を入れてこの本の普及に努めます。1万冊、10万冊、100万冊をめざします。

この本が多くの日本人に読んでいただくことが「日本が二度と戦争をしない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。これからもよろしくお願いいたします。

あけび書房さんから1000冊増刷するか2000冊にするかと問い合わせがあり黒井は下記のようにお答えいたしましたので公開いたします。

 

★私はこの本は活動の原点として今後も力を入れて普及しようと考えています。

気持ちとしては1万冊でも10万冊でも日本人にお買いいただくよう活動していきます。

2刷りも意気込みとしてはその通過点と思っています。

2000冊増刷しても今年中には3刷りを望めると考えています。

大阪証言集会の取材記事が夏場にかけて全国紙、ビックイシューなどに掲載予定です。

映像のメディアでも紹介される可能性があります。

印税は実売部数の8%を選択します。

青毛尾書房さんが販売にお出でになれない少人数でも黒井の講演の日程が間断なくありますので、私の在庫がなくなったら、今までのように100冊ずつ引き受けて講演会と来館者に販売する在庫といたします。

 

202374

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」

PTSDの日本兵と家族の交流館」

 

代表 黒井秋夫

 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い大阪証言集会に129人の皆さんにご参加いただき優しさと温かさ溢れる歴史的な証言集会になりました‼️
黒井は大成功と評価いたします‼️
30人の実行委員の皆さんが駅から会場までの案内、会場設営、書籍販売、受付係を引き受けて下さいました‼️
6人の研究者、朝日、毎日、共同通信、山陽新聞、ビッグイシュー、人民新聞などメディアの皆さんが取材に来ていただきました。
3人の証言者、二人の研究者のPTSDの父や祖父からの体験のお話しに黒井も何度と涙流しました。
参加者の感想含めニュース、HPでご報告致します。
黒井は帰途の新幹線ですがとてつもなく大きなお力をいただきました‼️
皆さんのお力添えをエネルギーに9月3日、東京証言集会、10月29日PTSDの日本兵家族と寄り添う市民の会結成総会に歩を進めます。
これからも皆さんのお力添えをよろしくお願いいたします‼️😄

2023年6月25日(日)しんぶん赤旗・ほんだなの欄」に発刊した書籍が紹介されました!

宮本徹議員が「PTSDの日本兵と家族の思いと願い」を自身のTwitterで紹介しています。5万人のフォロワーとのことです。
心から感謝申し上げます。
全ての日本人の皆さんに読んでいただきたいと思っています。
宮本徹 on Twitter
TWITTER.COM
宮本徹 on Twitter
“この数年、NHKや新聞などで活動が報じられている「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が編集した本が、あけび書房から出版されました。戦争で多くの兵士がPTSDとなり、復員後、家族、子ども苦しんだ、日本....

 

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会・ニュース
2023.6月号
「PTSDの日本兵と家族の思いと願い」を皆さん、ぜひお買い求めください!お友だち、お知り合いにおすすめください!
買う人が増えれば増えるほど➡
➡「PTSDの日本兵・語り合う会」の活動費に還元されます!
★本の内容は昨年8月7日の東京証言集会のドキュメントと証言者森倉三男さん家族の手記、野崎忠郎さんの2編の自伝的小品から構成されています。
「語り合う会」の創設からの活動内容、その意味、PTSDの日本兵の暴力やアルコール依存症、自殺など家族が背負った壮絶な体験が語られます。しかも、家族の苦しみは世代を越えて連鎖して続いているのです。多くの皆さんに知っていただきたい事実です。
出版社は2000冊を1刷りしました。10冊以上の注文で送料負担なしで(1冊1320円×0.8=1056円)でお送りできます。「語り合う会」の活動は皆さんのカンパと黒井の講演料でまかなわれています。
★2000冊を超えて2刷りになれば「語り合う会」に販売価格の8%が還元されます。
★8%の還元が実現すれば活動を支える力強い財源になります。
皆さんがご自分とお友だち、お仲間をまとめていただき10冊以上のご注文に取り組んでくださるよう心からお願いする次第です。お力をお貸し下さい。
「語り合う会」は多くの皆さんの応援を支えに活動しています。本来なら献本で応えるべき支援者の方も大ぜいいらっしゃいます。しかし、東京に次いで大阪証言集会も控えて活動費は逼迫して(会計報告は毎月のニュースをご覧ください)現在は献本の余裕がありません。本当に申し訳ありません。
黒井は毎月大阪証言集会実行委員会のたびに大阪に行きますが、交通費は「語り合う会」が半額負担、残りは黒井の負担とし、関東周辺の講演の交通費も黒井が負担して何とか運営しています。
★6月25日(日)大阪証言集会・大阪PLP会館、9月3日(日)東京証言集会・武蔵村山市民会館の成功にご支援ください。
★10月29日(日)、『PTSDの日本兵家族会・寄り添う市民の会(仮称)』の結成総会開催の
議論を始めました。黒井秋夫一人から始まって5年、ようやく団体の実態を伴って出発できる地平に到達できました。大きな未来に飛び立つ前段までたどり着きました。
これからも皆さんのご支援をよろしくお願いいたします。
参議院議員会館でのシンポジウムは『PTSDの日本兵と家族の問題』の原因も責任も解決できるのも国家であることを宣言する歴史的シンポジウムになりました。途中、国会史上初めて取り上げた宮本徹衆議院議員(共産党)が駆け付けてくださり、質問後の動きや今後も取り組む決意をお話しされました。
黒井は60人の参加された皆さんにたくさんの拍手を何度もいただき大きな力と励ましを貰いました‼️
シンポジウムを企画し準備し運営し成功させた皆さんに感謝の気持ちで一杯です。
皆さん、これからもよろしくお願いいたします。
シンポジウム第一部がユープランさんによりYouTubeにアップされましたのでお知らせいたします。
以下のアドレスをコピーしてご覧ください!

https://www.youtube.com/watch?v=ULAowKMpOL0

 

https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2Fc4-4V6UEc-o%3Ffbclid%3DIwAR0ZFOW06Q8qbr7jeOzZVCyy2KUSXnVzQx9otYImbbMQqBvsvHv4WeVkHp4&h=AT1aQ8DSvNF0T-bf_FujdVs7rg_T_xwF89CYVUNAjRX8j2qETmgNVm7sJkMXKurUN-BdaGIH3nd5ySX2cteXrAVqukAXg3Jz1wIpHilEt60QmC-_fMo76rx97H1qdJoOT2WMhRlVVPp1PafXgaWZMQ

 

 

 

 

2023年3月16日(木)の「しんぶん赤旗」で昨日の衆議院厚生労働委員会での宮本とおる議員の質問と大臣答弁が掲載されました。 

 

 

戦時PTSD調査へ

宮本徹議員に厚労相答弁

写真

(写真)質問する宮本徹議員=15日、衆院厚労委

 アジア・太平洋戦争によってPTSD(心的外傷後ストレス障害)を負った旧日本兵の実態について、日本共産党の宮本徹議員は15日の衆院厚生労働委員会で、国による調査を求めました。日本兵のPTSDが国会で取り上げられたのは初めて。加藤勝信厚労相は、国として調査する考えを示しました。

 宮本議員は、「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を2018年に立ち上げた東京都の黒井秋夫さんらの証言、研究者の資料などを紹介。千葉県の国府台陸軍病院には、1万人以上の日本兵が精神障害を発症し入院していたが、治療が受けられず亡くなった人も多くいたと指摘。「戦争で心を傷つけられながら、理解されずに亡くなっていった。暴力が子や孫に連鎖していく。こんな悲惨なことがあるだろうか」と話しました。

 加藤厚労相は「心に傷を負われた元兵士や家族の実態を語り継ぐということは、戦傷病者や家族が戦中戦後に体験した労苦を次の世代につないでいくためにも大事なことだ」と答弁。政府が06年に開館した戦傷病者史料館「しょうけい館」において「兵士や家族による体験、専門家による研究の成果などを調査し、運営有識者会議の議論を行っていく」と答えました。

 

https://l.facebook.com/l.php?u=https%3A%2F%2Fwww.jcp.or.jp%2Fakahata%2Faik22%2F2023-03-16%2F2023031612_03_0.html%3Ffbclid%3DIwAR1Tj2wu5tEp2J0SqK6OUdVoBokJS4tlYHLpxrc-fdwZ8cZpv-3p_EI8l9c&h=AT1CbkgqdoFE5xNZfmKRZboFarduiMY23vV-wqrmAlqXl_Awo0iDcsFjyrV5HfFEUijv8ZlBK0hSGi-DICpgXTG0KkQ2vmyjXnIb5gX6k-TPhMCxOwkSAN4I7pnNj29GkBX0rPb5RwMXlugPAW8G

 

 

2020年月10日開館以来

祝・来館者

2000人

 

突破しました!

