亡き父と会話すると言う事は父が遭遇したであろう事象を想像の世界で追体験することを抜きには成立しない。父が戦場で体験した事。感じた事。捕虜の期間、復員後の日本での戦後体験、どんな出来事に出会ったのか、感じたのか、どう考えたのか、精神の中にどう整理したのか、整理できたのか。
父は生前、戦争体験はほとんど話していない。私は殆んど聞かされていない。追体験するためには「戦争体験を話した人が残した文章や映像」をとに角多く読んだり見たり聞いたりするしかない。
しかし、実際は遅々として進まない。と言うよりも「進めない」。読んでいると気が重くなる。気持ちが沈んでくる。日本軍兵士がアジアの戦場でやったことは本当に米軍兵士がベトナムでしたこととよく似ている。残虐この上ない事を自分はしていたと多くの兵士が証言している。その証言を読み続けるのは気が滅入る。敵軍は勿論、通じていると疑がわしき民間人もその集落も、殺される前に殺す、襲われる前に襲う、その連続。
生半可なことで人はPTSD状態にはならないだろう。想像を絶する生死を懸けた極限状態が続くからこそ精神の平衡が崩れていくのだろう。
追体験は辛い作業だとしても私たち(日本軍兵士の子供達・家族)は続けなければ父親たちの心の深層に近づくことができない。PTSD状態になったのは父親たちが人間らしい心を失えなかったからだったのではないか。優しい心をその片隅に持っていたからなのではないのか。父達よ、無口で戦後社会を生きた復員日本軍兵士の父達よ、私たち子供世代はようやくその事に気が付きました。あなたたちが何故戦争を語る言葉が見つからなかったのか。
無念の気持ちを残したままあの世に逝ったとしたならば私たちがその無念を晴らしてやりたい。あなたたちに代わって。
話せなかった心の内のたとえ数%でしかないとしても、父親たちが今あの世から伝えている言葉を世間に語り部のように発信しようと覚悟している。
私たちの最後の生きざまを日本軍兵士たる父親たちはあの世からじっと見ているように感ずるのだ。