父の従軍時代のアルバムを整理していたら「履歴申立書」という表題の茶色に変色した従軍記録が出てきた。
おそらく1953年に軍人恩給制度が復活した時に申請の為に書いたものと思われる。
多くの行に赤字で訂正や加筆されているので役所側が聞き取り申請書に書き入れた物で、その後に清書されたものが正式な申請書として提出されたのだろう。言わば「下書き」だが年月日は正確だと判断して良いと思う。
・父は1932年11月に始めて徴集され旧満州国の長春に近い公主嶺で独立守備隊として約3年間1934年11月まで従軍した。
・1941年8月に再徴集され最初は満州最北部の北安に、次いでソ連国境の黒河に移動した。アムール川の向こうはソ連領ブラゴベシチェンスクである。
・1944年3月に日中戦争の激化によると思われるが南京、武漢周辺に移動する。そして1945年8月15日の終戦を湖北省當陽県で迎える。10月7日に天門県岳口に移動させられ俘虜となったようだ。6か月間の俘虜生活の後1946年4月26日に岳口を出発、」上海を経て6月20日に博多港に上陸している。上陸に2か月間を要しているのは異常で何らかの事情があったと思われる。
以下年月日だけを記すが地名や連隊名などに情報をお持ちの方はどんな些細な事でもありがたいのでお寄せいただきたい。私もこれから更に調査しできる限り足跡を心情と共に解明していきたいと思っています。
■履歴申立書
1932年 | 11月30日 | 御用船宇品丸で大連上陸。 |
12月2日 | 満州国公主嶺 独立守備歩兵第一大隊第3中隊 現地入隊。(2等兵) | |
1933年 | 8月6日 | (1等兵) |
4月1日 |
四平省四平街に移駐。 |
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1934年 | 11月30日 |
現役満期除隊。 |
1936年 | 9月12日 |
歩兵第32連隊で28日間勤務演習。(上等兵) |
1941年 | 8月4日 |
充員招集。第132連隊に補充兵入隊。 |
8月21日 | 大阪港出発。 | |
8月22日 | 釜山上陸。 | |
8月28日 | 北安省北安 警備 第132連隊第6中隊。 | |
1942年 | 4月18日 | 移駐のため北安出発。 |
4月24日 | 黒河省璦琿県神武屯。 警備。 | |
1943年 | 7月10日 | 神武屯第7232部隊復帰。 警備。 |
1月10日 | (兵長) | |
1944年 | 1月10日 | (伍長) |
2月20日 | 龍江省小民屯 第9野戦補充隊に転属。第6大隊第5中隊に編入。 | |
3月19日 | 小民屯出発。 | |
3月22日 | 山海関通過。 | |
3月25日 | 浦口。 | |
3月29日 | 九口。 | |
6月18日 | 孝感。 | |
6月26日 | 漢口。 第2船舶司令部戦闘部隊配属。 | |
1945年 | 2月1日 | 軍令甲第18号独立混成第83旅団編成下令。 |
3月1日 | (軍曹) | |
3月10日 | 独立混成第83軍旅団司令部付き。 | |
4月26日 | 湖北省當陽県「育渓河*」。警備。 | |
8月26日 | 復員下令。 | |
9月18日 | 湖北省當陽県「育渓河*」出発。 | |
10月7日 | 天門県岳口。 | |
1946年 | 4月26日 | 岳口出発。 上海出発。 |
6月20日 | 博多港上陸。 |
*「湖北省當陽県」の次に「さんずい」の右に育と書く漢字に「渓河」と続く地名の記載がある。
いわば「育渓河」の育にさんずいがある地名であるが辞書に出ていない。