いつもの5年生仲良し5人組が2000人~2004人目でした!何でも最初の一歩から何ですね。

これからも小学生に親しまれ、地域に支えられ、PTSDの日本兵と家族の交流館として成長していきたいと思います!

皆さん

これからもよろしくお願いいたします。

手榴弾塚見学会5年生の男の子,新聞2社が加わり

16人で楽しい時間でした!

2023年1月15日(日)は埼玉県川越市の手榴弾塚見学会を主催しました。小学5年生や新聞2社を含む16人の参加者でした。
心配した雨も降らず、寒くもなく和気あいあい楽しい時間でした。手榴弾塚見学会❣小5年生の男の子加わり15人で楽しい時間でした!驚きました。平べったいのは地雷です。大真面目でこんなものを作っていたとは。現場はびん沼川河川敷一面の陶器製の手榴弾と地雷が川底まで埋まり捨てられた“戦争遺跡”です。陶器に刻印された文字から信楽産の物とか生産地が分かるとのこと。
★下記カッコ内は当日参加された梶原さんの感想から抜粋です❣

 

『昨日見た刻印は1点だけでしたが、信楽の刻印でした。二度押しされているようで、六角枠に「信」の文字、その下に18と89か39の数字が押されていました。
これは「生産者別表示記号」(通称「統制番号」)という名前で、戦時中の統制経済下で生産された製品です。各地の発掘調査で碗や皿など色々な機種のものが出土しています。はっきりわかりませんが今のところ最も古いものは、昭和15年2月11日に行なわれた紀元節を記念しての製品です。すなわち1940年から統制経済が終了するまで(1946年頃までか)存続していました。番号は、当時の窯屋の番号で、調べればどこの窯屋で焼いていた製品か分かると思います。
この統制番号が付いていた手榴弾は信楽産ですが、磁器もあったので肥前あるいは長崎県の波佐見の製品もありますね。ただ統制番号は見当たりませんでしたので、肥前か波佐見かはわかりませんでした』

 


新年あけましておめでとうございます。
2022年は本当に多くの皆さんに支えられ助けていただき飛躍の一年となりました。
心から感謝申し上げます。
既に高齢になった私たちに長い時間は残されていません。
2023年は更にワンステップ、ツーステップ、スリーステップの大躍進をめざしたいと思います。それは父親たちの願いにも通ずる道と思います。
「PTSDの日本兵の存在と、今も続いている家族・子どもたちの苦労の体験」を多くの人たちに知っていただくことが「日本が2度と戦争をしない、誰もが安心して暮らせる平和な社会」に繋がると信じています。
この活動の広がりが庶民の暮らしと平和外交を置き去りして、軍事大国を作り、戦争のできる国に進みかねない国の方向に待ったをかける活動でもあると信じています。
2023年も皆さんのご支援とお力添えをよろしくお願いいたします。皆さんと手を携え、倦まずたゆまず諦めず、前進する覚悟です。
2023年1月1日(日)
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
「PTSDの日本兵と家族の交流館」   代表 黒井秋夫 
★近くのお伊勢の森神社にお参りし例年通りの熊手を求め交流課玄関に飾りました。妻、さち子さんのご先祖が眠るお墓にお参りして今年の飛躍へのお力添えをお願いしました。お墓からは真っ青な空に雪の富士山が丹沢山地を従えて堂々と立っていました。
本日4日の朝日新聞『分断に向き合う』二つの提言を読みました。特に「差別を生んだ分類の歴史沈黙を繰り返さない」とする竹沢泰子さんのご意見に黒井は賛同いたします。長いですが以下引用します。
「現状だけを見れば法的差別は大幅に解消され、経済的・社会的な支援が設けられ、この上何を要求するのかと感ずるかもしれません。しかし、実際には、差別は長い歴史の中で積み重ねられており、多数派や支配的な立場の人々は、自分たちに有利な状態を維持しようとします。過去に差別を受けた少数派集団の子孫は職業、教育、資産、居住区、食物や医療へのアクセスなど不利な状態が再生産されます。差別は過去の話だから時間が経てば自然解消される、というものではないのです」
「私は神戸出身で阪神淡路大震災の時のことを思い出します。ルーツを問わず被災者として助け合い、朝鮮人らが殺された関東大震災の二の舞になる事はなかった。歴史の教訓を生かし、過ちを繰り返さなかった。『差別はなくならないから仕方ない』と声を上げなければ、悪循環が続くだけです。沈黙は、差別に加担することです」
「いま、日本社会でも『多様性』や女性の積極的登用という言葉がよく聞かれるようになりましたが意思決定の中に入らない限り、社会は容易に変わりません。意思決定の同質性が高いと、既得権を握る一部の人には心地よい空間であっても、不公正や不平等、排除が再生産されやすい構造です。それは誰にとっても生きにくい社会です。差別をしない・されない世界、すべての人にとってより生きやすい社会のために、一つ一つ差別の芽を摘んでいくという、私たち一人一人の決意が必要です」

首都圏情報ネタドリ!(2022年12月9日放送)

視聴者から「語り合う会」HPに届いたお便り

①従軍したのは母方 祖父

②帰国後どんな仕事でしたか?: 本の出版?→ 養豚 農家 など

③家族に暴力や暴言などふるうことは?: あったらしい。(祖母と母)

④精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?: ありません。
⑤(母から聞いた話し)祖父は、満州鉄道で働いており、終戦後そのままシベリア抑留され昭和25年に復員したそ   うです。シベリアでは、木の伐採をしていて食料がなく、若い人は何でも食べたため、亡くなる人が多かったと話していたそうです。
・(母から50年間)祖父のDVの話しを聞かされて続けています。※ 母ー83才 私-56才です。
〈内容〉
・殴る、蹴る、引きずり回す
・ノコギリの刃で叩かれる
・(母)髪の毛を剃られる
・(母)長男の失敗を母の責任にされ、殴る、蹴るをされたなど。

⑥戦争によるPTSDではないかと思うようなことはありませんでしたか?: ・祖父に関しては、復員してからDVが酷くなったらしいと母から聞いています。母は祖母からそのように聞いているようです。
・負の連鎖なのか、今、考えれば私自身が母が怖くて何も自分の意見が言えませんでした。

⑦従軍したその方の思い出などお話しください。: ・祖父母は00県、私は00育ちのため、たまにしか会う事が出来ませんでした。会った時は、私達、孫に対してやお嫁さん達には優しいおじいちゃんでした。
・(母)大人になり、お産で実家に帰っても祖父の気配を感じただけで身体がブルブル震えていたそうです。

: はじめまして。偶然テレビで特集を組まれた番組を拝聴し共感いたしました。
 過去のトラウマから抜け出せない母を一度は、同じ境遇の話し相手と話す事で母が楽になれればいいと思いました。しかしながら、高齢になってしまった母が00県からそちらに向かうのは困難の可能性があります。
 母の参加が困難であれば孫である私だけでも参加し、何がお役に立ちたいと思いメールいたしました。よろしくお願い申し上げます。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-10 12:09:19 JST


匿名を希望 しない

メッセージ: 野崎忠郎氏の「私の背負った昭和の業」をじっくり読みました。命令でしたことを、自慢げに語っていた、とありますが、命令とはそういうものなのでしょう。
断れば死ぬわけですから。ウクライナの戦争が長期化する今、反戦運動の末端に関わっている私自身がどうあるべきか、野崎さんの文から、真剣に考えたいと思った次第です。北海道の00なので、なかなか東京にはいけませんが、機会があれば、館内に足を運びたいと思っています。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-04 10:19:22 JST

*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
メッセージ: 樺太からの引き上げ家族の子供として育ちました。極貧の中、両親から虐待され4歳の時、入水自殺を図りましたが助かりました。それが原因で小児結核を発症し一時は危篤となりましたが再度たすかりました。
現在は良き妻と子供、そして最愛の孫がいます。しかしいまさらながら幸せそうな孫を見ていると子供時代のトラウマが強く出てくるようになり苦しんでいます。
私の妻、子供には言っても理解できないと思い、一人でその孤独に耐えています。
両親はもう他界しましたが私の世話になっていても、子供時代と同様に私を罵りバカしながら亡くなっていきました。私が葬儀とお墓も建てましたが自分の人生には苦労しかなかったと思っています。、、、、誰も理解はできないでしょうね、同様な苦労をしている方がいるならぜひともお会いしたいです。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-09 20:47:47 JST

