わずかだが光が見える!
前立腺ガンの放射線治療の最初の結果が12月18日(検査日は11月20日)に分かった。マーカーのPSA値0.368だった。5月15日に0.446だったのが0.078下がった。
2月20日の0.375よりもわずかだが低くなった。
下がったのは手術後初めてだ。ひとまずは効果があったと思いたい。次は1月15日。更にPSA値が下がってくれればうれしい。急激に下がるものではないと主治医は言う。それでも命が延びる保障をされているような安堵感がある。そうなってほしい。
2015年3月5日に前立腺全摘手術した直後はPSA値が0.0となり完治したと喜んだ。しかし、3か月ごとの検査でPSA値はわずかずつだが一貫して上昇した。普通に考えてどこかでガン細胞が少しずつ増殖していると推測するべき推移だと覚悟させられた。
解説本ではPSA値が0.2を2回連続越えたら再発と診断されるとあった。
手術から3年半経過した2018年9月5日にそのラインを越えた。
それがわずか8カ月で数値が2倍になり増殖ペースが急上昇した。そして放射線治療を決めた。9月12日から11月6日まで35日間受けた。放射線を受ける時間はわずかに10分間程度だが、約2か月,畑作業などをする元気はなかった。気分も拘束された。
便秘の症状が出てどんどんひどくなった。シルバー人材センターの3人の仲間と請け負っている、公園の掃き掃除と草取りの仕事の開始の8時に間に合わず1日休んだ。放射線が直腸の壁を火傷させ膨張させるから便秘になるのだと言う。いつになったら治るのかと聞いたら、医師は「分からない」と言う。放射線治療が終わって50日を経過して、便秘症状が少しずつ軽くなっているような気がする。
発作性上室性頻拍と言う病名で12月24日に入院して、25日カテーテル手術をした。
右足の付け根からカテーテルを注入して、余分な心拍を誘導する電気を遮断する焼灼手術を受けた。手術時間は90分。部分麻酔なので手術場のガシャガシャという音や、医師や看護師の会話は聞こえるが、頭は理解できない。ただ騒がしいだけだ。7~8人程度のチームになり、分担した仕事を同時に流れ作業のようにこなしている感じだ。時々、開口部に重い鈍痛がある。思わずうなる。手術後の7時間は仰向けの姿勢で動けない。右足はベッドに固定された。
術後2時間くらい経過した25日夕方4時頃、最高血圧が64まで降下した。意識が薄れるのを感じた。「このまま死ぬのか」という恐怖感があった。「やることがある。まだ死ねない」と自分に言い聞かせた。直ぐに複数の医師と7~8名の看護師が駆けつけてベッドを囲んだ。医師があれこれと指示を出したのが聞こえたが、内容は理解できなかった。覚えていない。その後しばらくして90台に血圧が回復して危機は脱出した。
夕食は悲惨だった。手は使えるが顔だけ右に向けて食べた。その姿勢で箸は使えない。スプーンとフォークで口に持って行く。その日初めての食事だった。里芋がうまかった。マンゴーも美味しかった。しかしお茶は飲めずに顔の脇にこぼした。情けなかった。看護師を呼べるが忙しいのは分かっているので気が引けた。
術後に病名が心房頻拍となっていた。ネットで見るとほとんど同じ病気らしい。医師からは10%の確率で頻拍の再発の可能性があると言う。効果の安定には1〜2か月程度要するらしい。しかし、効果があればあの不快な動悸と急激な低血圧症状がなくなる。自動車運転中の危険や立ち眩み症状の不安が解消される。期待したい。
少しだが先の方に光が見える気がする!
2019年12月28日 黒井秋夫。