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義姉の死

赤川とは故郷の川の名前である。子供時代に学校にもプールなどはなく夏は赤川で真っ黒になって泳いだ。
「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」関係以外の日々の日誌を「赤川日誌」という名前にした。

20日早朝、近くに住んでいた妻の姉が急死した。心不全だった。まだ私よりも若い。昨日が告別式。
妻は勿論私もまだ平常心には戻れない。
妻は畑の野菜や旅行の土産などをその都度姉やその家族に届けていた。仲の良い姉妹だった。それが突然亡くなった。
本当にこの世は諸行無常。露のような人生であり、次の瞬間も知れないのが人の命と心に沁みた。
義姉の子供たちが葬儀一連を取り仕切ったが、脇で見ていて本当に心強く感じたし見事だった。
悲しみの中で戸惑いながらも一つ一つ決断する姿は義姉に見せたいほどだった。

母親を失った喪失感は生涯続く。子供達は今はまだ張り詰めた物があるかもしれないが、その後1~2年はいつも頭の一部分を
母親が支配する状態が私は続いた。
妻と二人の姉の子供達どうしは兄弟のように仲が良く、何かと言っては行き来している。毎年正月二日は私と妻の手料理の我が家での「いとこ会」が恒例行事になっている。そのいとこたちの子供達も集まり「いとこ会」は今年も保育園状態で賑やかだった。
日頃は妻と二人だけの生活なので賑やかさは特に嬉しい。年末になって正月二日の「いとこ会」のメニューに悩むのも楽しい時間なのだ。これからも「いとこ会」の親交が途絶えることなく続き、その子供たちに引き継がれることを願っている。

義姉よ、ご苦労様でした。安らかにお眠りください。私たちの行くのを気長に待っていてくださいね。