    従軍したのは?: 父親および母方の伯父

    帰国後どんな仕事でしたか?: いくつかの仕事をしたが長続きしなかった。何度も職を変えた。
③家族に暴力や暴言?: 暴力は無かったが暴言や非常識なふるまいが多く、金銭に執着が強い。家族にお金を使わせないことが多かった。
④精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?: それは無かった。
⑤戦争体験を家族に話しましたか?どんな内容でしたか?: 父はよく「国に裏切られた」と言っていた。満州に開拓団の一人として入植したがその時の条件が戦争で徴兵されることは無い、とのことだったがは負け戦が見えて来たときに外務省職員や軍属はいち早く情報を得て日本に逃げていたが、開拓団の人たちは何も情報を貰えず、残された私の母方の家族(母の両親と弟三人)は満州の奥地で飢えと寒さのため死亡した。また私の兄と姉は母親が逃げる途中で餓死した。そのことが両親の不仲の原因となり戦後30年ほど経過してから両親は離婚した。また私のすぐ上の兄が父親の子供への無関心が原因で病気になり、34歳の若さで死亡した。私とすぐ上の兄は戦後に生まれた人です。
⑥いま思い出して、普通ではない、戦争によるPTSDではないかと思うようなこと?: 国に裏切られたことが父のトラウマとなり、抑留されたロシアから帰国しても他人だけでなく家族も信じられない人になってしまった。お金だけが信じられる全てで、家族に渡す生活費も最低限のものだった。しかし自分の道楽品には惜しみなくお金を使っていた。母の兄にお金を貸したが商売が倒産してお金の返済が出来なくなったときに母との兄弟の縁を切らせたので、母は子供である私を頼るようになり(親族が全員戦争で死亡したので)、私は今で言うヤングケアラー状態になりました。いつ母親が自殺するか分からない状態なので学校の勉強に身が入らなくなりました。ここで私の人生が少し狂ったように思います。父はどんな悲惨なことがあったか決して他言しませんでした。彼は衛生兵だったので自分が銃を取って人を殺した訳ではなかったのですが、あまりに悲惨な現場を目撃してしまい、気の小さい人だったので耐えられなかったようです。最後は結局母と離婚して孤独死してしまいました。もっと父親に寄り添ってあげたかったのですが、父は素直になれなかったようです。
⑦従軍したその方の思い出などお話しください。: 全く子供に対して愛情を示さなかったので、まるで思い出はありません。母方の伯父は私が生まれる前に戦争で(場所も分からない)亡くなったので、母から話しを聞くだけで記憶にはありません。戦争は実際に戦場に赴いた人ばかりではなく、その妻や子供にまで暗い影を長年落とし続けるのだと改めて思い知らされます。
PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」に関するお問い合わせがありましたらお書きください: 同じような思いをされた家族の方々と話をしてみたいと思います。いつか記念館を訪れたいと考えています。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-12-09 21:53:05 JST

*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
★メッセージ: はじめまして。
昨夜のNHKTV放送を拝見しまして是非会員にさせて頂きたく申し込みしました。このような会をされている場所がある事に感動いたしました。
私は亡き父が50才の時にできた子供です(現在57才)母と姉と4人暮らしでしたが兵士(衛生兵)だった父親からのPDSDについて周囲や同年代の友人には理解が難しく、長い間他人には告げられない苦しい時代を過ごしました。その後、心理などを自己で学び客観的に父親を見られるようになってからは楽になりましたが母と姉も其々に苦しい人生を送りました。コロナ禍で隠された家庭内での苦しみがある青少年もいると聞き、現在はカウンセラーの学びをしているところでございます。
どうぞ宜しくお願いいたします。
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以下は2022年、ネタドリ放映以前に届いたメールです。

  従軍したのはどなたですか?: 父親
帰国後に仕事はなさいましたか。どんな仕事でしたか?: 00県、警察官
家族に暴力や暴言などふるうことはありませんでしたか?: 夜中に奇声
精神科の医療機関に通院、入院はありましたか?: なし
戦争体験を家族に話しましたか?どんな内容でしたか?: 母にー戦争から帰ってきて人を殺したくてしかたなかったーと言ってたと。
いま思い出して、普通ではないと思うようなこと、戦争によるPTSDではないかと思うようなことはありませんでしたか?: 父は南京戦復員後、結婚。私は昭和21年生まれだが父は殆ど酒浸りの公務員。母と私たち兄弟3人は貧しい生活。戦後、父の仕事は警察から警察予備隊、防衛庁へ。下級官吏で借金生活だった。不安定な生活から逃げるように私は地方の大学へ。戦争についてお互い話することは避けていた。酒を飲むと人が変わると母が言ってたが私が小学生の頃、夜中、母が近所に逃げたらしく朝起きると母がいなかったこと。秋祭りの次の朝、父の給料袋探しに母とゴミの山をかきわけた。
従軍したその方の思い出などお話しください。: 昨年、父の軍隊手帳のコピーが実兄から届き、初めてみる履歴に驚愕。南京攻略戦に参加したことがわかり、初めて父の実像に触れ、頭を勝ち割られる衝撃を受けた。父の酒焼けの首を恥ずかしいと思い、父から逃げていた自分の思い上がりが吹き飛ばされた。昨年12月、週刊金曜日声の広場に私の投稿が載りました。同じ時期東京新聞で同会の記事を拝見しました。大変興味深い記事でした。
:
同会の簡単なチラシがありましたらお送りくだされば有難いです。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-01-22 10:04:57 JST

 

*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
メッセージ: 敗戦まで亡父は00の朝鮮人造石油会社に勤めていました。命からがら引き揚げてきて就職口を求めやっと入れた炭鉱では、叩き上げの上司にパワハラを受け、いつしかアルコール依存症になっていました。私が物心ついたときには夜パラって母を折檻し、暴れまわって家の中をぐちゃぐちゃにしていました。父を憎み離婚できない母も憎む捻じくれた成長をしました。黒井さんの記事が赤旗のひと欄に載ったとき、うちの父は戦場でではないけれど同じように戦争の犠牲者だったのだと思いました。00に住んでいるので会に参加は出来ませんが黒いさんの活動を支援したいと思いました。
メッセージ送信日時: 2022-01-11 14:33:23 JST

 

 

*PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会会員希望: する
メッセージ: 先ほど、「ちゃぶ台の会」に参加し、黒井さんのお話を伺いました。
涙無くして聞くことは出来ませんでした。
戦争はきれいさっぱり終わったわけではないことに、今更気がつきました。
最近、フィリピンの歴史の先生と出会いました。フィリピンの日本人孤児について研究している方です。
そこで日本がフィリピンに対してしてきた被害の凄さについて、調べて知ることになりました。
被害国としての戦争の悲惨さはかなり熱心に学んで平和活動をしてきたつもりでしたが、
加害国としての事実に向かい合い始めました。
今、リアルに加害者側として、現地の人に自分なりの声を届け始めているところです。
そんな折、黒井さんのお話を伺い、戦争に駆り立てられた加害者側の日本の兵隊も、生きて帰っても猛烈な被害者なのだということが痛いほど心に沁みました。
必ず邪魔になる。 強い信念の言葉をいただきました。
黒井さんばかりでなく、どこの国にも多数発生しているPTSDを引きずる、
普通の人<兵隊に駆り出されていった望まぬ兵士たち>に心を寄せて、
戦争をしないことを誓い、守っていきたいと思います。
今後のご活動、心より応援し、ともにありたいと思います。
どうぞよろしくお願いいたします。
この訪問者はプライバシーポリシーに同意しました。メッセージ送信日時: 2022-02-13 18:01:03 JST


匿名を希望: する: 今日の新聞を読んでこちらのホームページから送らさせていただきます。
記事中の「目の色が変わる」で、私の祖父を思い出しました。
2014
年に他界、生きていれば100才です。
中国へ戦争に行った事を聞いた事があります。銃を持ち撃たなければ死んでいた事や、爆撃で大怪我した人の足を縛り

切断したり、現地の中国人の話など聞きました。
私にとっては優しい祖父の記憶もありましたが、男尊女卑で、自分が一番、私が生まれる前の祖父は気に入らないと

手を上げ、自分の子供には今で言う虐待の様なことをした事もあったと聞いています。
私も祖父の目の色が変わって怒る姿も記憶にあります。私は手をあげられた事はないですが。
戦争の影響かどうか分かりませんが、定年までアルコール、たばこもしておりましたし、PTSDもあったのかなと

