· 

公開講座開催報告(5月13日)

「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」
オープン講座開催報告(2018.5.13)
■「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を1月17日のブログ公開で立ち上げて以来初めての公開講座を武蔵村山市大南ファミリークリニック3階講堂をお借りして開催しました。
 参加者は武蔵村山市から武蔵村山市健康友の会会員5名含めて7名、横浜市とあきる野市からそれぞれ1名で60代後半から83才までの合計9名の参加でした。
■主催者・黒井秋夫の話したこと。
午後1時半から90分間、主催の黒井秋夫が「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」を立ち上げた経過、その目的、PTSD症状の日本兵が確かに存在した事実の紹介とその事が何故世の中に隠されたのかを研究者の吉田裕さん(一橋大学)、中村江里さん(一橋大学)、朝日新聞などの資料から明らかにしました。
次いで黒井秋夫の父である日中戦争に従軍し復員した黒井慶次朗がその経歴、残された資料からPTSDに苛まれていた十分な可能性があることを話しました。父のPTSDを気づかされたきっかけがベトナム戦争に従軍した米兵の3割から5割がPTSDとなり復員後にアメリカでの社会生活に順応できずに通院生活が長く続いたり、自殺に追い込まれたりして家族生活が破壊された事例から、同じような侵略戦争の体験をした日本軍兵士にもPTSDがあったのではないかと思うようになったこと。自分の父が戦争について口をつぐみ、様々なことに積極性が乏しい生き方の人と見えたのは本来の父ではなくPTSDの影響があったのではないかと考えるようになった事。戦争がその兵士本人への影響に止まらず、復員後に共に暮らす家族にも大きな影響がある事、戦争終結した後もPTSDの兵士は、時には亡くなるまでトラウマに付きまとわれる事例がある事も紹介しました。
 安保関連法の成立や憲法改正の流れが進んで自衛隊が海外に派遣され戦争するような事態になれば、必ずPTSDの自衛隊員が生ずること、共に暮らす家族にも重大な影響がある事、それは交戦相手国の軍人とその家族にも同様の影響がある事は明白であること。悲惨な結果しかもたらさない戦争は二度としてはならい事を訴えました。
 今後は「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」のブログを充実させて、より多くの人達に情報提供を続ける事、あくまでも非暴力の精神で諦めずに活動を続けることとこの「語り部活動」への協力を最後にお願いしました。
■参加者のお話し。約1時間、自己紹介をして戦争体験や自分の父の思い出を交流しました。
・「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の趣旨が十分に伝わりました。多くの人に広がれば良い。
・PTSDの父親の生の話しは初めて聞いた。戦争を扱ったDVDを見て話し合ったりというような活動ができると良い。
・大変勉強になった。自分の子供たちにどう伝えたら良いのかを模索している。
・今、戦争のきな臭いにおいがしている。こういう講座を今後もできると良い。
・10才の時に旧満州から兄弟5人で帰国した。戦争をしてはいけない。
・明治維新以降の勉強をしている。職場の若い人たちに憲法の講義をしている。
・父親が映画「兵隊やくざ」に出てくる隊内暴力はその通りだと言っていた。立川の米軍基地は無くなったが実態は沖縄に移しただけだ。
・兄嫁の父は従軍中にマラリヤにかかり復員後も長く患い、農家なのに田植えすらできないような健康状態だった。
■「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」のこれからの活動。
□公民館を借りる際に必要な5名以上の団体登録が参加した皆さんのご協力で可能となりました。武蔵村山市、立川市など多摩地域を足場にして東京、関東に広げたいと思います。黒井が長く働いた新潟や故郷の山形でも広げたいと思っています。声が掛かれば参加者が一人でも二人でもどこにでも手弁当で駆けつけます。
・SNSの活用は「株式会社・きかんし」に相談を始めました。より多くの人にブログ・ホームページを見てもらえるように学習会やオープン講座開催を多くの人に行き渡るシステム作りに着手します。
皆さんのご協力と「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」への注目を今後もよろしくお願いいたします!