朝日新聞 2019年10月2日(水)「異論のすすめ」佐伯啓思
政治も思想運動も 本当の現実を見ない 虚構の中の遊びだ
「○○ごっこ」する世界
以下「私の異論」です。
「保守の立場」の人が寄って立つ原点とは何なのか?何が価値基準なのか?何をめざすのか?知りたくてかねてから佐伯さんの「異論のススメ」は気がつく限りは読んできた。しかし、これまで、しかとは分からなかった。2019.10.2の「異論のススメ」でおぼろげながら見えて来たように感ずる。今回の表題は『「○○ごっこ」する世界』、「政治も思想運動も本当の現実を見ない虚構の中の遊びだ」である。
佐伯さんは江藤淳の評論と彼の予測に沿って論を進める。日本は先の戦争で連合国に敗北し米国の占領により、主体性を失い米国の属国になった。ならば日本が自立した国家に復活するとしたらどういう情況だろうかと考える。それは米国の対米従属から(米国の核の傘から)脱して自主防衛の国へと自立した時だと言う。その時に「世界」というリアリティに直面すると言う。それは日本人のアイデンティティ「一身独立、一国独立の精神」が回復する時なのだ。佐伯さんがめざすのはそういう日本(世界)のようだ。
しかしグローバル化した世界に変貌し「今日の世界は、それを導く確かな価値も方向感覚も見失い」リアリティのない巨大な「ごっこ」の様相を帯びた社会に直面しているという。世界中がそうなのだと言う。米国も中国も北朝鮮ももちろん日本も。
確かに世界の一方の盟主たる米国のトランプ大統領はフェイク(嘘・虚構)を土台に見立てて未来を描いている。金正恩も文政権も「大統領ごっこ」に付き合っている。つまり本当の現実、リアリティを見ないで世界の政治が展開しているのだと佐伯さんは言う。ならば保守主義はそこからどう脱出できるというのか?江藤淳は『近代日本にとっての最大の経験はあの戦争と死者たちであった。「ごっこ」が終わればわれわれはあの死者たちと本当に向き合う=日本人のアイデンティティを取り戻す』と言ったが、佐伯さんは『あの死者たちをたえず想起することによって(アイデンティティを取り戻すには至らないにせよ)せめて「ごっこ」を自覚することぐらいはできる』という。結論は極めて悲観的だ。いまのところ出口は見えないようだ。昨年の西部邁の死はこの悲観と繋がっているかもしれないと読後に私は思った。
私は視点をマクロからミクロに変えてみようと思う。一人ひとり、個人の領域からあたりを見渡してみようと思う。敗戦を前後する時代。日本人が必死に生きた時代に目を向けてみよう。敗戦により「一身独立、一国独立の精神」を失ったと佐伯さんは言うがそうだろうか?焼野原に放り出された戦争孤児は「一身独立」して生き抜いたのではないのか。戦没者遺族の妻たちは我が子を抱え「一身独立」して家族の食べ物を確保したのではないのか?PTSDを抱えて帰還した兵士も、傷痍軍人もあらん限りの力を振り絞り「一身独立」して以降の人生を生きたのではないのか?その集合が日本という国というなら、「一国独立の精神」を失うどころか、たくましく生きる人たちによって「新しい日本が作られる」様子こそ見えてくるのではないだろうか。当時は「どんなことでも耐え生き抜く」ことが多くの日本人のアイデンティティだったのではないだろうか?
『「一身独立」「一国独立」が日本人のアイデンティティ』がそもそもそうだったのか?戦前の教育によって一様な価値観=アイデンティティを持つ日本人が作られたことは確かかもしれない。しかし、教育された価値観を、そもそも日本人のアイデンティティだと断じていいのだろうか?戦前の教育の中で自分自身の自立した価値観を持てた日本人が果たしてどれほどいただろうか?戦前のそれは、押し付けられた、植えつけられた価値観だったのであり、自立した日本人の価値観、アイデンティティと呼ぶには不適当な代物だったのではないだろうか?戦前のスローガン、富国強兵、鬼畜米英、忠君愛国、天皇陛下の為に死ぬ、このような価値観は自身が辿り着いて、発見し確立したものなどではなく、戦前の教育により言わば洗脳された頭脳が作り上げた幻のアイデンティティだったのではないだろうか?そのような物を日本人のアイデンティティだったと括って良いものだろうか?