新聞記事を読んで思いました。
昔の人は皆んな男尊女卑で、家父長制と思っていましたが、私の家だけだったのかなと、もし、戦争が一因ならば

もっと祖父の気持ちが楽になるようにしてあげたら良かったと思います。
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戦争のトラウマからアルコールに依存した父 今も続く家族の苦しみ

  • 2022年12月9日

中国戦線で戦闘に参加し、シベリアに抑留された父。戦争のトラウマなどから戦後は酒を大量に飲むようになりました。母が動けなくなるほど殴ったり蹴ったりするところを一度見たことも。娘の私は、父の言動の影響で男性に恐怖心を抱くようになるなど、ずっと生きづらさを抱えてきました。
何が父の心をむしばんだのか。父の軍歴をたどると、壮絶な戦場の一端が見えてきました。
(聞き手 首都圏局/ディレクター 梅本肇)

12月9日放送 首都圏情報ネタドリ!
「家の中に封じられた“戦争の傷痕” 〜親から子に連鎖した苦しみ〜」

酒を飲むと父のどなり声が…恐怖と緊張の毎日だった

私、鈴木頼子(仮名・73歳)は終戦の4年後に生まれました。子どものころはよく、父から戦地の話を聞かされました。「ほらここ、ヒューンって弾がかすめたから、傷ができているやろ」と父が体の弾痕を指さすのを見て、戦争ってなんて恐ろしいんだろうと思ったのを覚えています。

父は戦時中、中国大陸に出征し、終戦後は旧ソ連のシベリアに抑留されたと聞いています。復員後は、戦争のトラウマからアルコールに依存するようになりました。

酒を飲むと声が大きくなり、どなり声のようになることもあって、家の中には常にぴりぴりとした緊張感のある空気が漂っていました。

子どものころ、一度見た忘れられない光景があります。父が母を動かなくなるまで殴ったり蹴ったりして、私をガッとにらみつけてきたんです。あのときはとても恐ろしく、寝るときに毎晩、夢に出てきました。

父の言動の影響で、私は引き戸を乱暴に閉める音などを聞くと、恐怖心がわくようになりました。他の人がなんとも思わない音でもだめなんです。男性への恐怖心も持つようになり、家に引きこもりがちの生活を送っていました。

「私は子どもを持たない」とはっきりと感じたのは、高校生か大学生のころです。私自身、誰かを愛することを学ぶ機会がなかった。ものすごく生きづらさを抱えてきました。

父の心をむしばんだ“戦争”を知りたい

何が父をあんなにも苦しめてきたのか。私は、父の戦争体験をたどることにしました。

軍歴証明書を調べると、父は終戦の6日後、ソ連軍などに抑留され「生死不明」とされていたことがわかりました。その2年後の11月に日本に帰還したと、あとから記されています。

父は本当に兵隊さんだったんだ。どれだけつらく大変だったか、その「生死不明」という文字を目の前にすると、“戦地にいた”父のことがリアルに感じられて胸が痛くなりました。

さらに記録には、父がこれまで語らなかったことも記されていました。

「昭和12年 南京攻略戦に参加」

旧日本軍が多くの市民を殺害したなどとされる「南京事件」。その時期、父は南京での戦闘に参加していたと記されていたのです。

これを見たときは思わず涙が出て、それ以上記録を読み進めることができませんでした。

父は私に言えることしか言わなかった。こうした体験は言いたくもないことで、心の中にガッと押し込めてかぎをかけていたのでしょう。本当にしんどい思いをしてきたことが、よく分かりました。

多くの人が“長年語れなかった”その背景は

体験を語ってくれたのは、73歳の女性です。

長年、自身の苦しみを周囲に明かすことはほとんどありませんでした。しかし最近、自分と同じような境遇の人たちが経験を語るのを見て、「戦争で苦しんでいるのは兵士だけではない。家族にも大きな影響を及ぼすことを知ってほしい」と、私たちの取材に応じてくれました。

女性のように、元兵士が負った心の傷や、それが家族に大きな影響を与えていたことについて、長年語れなかったという人は少なくありません。

戦争とトラウマの関係について研究する、広島大学大学院の中村江里准教授は、元兵士の心の傷を国が隠してきたことが、大きく影響しているのではないかと話します。

広島大学大学院 中村江里准教授
「戦時中の新聞を見ると、国は、戦争の恐怖による精神疾患が、敵軍の兵士には見られるが、日本軍には見られないとしていました。国民の士気を上げるためです。国家によってそうした病気の存在が否定されるということは、精神疾患を患った元兵士や家族にとっては、自己を否定されることに等しいわけですね。そうした父親の存在や、家庭のなかでの暴力というのは、周囲には話せないと感じた人も多かったと思います」

中村さんが話を聞いた元兵士の家族の中には、戦後も苦しみを語ることは難しかったと話す人も少なくありません。元兵士が復員しても、「戦争に行って大変だったね」と受け止める人はほとんどおらず、むしろ「なぜ帰ってきたのか」となじられるケースすらあったといいます。

「自分が傷ついたことを、安心して語れない社会だったわけですね。そのことが、その後もさまざまな歪みをもたらして、それが戦後世代にも引き継がれてしまっているのだと思います」

体験を周りに語りづらかったことが、元兵士や家族の苦しみをさらに深めたのではないかと話す専門家もいます。心理学が専門でトラウマについて研究している、甲南大学の森茂起教授です。

甲南大学 森茂起 教授
「トラウマを経験した時に、その体験を言葉にして語って、人に分かってもらうことが回復につながります。しかし家の中で戦争の話がタブーとされるような状態が続くと、元兵士やその家族の感情表現は制限されていきました。そのために影響が残ってしまった人も多いと思います。このことが、この問題を複雑にしています」

太平洋戦争開戦から81年が経った今もなお、世代を越えて続く苦しみの連鎖。戦争は歴史上の出来事ではなく、私たちの家族が関わった地続きの悲劇であるという事実が突きつけられています。

12月9日放送 首都圏情報ネタドリ!
「家の中に封じられた“戦争の傷痕” 〜親から子に連鎖した苦しみ〜」

天声人語

2022.11.22

これは「演技」ではない。

戦争を知った帰還兵たちのリアルな復活劇だったのだ。

 

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって9カ月近く。

戦争はあらゆる心を破壊する。

だからどれだけ遠くても、どれだけ遠くても、どれだけ困難でも、やめさせなければいけない。

 

2022年11月4日(金)
駒場東邦中学校1年生240人に「終わらない戦争」というテーマで以下のようにお話ししました。
★人を殺す人間になって欲しくない!
人に殺される人間になって欲しくない!
何ごと(戦争)があっても生き延びて、
誰もが安心して生活できる未来社会を
作る人間になって欲しい!
★戦争では何も守れない!戦争は苦しみをうむだけ!
★ロシアもウクライナも勝者にはなれない
 ロシアもウクライナも敗者だ
 ロシア人もウクライナ人も多くの命が奪われた
 奪われた命は取り返しつかない
 たくさんの人が戦争のトラウマ、PTSDで何十年も子ども・孫世 
 代まで続く苦しみが始まっている
★人類と日本の未来を!切り開く人になってください!
 不可能と思われていることに挑戦しましょう!
 気が遠くなるような道筋でもあきらめず、戦争をしない地球と 
 社会の実現をめざし、人間の叡智を信じてPTSDの日本兵と 
 家族の交流館は白旗を掲げ続けます!
★以下のような生徒たちの感想が届いています。
*戦争のせいで父親とまともに暮らせなかったことに日本政府の 
 責任を感じた。
 PTSDに悩まされている人は今もいるので、PTSDに関する情報を
 もっと開示するべきだと思った。
 未来に戦争が起こらいようにすることは僕たちにかかっている 
 と思った。
*ウクライナの戦争はロシアが悪いけれど武器を取って人を殺
 し、国民を精神不安定な状態にしたウクライナにも非はあると
 思った。
 強い者の意見に流されるような社会では戦争は起こってしま 
 う。だから一人ひとりが意見を持ち恐れず発信することが大事
 だ。
*黒井さんの声の熱からどれだけ自分たちに伝えたいかが伝わっ
 た。戦争は何も生みださないから、日本はもちろん世界中どこ
 でも戦争が起きないように努力していきたいと思う。

 

文化人類学 87.2に寄せて

2022.11.16  

PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

PTSDの日本兵と家族の交流館 代表 黒井秋夫

 

