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何故戦争を防げなかったのか。どうすれば防げるのか。

友人からメールがあり、彼は彼で日本の戦争の歴史に対する考察を続けているという。私の「語る会」開設と問題意識が重なっている部分もあるようだ。

私はこの頃、「ブログを読んでもらう事に意味がある」と思うようになった。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の立ち上げはピースボート乗船以来3年以上の逡巡や準備の末の決心でしたが、当時は「公民館で学習会をどんどんやって賛同者を獲得する」というのが、ぼんやりした活動イメージでした。
それは今もそうなのですが、「戦争をしてはならないと思う人が増えていくこと」「戦争をしてはならないと思う人たちが多数派である日本・そういう社会を維持する、あるいは目指す事」がこの活動の目標なのだと改めて気づかされました。

日本は何故戦争をしたのか。なぜ阻止することができなかったのか。

明治維新政府が「富国強兵政策」を、目指す日本の基本に定めた時(定めさせてしまった時)に戦争に突き進む日本の行く道は決まったと思います。いわゆる岩倉視察団が欧米世界を見て来てオランダ・スイスのような小国主義ではなく列強の道を歩む大国主義が日本の生きる道と決めた事、そのことが第二次大戦の敗北に到る日本の道を決めたと思います。
そして「富国強兵・大国主義」は一貫して日本国民世論の多数派だったと思います。
もし戦前の一時期でも「戦争をしてはならないと思う人たちが多数派」であったなら日本の戦争の歴史は変わっていたでしょう。
「戦争をしてはならないと思う人たちが多数派」になったのは「憲法9条」を国是とするようになった1945年以降の事です。そしてそれは今も維持されています。だから政権党といえども戦争はできないでいるのです。

「戦争をしてはならないと思う人たちが多数派」である今の国民世論を維持することが大事なのだと気付きました。
だとしたら、「ブログを読んでもらう事」だけでも意味があるのではないでしょうか。「そうだよね」と言ってもらう事に意味がある。

肩肘を張る必要はない。華々しいこともいらない。そのことで「戦争をしてはならないと思う人たちが多数派」であることが維持されることに役立つなら、一滴の水滴だとしても意味がある。そう思うようになりました。
かっこよく言えばブログが「大河に連なる一滴の呼び水になる」。