はたまたこうも思う。まとめられる日本人のアイデンティティなどそもそも必要なことだろうか?一人ひとり自立した人間のそれぞれのアイデンティティを俯瞰したらおぼろげに見えるものがあるとしたなら、総体のアイデンティティと呼んでも良いだろう。その場合でもあくまでも一人ひとりが見えていなければならない。塊りをアイデンティティと呼ぶとしてもちゃんと一人一人を認識した上で俯瞰してほしい。
佐伯さんは先の大戦の日本人死者を300万人としている。しかし、多くは310万人と言う場合が多い。なぜ10万人少ないのか?10万人の差がどうしても私の心には引っかかる。少なく見ようとしているのではないのかと。
日本軍は戦死者を正確に記録に残すことをしなかった。が、米軍は違う。一人ひとり場所と時間を記録に残している。兵士の命を大事に扱ったかどうかという差と思う。日本軍が自国の兵士(日本国民)一人ひとりの命に責任を持とうとしたかどうかという問題だと思う。南方で亡くなった兵士は戦死した場所も日時も不明な場合が多いと聞く。日本軍は戦死者を記録すると言う規則はなかったということなのだと思う。まさに映画やテレビで見る戦国時代さながらではないか。野垂れ死にというにふさわしい日本軍の兵士の扱い方ではないか。自国民の命を軽んじた日本軍や日本という国が朝鮮、中国、アジアの人たちの命を大事にしたとは到底思えない。
佐伯さんに言う。10万人の差は何なのか?「人間一人の命は地球より重い」という言葉がある。一人数字が違ってもそこには1人の兵士(民間人)の命を尊ぶかどうかという道徳的違いがあると思う。ましてや10万人の違いを私は捨て置けない。説明してほしい。
1910年から1945年まで朝鮮半島は日本の統治下にあった。「一国独立の精神」と言った場合にこの時代は朝鮮人は「一国独立の精神」を持っていなかったということなのだろうか?歴史が教えるように朝鮮人は日本統治下でただ言いなりに付き従っていた訳ではない。日本統治を覆そうとする活動は表でも裏でも絶え間なく存在したし続いた。唯々諾々とひざまずいていた訳ではない。つまり朝鮮人の「一国独立の精神は」燎原の炎のように朝鮮全土に存在したと言うべきである。
『戦後日本は米軍の核の傘に依存して国家の安定や平和を維持してきた。その現実に目をつむり、対米従属という戦後日本の基本構造を問わない運動や思想は、本当のリアリティを持ちえない「ごっこ」に過ぎず虚構の中の遊びである』と佐伯さんは言う。ことの是非は置くとして、それでは「核の傘の庇護や対米従属」を打ち破った姿とはどういう状況なのだろうか?日本も核を持つ、あるいはそれに匹敵する武力を持つ日本の姿を言うのだろうか?だとしたら戦後日本の置かれた状況からして、平和国家として再生する道を選ぶことでしか市民権を得られない(とりわけアジアでは)状況からして、非現実的な成立できない暴論というべきである。その方向こそリアリティを持ちえない「ごっこ」願望のように私には映る。
また「米軍の核の傘が日本の安定や平和を維持してきた」という認識も肯定できない。私は武力が日本の平和を守ってきたとは思わない。米軍と核が存在していると言う事実を過去に遡って変えることはできないし、それらが存在しないで平和が保てたかどうかも検証できない。しかし、米軍と核よりも「戦争を二度としないという憲法」を順守してきたことが、周辺諸国の信頼を醸成してきたことが日本の平和の第一義の理由だと私は確信している。
米軍の核を押しのけて強大な軍事力を日本が持とうとすることが、あの時代に周辺諸国から許されたとは思えない。それこそがリアリティがない空想としか私には見えない。日本が周辺諸国と平和的に共存する道は昔の富国強兵の日本に戻ることではない。その思想は逆に日本の安全と平和を不安定にする考えである。国の安全は周辺諸国とのジグソーパズルを組み立てるような様々な形を協調して形作るものではないだろうか。その作業がリアルな現実でなくて何だろうか。できもしない空想を奏でることこそリアルな現実を見ようとしない「ごっこ」であろう。
私は2015年12月に「日本軍兵士のPTSD」の存在に思い当たった。それは「無気力に見えた復員兵としての父の姿」の心の内を初めて想像した瞬間だった。それまで私は日本兵を塊りで見ていた。従軍した父親も塊りの一部としか見ていなかった。一人ひとりが家族を持ち、それまでの生活があり、様々な感情を、それぞれが異なる思いを抱きながら、戦場に召集されたという個別の事情があったことまで考えたことがなかった。