中村平さん、北村毅さんの「文化人類学87.2」オートエスノグラフィは歴史的な地平を切り開いたと思います。

日本兵のPTSDが日本兵(第1世代)、子どもたち(第2世代)、孫たち(第3世代)へと連鎖し今もなお継続中であることを、まざまざと人の心へ衝撃を伴って発信されました。

戦争が戦争期間中のみならず、戦後の落ち着いたと思われている家族生活、社会生活の深層で、ゴジラのうごめきのように吠えまわり、人の生き方を変え、関与し、抑圧し、捻じ曲げていることをお二人の論文は満天下に学問の成果として明らかにしました。

戦後日本人(家族)の精神史、あるいは人々はどのように考え生きたかを考える上で極めて重要な深層を説明解析する、時代を画する切り口を世に問うたと思います。

お二人の論文を読んで、黒井はまた父と母、兄や弟との葛藤、自身の心の有り様を反芻する作業が心の中で始まりました。

まだ、言えていないことがある。触れていないことがある。それは一体どういうことなのか。

やはり、黒井は自分と家族との一連のできごとを再度思い浮かべ、できる限り世の中に吐き出し、後世に生きる人たちに戦争の恐ろしさとして理解してもらう作業を続ける仕事があるのだ、とお二人に言われているように思います。

北村さんの祖父の方は「息子の新妻にチャンコロの首を切ったことをニタニタ笑いを浮かべながら自慢げに話した」とありますが、8.7集会の証言者の野崎忠郎さんの祖父も同じように息子の新妻に酒を飲みながら731部隊での人体実験を手柄話として話して息子の嫁を驚かせています。こういうことが日本中のあちこちで語られていたかもしれません。奥底にたまった心の重石を異常な表現でしか吐き出せなかった元兵士の心の闇もまた戦争の恐ろしさと思います。

 

 これからもお二人との対話を続けながら、少しでも黒井も成長し、「二度と戦争をしてはいけない」を次代の人たちに伝えていきたいと思います。


PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」参加者感想文

1,

  証言集会について(①は以下同じ)。父は何も語らず32年前に逝き、軍歴も分からないのでネットで色々探して見当をつけた。今年6月になって妹が詳細な軍歴を送ってくれた(全くその存在を知らなかった)地図をたどりながら見て、行動の広範囲と多忙さに驚いた。

父の戦争責任をここ30余年心に抱えて、人に話す折もなく苦しかった。昨年、吉田裕さんの「日本軍兵士」に出会い、兵士の具体的な肉体的苦痛(荷の重さ、靴、水虫、歯などなど)や私的制裁の精神的苦痛など、20代の全てを軍隊で過ごした父の苦痛のいくらかでも初めて自分の肌で感じた。

今回の皆さんの証言を通して、父の戦後、そして家族としての自分の人生を初めて考えた。これまでは自分の生きづらさと父との関係を考えてはきたが、戦争、軍隊と関連させては見ていなかった。吉沢さんの「引きこもり」という言葉が自分の内面に抱えている問題と同質に感じて強く共感した。

  吉田裕さんの講演について(②は以下同じ)。吉田さんの著書を読んで参加したいと思いました。内容は基本的に読んでいた事でしたが直接お話をうかがえて良かった。

  家族の交流会について(④は以下同じ)。とても良かった。孫世代の大学の先生たちが、研究者としてではなく同じ立ち位置で話してくれて共感することが多く、自分にとって新しい角度であり、感慨が深くこれからの希望を感じた。初めに証言を聞いて、その後、参加者が平等の立場で自分の経験を分かち合うという方式はとてもいい。意見ではなく経験と感情を分かち合う、前の世代の侵略戦争の責任がずっと心に重かったが、今回参加した事で78歳の自分に内面化された戦争、自分の人生と戦争、という角度を得て、今何をするのか、どう生きるのか、思いめぐらせるようになった。何か新しいものが開けていく気がしている。

 

2, ①家族の証言

  横浜市従労組機関紙の記者が「家族の恥」から「国家の責任」へのパラダイムの転換を

  感じさせた証言とおっしゃったのが、実に腑におちました。

  まさにその通りの、お三方の証言でした。

  また、中村江里さんのことばの選び方の巧みさ「終わらない戦争」「語りはじめた兵士のこども

たち」「公的なスティグマ、セルフスティグマ」「個人や家族の中に隠されてきたトラウマを社会に開く」歴史が動き始めたという力づよい言葉に感銘を受けました。

 ②吉田さんの講演 著書『日本軍兵士』がそうであるように、アジらない、煽らない、関心があるのは事実だけ、事実を明らかにすれば本当のことはおのずと見えてくるという姿勢に感服しました。日本軍の戦争神経症対策は「詐病の摘発」であり「殴打、飢餓、首枷」で詐病を告白させたというおぞましい歴史の事実。

  記者会見。さすが記者さんという質問あり、メディアの奮起をうながす発言ありで楽しい記者会見でした。「パラダイムの転換」に触れて、中村平さんから「黒井さんの問題提起を初めて聞いたとき、日本兵の加害性を削減する役割を果たしてしまうのではないかという危惧をもった」という興味深い発言がされた。戦後の日本では、きちんとした教育がされないまま「悪の権化」としての日本兵像だけがあった。黒井さんの問題提起はそれを揺るがした。軍人のなかの加害性と被害性の両方を見る必要がある。ヒロシマにしても同様だ。ヒロシマにも「加害の責任」があるという発言が迫力でした。

どの発言もすばらしかった。実行委員会で可能なかぎり文字おこしをし、公表可能なかたちにしてほしい。

  10時に集合した30名の実行委員のみなさん(自分もその一人ですが)に敬意を表します。

 

 

3,①一人30分必要だった。森倉さんが時間を気にして駆け足でお話しして下さったのが残念です。3人とも内容はどれも重要で貴重なものでした。この活動を形にして残すことと伝えていく必要があると思います。

②なかなか得られない情報ばかりでした。物質的に戦う前から負けることは明らかなのに、なぜ戦争に走ってしまったのか、日本人はバカだとつくづく思います。それを周りの人々が止められなかった点についても同様です。吉田先生の研究は貴重で素晴らしいと思います。

③掛け合い、興味深かったです。

 

4,③面前DVで育った孫世代への世代間連鎖の指摘は私自身に当てはまることと感じています。吉沢さんのお父さんのように、理屈で相手を打ちのめす様な物言いを私もしてしまいます。自分でも自制ができなくなる自分に後でおののくことがしばしばです。

 この問題が過去のことではなく、亡くなった父や母だけの問題でもなく、私自身にも私の周囲にも(このあたり、判読不能=黒井)影響を与え続けている現在進行形の問題だと痛感させられています。

 

5,①生活の多くの時間を戦争体験のフラッシュバックとして支配している、繰り返しその生活が続いていくことが印象に残りました。

②日本兵の太平洋戦争中の生活環境の悪さも精神疾患に繋がったのだと言うことが分かりました。

 

6,①(元気のいずみで知ったので)このように大規模とは想定外でした。16時に終わると思い昼食抜きでした。途中で席を立てず、中村先生の本代で財布の中身が消えて(他の本の欲しかった)、それでもわずか数行のお知らせで参加決断したことをほめたいです。吉田先生のお話しに驚き、軍歴の調べ方があることも分かり、やってみたいと思います。

母の長兄が広島の被爆者だったので(晩年になって体験を語りました)原爆禁止は早くから身近にありました。

米国ではベトナム戦争経験者(VFP)の中のPTSD問題も注目されました。日本でもきっとあるはず、、、なのに調査からも取り残されるのでは(人権意識の低さ)と感じていました。2000年前後にはアレンネルソンさんの講演も各地であり、黒井さんも聞かれたのでしょう。日本政府の“棄民政策”でずっと省みられなかったことがやっと陽の目を見たことに席を立てませんでした。

メディアへの要望も語られ良かったと思います。

それらの全ては今後二度と同じ過ちを繰り返さないためです。世界で起きている暴力、争いを「止めることに繋がるように。

 

7,素晴らしい会でした。トラウマの研究は欧米では半世紀前からあるのです。日本では知られなさすぎます。

 

8,①皆さんのお話を直接お聞きするのは初めてでした。その言葉を聞きたくて、今日参りました。ありがとうございました。吉沢さんの「父は暴力は振るわないが家の中には見えないがピリピリしたものが家族のなかにありました」という言葉、同感です。あれはしんどかった。私もプチ隠れ引きこもりです。

 ②吉田さんのお話しは、さまざまな方々の著書など紹介下さり感銘を受けました。一つ一つよ無気力が足らず、黒井さんの会報で拝見するだけに終わっていました。しかし、戦前戦後にも「日本軍兵士を人を人として扱っていない」というきちんとした指摘をした方がいらしたのだと“灯”をいただいた思いです。

 

9,①お三方の貴重なお話しありがとうございました。短い時間でしたので、もっとじっくり聞きたかったです。

 ②データを基に兵士の状況を具体的に聞くことができてとても驚きを覚えました。日本人の良さが戦争中に失われて(秘匿され)権力者に都合の良いように操作されていたと改めて感じました。当時の日本の状況、日本人の思想がどんなものであったのか実感を持って想像しがたいのですが、自らの意思を表明することが“上手ではない”日本人が変わっていかなければ“付和雷同・同調圧力”が続くのだろうと思いました。

 

10,全体主義、統制主義、学校で左利きを右利きに、軍隊では銃を使う時に右利きに強制された。帰還兵の先生が軍隊体制教育をしていた。運動部では体罰が当たり前が近年まであった。今80歳代は精神的に残った考えをして、奥さんに暴言暴力をふるっている現在である。

 

11,①今まで封印されていた記憶を公衆の前で勇気を持って話していただき大変心に響きました。(特に吉沢さん)家族の問題は外部には語りづらく知られたくない思いもありますが、その問題に社会的意味(問題)があることに気づけることは人生を変えることになると思いました。

 ②吉田先生のご講演は兵士の体格(身体)や心という中々つかみとれない内容を資料と先生の膨大な知識に裏づけられていてわかりやすく興味深かったです。かつて初年兵が40㎏の弾薬箱をかついでビルマルートを歩いたと聞きました。かなりつらかったでしょう。良く分かりました。

 ④言葉では言い表せないです。とても心に響きました。どうもありがとうございます。私は戦友会研究をしています。元兵士がいなくなった後、女性たち(娘)が語り始めています。

 

12,日本の秘密主義もあり、PTSDで困っていることは中々広まっていません。戦争の悲惨さを再認識してもらうためにこの事実を広めていく必要があるでしょう。

 

13,貴重なお話しありがとうございました。PTSDの症状は人それぞれであると感じ、この存在をもっと世の中に広めるべきだと思いました。今日の証言、また交流会の中でしか話されないような内容を匿名でも良いので文字に起こして本にしていただければと思います。また交流館が大きな資料館として大きく後世に残すことができれば良いと考えました。

 

14,①衝撃的な家族の証言でありました。外国人に比べて日本兵のPTSDは極端に少ないと聞いていましたが、実際はPTSDが自分の父親にもあったし、もっと沢山いただろうという実話には涙と驚きなしには聞けませんでした。“PTSDの会”を立ち上げた黒井さんの行動力と戦争を絶対に起こしていけないという強い気持ちが心に響いてきました。

 ②吉田裕先生の「兵士の心と身体をめぐる諸問題」についての講演も素晴らしいものでした。先生は現在「東京大空襲戦災資料館」の館長であり尊敬しています。ぜひ研究者としてもこの家族会と連携して励ましていってもらいたいと思います。

 

15,まだまだ戦後は終わっていないと感じます。復員日本兵だけでなく、被爆した子どもたちが生き残り、その時の悲惨な体験が繰り返しよみがえってくるなど、PTSDはいろいろなところで起こってきたんだろうなとも思います。復員兵のPTSDでこれだけ多くの人たちが苦しんできたことを初めて知りました。空襲で負傷した人たちに対する賠償もしていない日本ですがPTSDで苦しんだ復員兵にも賠償すべきだとも思いました。

 

16,①歴史の授業で扱われて来なかった兵士とその家族の葛藤や苦悩を聞けるとても貴重なお話しでした。次回も参加したいと考えております。

 ②食料や物資による国力の差、日本人の戦争観と兵士の関わりを詳しくお話しくださり勉強になりました。戦争期における兵士の人権の軽視が問題であると思いました。

 “質問”➡なぜ、軍首脳部は兵站や兵士の健康状態に気を配ることをしなかったのか?
戦後復員兵に対する保護は十分であったか。また、世間からはどう思われていたか?

 

17,⑤中村江里さんの「戦争とトラウマ」を読みました。「なんで今までなかった事にできたのか」も少しわかりました。一端は私たち市民の側にもあったこと。白衣の人が新宿に座っていたことを覚えています。が、あとで調べて何も出てこなかった覚えがあります。「公」の歴史で消してしまう。今も続いています。来年楽しみにしています。

 

18,非常に勉強になりました。

 

19,アメリカなどの従軍兵については報道などで知っていたが、アジア太平洋戦争時に日本兵の除隊後の実態としては黒井さんの三多摩健康友の会での訴えで知ることになりました。戦後、ご本人はじめ家族の苦労には大変心が痛む思いで拝聴いたしました。広く世界に知らせていく活動に敬意を表する次第です。1945815日に終戦を迎えましたが、未だ終戦を迎えていないことを知りました。今後の奮闘、陰ながら応援したいと思いました。すばらしい勉強会になりお疲れ様でした。

 

20,⑤戦場のPTSDを知ったのは米兵の帰還兵のニュースからでした。ベトナム戦争後の映画にも帰還兵の自死が描かれていたと記憶します。今日の会でもお話のあったアレンネルソンさんの「あなたは人を殺しましたか」を読み、訪日中のネルソンさんの講演会にも参加して過酷な戦争体験が心と人格を破壊することを知り、反戦を訴えるのはもちろんのこと、兵士たちのケアを法的に制度的に整える必要を痛感しています。日本の場合、戦場のPTSDが明らかになったのは小泉政権の自衛隊イラク派遣でした。現在40人を超えていますよねPTSDにより自死した自衛官は。職場復帰できない方も相当に上ると聞きます。アジア太平洋戦争の被害者がいることを知ったのは2018年のNHKでした。あれは衝撃でした。黒井さんのカミングアウトで最初の一人が明らかになり、次々見つかり声を上げられることを期待しつつ、安保法制化で米軍と世界中どこへでも派兵されることになった自衛官への医療バックアップ体制を構築していかなくてはと思います。

こういうと自衛官が加わる戦争を前提にしているようで心苦しいです。基本は全ての戦争に反対し、この小さな島国家が生き残る戦略は平和外交しかないと確信しています。

PS北村先生のお話しで、、、戦争の子ども世代、孫世代の“戦争を語り合い継承する”自助グループがドイツに現れているとのこと、世界的なムーブメントにして行きたいです。

 

21,“歴史が動いた”という言葉がありましたが正にそれにふさわしい会になったと実感します。夫婦や親子の個人的問題と思われたものが歴史的社会的な問題であることに気づかされることは普遍的問題だと思います。

 

22,①本人、ご家族にとってどれだけ苦しくつらい戦後であったことか。振り返り語られる勇気に敬意を表します。

 ②一銭五厘、赤紙一枚と聞いたことがあります。人命、人権思想のなさ。戦後反省できなかった日本。人を人とも思わぬ戦前が始まっているように感じます。戦争を準備させぬ市民一人ひとりの戦いをこそと思います。

 

23,なかなか中身の濃い集会でした。勉強になりました。

  もう少しご家族のお話を直接お聞きしたかったと思います。父親の振る舞いが従軍体験に基づくものであると受けとめられた時、初めて父親を取り戻したと感じられるように思いました。たとえ、攻め込まれたとしても戦争はしないという決意があってこそ、外交努力によって他国との利害対立を解決する姿勢が確固となると考えます。

中村先生のご研究ももっと聞きたかったです。

  吉田先生の資料を確認しながらのお話しは大変説得力がありました。「日本軍兵士」読ませていただきます。ありがとうございました。

*来年については感染状況が(2020年~2022年)ピークになる8月上旬を避けて下旬にしていただければと思います。

*李素楨さんのお話しに触れられたことで、日本軍の戦争犯罪が現地の被害者はもちろんのこと、加害の側にいた日本軍兵士の内面にも深刻な影響を与えた、その両面が見えて来たように思います。集会の成功おめでとうございます。

 

24,①理由が分からないまま、戦後「人が変わった」ようになられた家族を受け止めて来られた方 

   の人知れぬ苦しみを思いました。終戦、停戦で終わる戦争はないだろうなあ。

  今回、兵士の身体性が戦争にどう壊されていくのかが良く分かりました。ありがとうございました。吉田先生の人間味も合わせて感じられる良い講演だったと思います。

  メディアの役割をめぐってのやりとり、すごく良かったです。加害と被害の複層性?個人の問題に矮小化させるのではなく国家の責任を問うことが大事というのに共感です。

 