良く言えば俯瞰してみていた。言い方を変えれば個人を見ていなかった。それは乱暴な見方だった。日本兵という固定観念で「こうだっただろう」と決めつけていたと言えるかもしれない。それは上から目線の見方だと気づいた。ひとり一人に目をやらないで全体が掴めるだろうか。出身も徴兵までの生活体験も家族の事情も一人として同じではない。
また当然ながら戦地がどこで、それがいつのことなのか、どのような戦争だったのかもすべてが違う。同じ戦場にいたとしても階級や任務で経験したことも、受けた印象も同じではない。日本兵だから、○○部隊だからとひとくくりにするのは乱暴な見方だ。
先ずはひとり一人に思いを馳せることから全体に向かわなくては真実には迫れないし、逆に誤った見方に陥るように思う。森を上から見たら杉の林にしか見えなくても、実際に行って見れば無数の小さな異種の木々が生えているであろう。数だけで言えば杉林ではなく良くあるが椿の森かもしれない。俯瞰するだけで見誤ってはならない。次の世代、その次の世代の森は今とは違う様相を呈しているか、地上から一本一本の樹木の状態を見ないと分からない事だってあるだろう。いつまでも杉の時代が続くとは限らない。いまは小さくても椿の森にならないと誰が言えるだろうか。
戦後、米国とソ連の2つの軍事大国、核保有国が世界を支配してきたように見えた。核は万能であり軍事力が世界の動向を決めているように見えた。しかし、1980年代のヨーロッパ、ソ連に何が起こったか。アラブ世界に何が起こったか。ベルリンの壁を崩壊させたのは圧倒的なベルリン市民が街頭に繰り出し、壁を崩し始めた事を武力では止められなかったからだ。東ドイツが崩壊したのもひとり一人の東ドイツ国民が街頭にあふれ出したのを軍事力では制御できなかったからだ。ポーランドの労働組合連帯の政府も軍事力で政権奪取したのではない。労働者市民が武力ではなしに圧倒的に支持したからである。アラブの春で多くの独裁政権を倒したのも街頭を埋めた市民の力が武力行使を不可能にしたからに他ならない。
私は核や武力では街頭にあふれる市民の意思を砕くことは未来においてもできないと確信している。私は核や武力で市民の力、「ある種のアイデンティティの発露」を抑えることはできないと思っている。つまり、私は核や武力よりも自立した市民の力こそが人間社会の未来を保障すると思うのだ。私は核や武力の力など究極の場面では無力なのであり、街頭にあふれ出す市民の力こそ制御する真の力だと確信している。そうでないと人類に未来はないという結論しか出てこない。つまり佐伯さんや江藤淳が正しいと言う事になる。そしてそれは絶望的な未来しか想像できないという結論になる。私はそうはならないと思っている。ひとり一人の人間のアイデンティティの発露を信じている。
核を保有する超大国、軍事国家が世界を牛耳る世の中が未来永劫続くとは思わない。ローマ帝国も中華帝国も世界を二分したスペインもポルトガルもやがては滅びた。破竹の勢いのドイツも日本も敗北した。藤原家も平家も徳川の世もやがては滅びた。「祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり。沙羅双樹の花の色、盛者必衰の理を表す。奢れるものも久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。たけき者も遂にはほろびぬ、ひとえに風の前の塵に同じ。」平家物語の通りだ。
肝心なのは「歴史を動かす源泉はひとり一人の人間だと信じるかどうか」だと私は思う。私は一発のミサイルよりも100万人の街頭を埋める人間の力が勝ると思う。一発の核よりも1000万人、いや何億人の人々が燎原の火のように世界中の街々を埋める姿を想像する。そういう人間の力が勝つ日が来ると思っている。だから未来を悲観していない。
日本においても一つ一つは小さくても無数の市民の運動が、集会であったり、学習会であったり、語り継ぐ運動であったり毎日どこかで開かれている。それらは今は杉の木の下で俯瞰したら杉林にしか見えないかもしれないが、実は大地に根を張っている小さな若木たちなのだ。私は杉林が永遠に続くと悲観しない。なぜなら地上から見ているからだ。そこには未来へ伸びようとする無数のアイデンティティが生きているのだ。マクロな見方が有効な時もあるだろう。しかしミクロが見えてこそマクロが生きるのではないだろうか。それはひとり一人を大事にするかどうか、一人一人が生き生きしていてこそ国家の意味があると思うかどうかではないだろうか。
2019.10.8 黒井秋夫。