25,①貴重な会を企画下さりありがとうございます。戦争は参戦した当事者(兵士)だけでなく、家族や社会、何年にもわたって傷(PTSD)を被っていると思います。社会に向き合うにも時が必要だったのかもしれません。でも“無し”にはできないですね。

  吉田先生のお話し➡「軍歴証明」について参考になりました。軍人遺族年金を最近他

界した母が受け取っていましたが、どういう条件や軍歴で対象になるのかと思っていました。

・会場での録画に関して、会の趣旨とは別に今、個人情報のこともありビデオ撮影への配慮が求められていると思います。

 

26,職業軍人だった祖父と私の父の不和について考え続けてきました。今回のお話しを聞いて新たな視点を持つことができました。すでに祖父は亡くなっていますが、幸い父は健在です。父の心の整理の為に父自身の話しを聞いてみようと思いました。ありがとうございました。

 

27,①戦争を体験した世代が少なくなるにつれて、戦争の勇ましさを声高に主張する人々が増えたと思います。PTSDに苦しんだ日本兵の声を(あるいはその家族の声)を丁寧に拾い上げることが戦争の実相を後世に残し平和の礎になることを本日の会に参加し確信しました。

・戦争はプロパガンダに彩られます。そして形のないイデオロギーに支配されます。しかし、身体こそ戦争の実態を理解する機能です。兵士の身体を通した吉田先生の戦争のとらえ方はとても大切であり、さまざまな社会的な事象を理解するための一つのツールになると思います。とても有意義でした。

 

28,黒井さんの活動が実ってこのようなPTSDの問題が世に出始めたことは大変意義深く、戦後の日本の歴史への再評価になると思います。声を上げた人々の勇気に感謝です。

 

29,レジュメの表紙にあった写真「戦争はしません。白旗を掲げましょう。話し合い和解しましょう」の言葉が心に残りました。ウクライナ戦争で軍備増強が叫ばれる中、上の言葉がまさに胸に突き刺さりました。9条を持つ日本こそ上の言葉の精神で進むべきです。

・黒井さんのお話しを聞くのは2度目ですが少なくとも300万近い家庭(兵士)がPTSDに悩まされ、放置され苦しんだ戦後を思い、ぞっとすると共に国家の無責任さに怒りが湧きました。軍隊自体、暴力が横行していたため復員兵士の家庭で父親が暴力をふるうことを時々耳にしました。

 

30,①黒井さんのお父様の晩年の映像は非常に衝撃を受けました。ご家族のことを語られるのは本当に心が痛むと思いますし、とても勇気がいることだと思います。ありがとうございました。

 以前、西東京市の公民館で何人かの人と話をしていて、特攻に行く直前で終戦になったという体験を話された方がいたのですが、それに誘われるように別の方が「自分の父親は戦争体験して帰ってきたが、家では妙に恐かった。それは戦争体験したからなんだろうなあ」というような話をしていました。程度の差はあれ、おそらく帰還兵を迎え、生活した家族というのは何らかの傷を負っているのかもしれません。ちょっとした会話の中に見えることを落とさず聞いて行きたいなと思います。

  海軍の艦艇の環境が劣悪で精神神経症疲労が目立つという内容に吉沢さんのお父様が戦艦沈没で九死に一生を得たとおっしゃっていたことを思い出し、吉沢さんのお父様もそんな体験をされていたのだろうと思いました。また、先日NHKハートネットTVの「戦争が聞こえる」という番組で盲学校の生徒が戦争に協力せざるを得なかった内容が描かれ、それちょ関連することも語られていて、このことについても知っていきたいなと思いました。

 

31,私の父は南部戦線(タイ?)で補給部隊(トラック部隊)の士官として従軍した。戦後、会社員としては仕事を全うしたが、家では「アル中」で、休みの時は朝から飲んで母や兄を罵倒していた。父呉から聞いた唯一の戦争の話は、士官として捕虜の首をはねた時の話である。「首をはねたとたん、その捕虜は立ち上がった」との話しだった。父は家族に戦争の話はしなかったが後になり、小学校で戦争の悲惨さについて話していたらしい。多分晩年になってそれが父の贖罪だったのだと思う。小学校で話した内容がビデオに残っています(多分)。

 

32,私の父も南方から帰ってきましたが自分の記憶では父にPTSDの覚えはありません。ベトナム戦争当時のアメリカ兵のPTSDが一時期マスコミに話題になったことを覚えています。

 

33,戦争についてはできる限り知ろうとして歴史書や文学作品に触れてきましたが、一番知らなくてはいけないことは戦争が個々人の心身にもたらす影響だと思いました。今回はその核心的な内容について教えてもらいました。これからも考えていきたいと思います。

 

34,①つくづく戦争がなければご家族がこんなに苦しむ事はなかったし、元日本兵の方の受けた理不尽に対する怒りが家族の社会にしみ出していっているように感じます。(これを家庭の問題に押し込めたい人たちがたくさんいそうです)知らしめていかないといけないと感じました。

②吉田先生は映画などで良くお顔は拝見していましたが、初めて講演を聞けて嬉しかったです。「兵士個人が我慢すればなんとかなる」的な人命軽視、今の日本の自己責任論の根源を見るような思いです。日本の経済的な衰退も突き詰めるとここに収斂していくような気がします。現実から目をそらして正しい対策を取らない、今も同じだなと思いました。

 

35,黒井秋夫さんの今の活動を見ると、戦争にさえいかなければおとう様は今の黒井さんのように積極的に行動されていただろうと思います。30年以上経ってお父様の苦しみに気づいてあげられたことは何より供養になったと思います。PTSD復員日本兵に対して戦中の事ではなく戦後も隠し続けてきた日本政府は今と少しも変わっていないと思います。

 

36,証言がメインと思いましたが発表時間が短くなり、」急がされたものになったので残念です。じっくり時間を取り聞きたかったです。来年も参加しますので御藩士をじっくり聞かせてください。

 

37,本日はこのような貴重な機会を作ってくださりありがとうございました。お恥ずかしいですが戦争を知らない世代の私にとっては、復員日本兵の方やご家族が戦後もPTSDに苦しみに闘ってこられた事実を初めて知る機会になりました。そして大変衝撃的な事実で言葉が見つからない程の事実でした。戦争は人の身体を傷つけ、命を奪い生活を奪ったことはもちろん、心にも耐えられない傷をもたらすことを改めて認識しました。昨日も被爆者の方のお話も聞かせていただきましたが、今の戦争に苦しめられている方が大ぜいいらっしゃることを私たちは決して忘れてはいけないと思います。

また、今まさに戦火の中にいる人々や子どもたちがどれだけ心の傷や恐怖を背負っているのかと思うと胸が本当に痛いです。ウクライナへの軍地侵攻を一日も早く終わらせるとともに、日本も二度と戦争のできる国にしてはいけない!!と強く思います。

話はずれますが私の娘は精神障害者です。娘の場合は現在社会にうまく適応できずに発病してしまいました。暴力などふるうことはありませんが、娘が病気を抱えながら生きることを支える家族も時々心が折れそうになります。きっとPTSDの日本兵のご家族も私と同じように人には言えない他人には分かってもらえない、きっと私以上の辛い思いをしながら支えて来られたと思います。そういう意味でも共有できる思いをたくさんできた機会になりました。ありがとうございました。

 

 

38,証言集会に来るのはとてもしんどい事でした。家族の関係を否定することだと思われていたので口にするのがはばかられた。言ってみるとそれぞれがそれぞれの知っていることで

https://news.yahoo.co.jp/articles/d07f8b42aad787843addd622d9faa6dccce51d60

PTSDの日本兵の家族の思いと願い・証言集会ニュース

証言集会実行委員会・

語り合う会合同ニュース

2022.8.10 発行

 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会が開催されました!(2022.8.7)

★実行委員会の皆さんに心からお礼申し上げます。

武蔵村山市市民会館小ホールに午前10時に(武藤さんは8時前に交流館にお出でになりました。小ホール搬入口には9時前に内野さんなどお集まりいただきました。皆さん全て自主的に!)集まっていただいた34人の実行委員さんのテキパキとした臨機応変の対応で何の混乱も起きず、順調に運営できました。実行委員の皆さんに深くふかく心から感謝申し上げます。

 

PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」はPTSDの日本兵の家族が「家族の恥と思い隠してきた、言葉にできなかった」事実を社会に自ら発信するという歴史的な集会になりました。

 

参加者201人、報道は914人、研究者7人にお出でいただきました。

出征した父の初任地、吉林省公主嶺の出身、中国人歴史研究家・李素楨さんも駆けつけてくれました。2020823日、日本兵の歴史研究の為に交流館に来館された李素楨さんに、出生地を聞き驚いて、父の引き合わせと直感して、日本兵父の蛮行を謝罪して以来、交流が続いています。黒井は証言の途中で紹介して最前列の李素楨さんと握手をしました!

 

最後のPTSDの日本兵の家族交流会では関西から来られた二人の女性の方がゆっくりゆっくり言葉を選び、長い間心に抑えていたご自分の体験をお話しされました。胸が詰まりました。

権力が隠してもかくしても決して痛みを抱えた庶民は黙って引き下がることなどないのだ!

これからも、次々と押さえられた声が地の底から湧き出て来るに違いない!

これからもPTSDの日本兵の家族たちがお話しできる場を作ります。

★証言集会のまとめの実行委員会を下記日程で開催します。

 証言集会に携わった思い、良かったこと、改善点、感想などを出していただき交流いたします。

 来年の証言集会をどういう目的、どういう内容で開催するか、どういう準備をするか、などの意見、

思いも出し合いたいと思います。ぜひご参加ください。

 911日(日)14時~16時 武蔵村山市中藤地区会館

2,証言集会までの歩み

314日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館

412日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館

515日 相談会(野崎、吉沢、森倉、黒井)於・交流館

612日 オープン実行委員会 12人参加 於・中藤地区会館

717日 オープン実行委員会 14人参加 於・中藤地区会館

731日 オープン実行委員会 20人参加 於・中藤地区会館

87日 証言集会当日、各部署でお手伝いいただいた皆さん 34人!

3,会計報告

*証言集会参加者 201名(報道関係、高校生など19名は無料)有料参加者182

■収入合計 221.263

・資料代182名×500円=91.000円 

・会場カンパ 100.263円 特別カンパ 30000円 

■支出合計 142.676

・小ホール会場費 67.495円 ・実行委員会会場費 4.247円 

・研究者、映像協力者謝礼 40.000円 ・資料印刷代 2.680円 ・カラーチラシ印刷代 16.350円 

78.587円の黒字になりました!

4,2023年証言集会について

来年2023年は武蔵村山市市民会館の小ホールから大ホールに場所を移します。

更にいつか、東京日比谷公園大音楽堂で開催する規模の「証言集会」を実現する覚悟です。

2023年の日程は820日(日)開催を予定いたします。

これからも皆さんのご支援をよろしくお願いいたします。

5.「戦争をしてはいけない」を子どもたちに伝える活動に力を入れたい!

★東伏見学童クラブ 「平和学習」

8510:3011:40 1年生~4年生70人程と先生8人。 

・ロシアのウクライナ侵攻、日本軍のアジア侵攻から始まった長い戦争の歴史、1894年日清戦争 1904年日露戦争 1910年日韓併合 1931年からの15年戦争 1941年太平洋戦争 そして1945年の敗戦、

沖縄が戦場となり、広島・長崎に核兵器が使用され、東京などの都市空襲で日本は焼野原になりました。日本の50年に及ぶ侵略戦争の結果、何を得たのか。子どもたちに質問しました。「無意味―むいみー」と子どもたちは一斉に答えました。

 

*武蔵村山市青少年教室 「戦争について考えてみよう」 830日(火)

・対象 小学生・中学生・保護者同伴可 主催 教育部文化振興課生涯学習係

・東伏見学童クラブと同様、日本が始めた戦争を写真を使用して質問形式で進めます。その後、ある日、外国軍が攻めてきてミサイルが今いる場所に打ち込まれたらどうするか、どうしたら生き残れるか?を、みんなで考え、出し合い、発表するやり方で進める予定です。必ず生き延びる方法はない、と言うこと、戦争をしないことだけが生き延びる道であると気付いてもらいたいと考えています。

 

6,8.7証言集会が報道されました!

★東京新聞夕刊」が202288日(月)報道しました!

共同通信配信で次の21社が記事を掲載しました!

北海道新聞 東奥日報 岩手日報 秋田魁web 福島民報 信濃毎日 下野新聞 

千葉日報 東京新聞WEB 神奈川新聞 福井新聞 大阪日日 神戸新聞 中国新聞 

徳島新聞 高知新聞 西日本新聞 熊本新聞 宮崎日日 沖縄タイムス 

DAILYSUNNEWYORK

戦争の心の傷、実態調査を 元兵士の家族ら証言集会

8/7() 19:45配信

東京都武蔵村山市で開かれた、PTSDを抱えていたとみられる元兵士の家族による証言会=7日午後  太平洋戦争の戦地から復員し、心的外傷後ストレス障害PTSD)を抱えていたとみられる元兵士の家族による証言会と交流会が7日、東京都武蔵村山市で開かれた。「戦争による心の傷に苦しんだ兵士と家族は長年、隠された存在だった」として、国などに実態調査をするよう訴えた。  同市の「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」が主催し、約200人が参加。埼玉県川越市の吉沢智子さん(67)は、海軍将校だった父の暴言に苦しんだ体験を語り「父は戦後の社会に適応できなかった。わが家にはいつも恐れや怒りが渦巻いており、家族は引き裂かれた」と振り返った。

カンパ振込先口座名義 PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会

★ゆうちょ銀行からの送金(郵便振替用)ゆうちょ銀行口座。 記号 11390・番号 21576251

★ゆうちょ銀行以外からの送金 (内国為替用)ゆうちょ銀行口座

★店名 一三八(イチ サン ハチ)・店番138 ・普通預金(口座番号)2157625

「語り合う会」と「PTSDの兵士の交流館」連絡先

黒井秋夫 08011213888 ホームページ https://www.ptsd-nihonhei.com 

208-0001武蔵村山市中藤3-15-4 ★メールアドレス qqkc6av9@ceres.ocn.ne.jp

「語り合う会」通信は周辺600世帯と武蔵村山市の市長・副市長さん、市議会議員さん、教育委員会、

市立3小に配布。報道各社に配信しています。

 

「しんぶん赤旗」が202289日(火)報道しました!

★呆け天残実録紹介

https://boketen.seesaa.net/

実行委員として参加した方の集会の紹介が早々とブログ紹介されましたのでお知らせいたします。

★UPRANさんがYouTubeに証言集会を動画配信しています!

(134) 20220807 UPLAN PTSDの日本兵の家族の思いと願い・証言集会 - YouTube

 

(134) 20220807 UPLAN【記者会見】PTSDの日本兵の家族の思いと願い・証言集会 - YouTube

8.7 PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」が共同通信配信で次の各社が記事を掲載しました!

 2022年8月9日(火)

「8.7 PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」が共同通信配信で次の各社が記事を掲載しました(黒井がNETで検索確認した範囲です。ほかのメディアが掲載している可能性があります。気付きましたら教えて下さい)!
北海道新聞 東奥日報 岩手日報 福島民報 信濃毎日 下野新聞 
千葉日報 東京新聞WEB 神奈川新聞 北国新聞 福井新聞 
中日新聞 大阪日日 神戸新聞 中国新聞 徳島新聞 高知新聞 
西日本新聞 熊本新聞 宮崎日日 沖縄タイムス 
DAILYSUN・NEWYORK

 

 

「8.7 PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」をしんぶん赤旗が2022年8月9日報道しました!

8.7証言集会が8月8日(月)東京新聞夕刊でほうどうされました!

2022年8月7日(日)
「PTSDの日本兵と家族の思いと願い証言集会」が武蔵村山市市民会館小ホールで開催され、PTSDの日本兵の家族が「家族の恥と思い隠してきた、言葉にできなかった」事実を社会に自ら発信するという歴史的な集会になりました。
参加者201人、報道は9社14人、研究者7人にお出でいただきました。集まっていただいた30人の実行委員さんのテキパキとした臨機応変の対応で何の混乱も起きず、順調に運営できました。
実行委員の皆さんに深く深く感謝申し上げます。
最後のPTSDの日本兵の家族交流会では関西から来られた女性の方がゆっくりゆっくり言葉を選び、長い間心に抑えていたご自分の体験をお話しされました。胸が詰まりました。
権力が隠しても隠しても決して痛みを抱えた庶民は黙って引き下がることなどないのだ!
これからも、次々と押さえられたいた声が地の底から湧き出て来るに違いない!
これからもPTSDの日本兵の家族たちがお話しできる場を作ります。
来年2023年は武蔵村山市市民会館の小ホールから大ホールに場所を移します。更にいつか、東京日比谷公園大音楽堂に開催するような「証言集会」を実現する覚悟です。
これからも皆さんのご支援をよろしくお願いいたします。