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今日のひとこと・ドキュメント①

 4月30日(木)

3点のお知らせをいたします。
①写真右 「武蔵村山市報ひろば」5月1日号に「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」5月10日開館します!の案内を掲載いたしました。
②写真左上 東京・多摩地地域を中心とした市民活動情報誌「市民活動のひろば」5月号に「PTSDの日本兵と家族の交流館・村山お茶飲み処」5月10日開館します!の記事が掲載されました。
③写真中 A3版のお知らせを武蔵村山市の市長、市議会議員、商工観光課にお届けします。同じお知らせを「交流館・お茶飲み処」周辺500戸に配布します(ウォーキング兼ねて頑張ります!)。谷津自治会、中藤自治会、寿会(老人会)の皆さんに行き渡るように頑張ります。

 

28日(火)朝から晴れです。午後は昨日同様に雨になるらしい。

 昨日27日、秋田、新潟、千葉、都内から荷物や便りが届きました。いずれも「交流館・村山お茶飲み処」の開館に関する事柄でした。本当にたくさんの皆さんに支えられて、この活動ができていることを実感しました。自分の思いの発露が発端ですが、多くの皆さんの思いも既に合流しているのだ、そのように動いている活動なのだと思わされました。皆さんのお力添えには本当に感謝しています。同時に公的存在としての自覚・責任も持たなければならないと思っています。皆さんの励ましに助けられてきましたが、時には厳しい意見、ご批判、ご指摘も遠慮なくお願いしたいと思っています。これからも宜しくお願いいたします。

 今朝、白い子犬と散歩の女性が通りかかり「コロナに負けずに頑張ろう」の看板を指して「いいですねえ!」と声をかけて行きました。また、自転車の女性が足を止めて花壇の「やまハンショウヅル」の花を「きれいですねえ」と言ってくれ、そこから話が弾んで、アイヌ刺繍の暖簾や鯉のぼりの掛物に感心するので作者のさち子を呼びました。それから、さち子の手芸サークルに参加する話しに繋がり連絡先を書いて行きました。

 コロナの外出自粛でほとんど人通りは絶えましたが、そんな中でも声を掛け合えば新しいつながりができていきます。嬉しいですね。緊急事態宣言が解ければ人通りも戻ります。そうすれば今以上のつながりや交流ができるという確信に近い予感を持てています。

 新潟市議会議員・中山均さんのFacebookを時々見ています。新コロナウィルスの発生の原因、経過をYouTubeの動画を日本語訳して掲載しています。黒井秋夫のFacebookでもシェアして掲載しています。ぜひご覧ください。コロナウィルスはコーモリから始まったという説があります。

 コーモリの活動範囲が人里離れた森林地帯にあった頃は人間社会と遠かった連環が、人類が居住地をどんどん広げてコーモリの生息地に近づいたことで接触機会が増えて、遂にコロナウィルスに人間が感染した、という説明の動画です。中山均さんのFacebookにコメントしましたが感染症と自然破壊(コーモリの都市近郊への住処の移動)の繋がりに戦慄を感じました。「猿の惑星」は核戦争が人類を滅ぼす未来ですが、そのような大げさな事件ではなく、普通の人が普通に生きて来た事(経済活動)が自覚なく自分自身の首を人類は締めているという告発です。底の見えない泥沼を見ている思いがします。 

2020年4月26日(日)快晴です

 

 午前9時半ですが風が強く肌寒く感じます。犬の散歩も含め交流館脇を通る人はほとんど見かけません。湘南海岸も戸越銀座商店街も1週前とは大違い、昨日は閑散。日本人は真面目だなあと思います。今の局面では大事な事と思います。ただ、政府や軍やマスコミに操られ戦争に突き進んだ日本国民の過去の歴史と重ねると・・・・。しっかり自分の意見、考えを持って指示する人たちの真意を見極める目を持ちたいとも思います。

 

 昨年9月~11月に前立腺ガン再発で放射線治療を受け、12月には心房頻拍で心臓のカテーテル手術から間もない我が身の免疫力からして、新型コロナウィルスは本当に脅威です。逃げ回るしか方策はありません。

 

 昨日、昭和15194058日付けの父親・黒井慶次郎あてのラサ工業、田川炭鉱発行の表彰状が見つかりました。何度となく見たはずですが一番分厚い満州事変記念アルバムに挟んだ状態で出てきました。業務精励により貯蓄債権を授与するという内容です。

 

 ラサ工業、田川炭鉱は1960年まで開鉱していて434人が閉山時に働いていたとあります。ラサ工業は現存し東証一部上場企業とあります(ウィキペディアより)。私は父が日本に復員した時には徴集前に働いていた炭鉱は閉山していて失業したと思っていました。しかし、実際は私が12歳(中学生)になるまで前の職場は現存していたのです。

 

 推測ですが、炭鉱に戻ることができたのに復職しなかった、ということだったのでしょう。父が復員後に仕事を探しても定職に付けなかったのではなく、帰るべき職場があったのに戻らなかった。勤労意欲を失っていた、というのが真相に近いのではと思います。

 

 正直、新しい発見に少し驚いています。本当に我が家の家計は火の車でした。貧乏な暮らしでした。どうして父は定職につかないのか。そういう努力をしないのか。全ては父親がだめだから・・・・。情けない男、私はそう思っていました。

 

 さらにはっきりした思いです。戦争の後遺症・戦争神経症の状態だった、と私は確信します。元の職場に戻りたくても戻れなかった。そういう意欲は戦争神経症状態では湧いては来なかった。そいう風に理解することができるでしょう。

 

 徴集されたころの昭和維新の先駆者足らんとした若者は15年後に様変わりした祖国の価値観に戸惑い、右往左往し、自分の羅針盤を失い苦悩の日々を送っていたのだと何といたわしい。

 

425日(土)快晴です。

 

 昨日、24日に予約をいただいた二名に入館いただきました。初めてお迎えした訪問者でした。

 

10時半から1時間半ほど興味を持っていただいたことやら、お仕事の事やらお聞きしました。当然ながら「交流館・村山お茶飲み処」の建設趣旨や展示物の説明を私はいたしました。

 

お二人とも71歳の私からすると子供世代の方ですのでとてもうれしい時間で頼もしく思いました。仕事場も立川市内で近いのでこれからの交流も約束できました。

 

 

 

昨日は組み立てを断念したログハウス風テーブル。提供者の阿賀野市の友人山田さんから心配して何度か連絡をいただき、やっと理解でき、朝の挑戦で一発でできました。できてみれば「コロンブスの卵」でした。私の硬い頭では想像できなかった組み立て方法ですが、分かれば簡単。こんなことは他にもありそう。何となく反省しました。「交流館・村山お茶飲み処」の室内も全て木造なのでテーブルは早くも馴染んで存在感抜群です。山田さんには心から感謝です。ありがとうございました。

 

姪夫婦から頂いた花を飾りました。免疫力が高まりますね。

 

多くの皆さんに支えられていると感じています。沢山のありがとうをお送りします。

 

昨夜の雨で空気が洗浄されて、近くの竹林の高台から予想通り、雪の富士山が

 

きれいに見えました。

 

館内はパネルも展示しています。会の活動記録もファイルにして公開しています。

 

510日(日)の正式な開館には十分間に合う状態です。道路側の掲示窓にも510日(日)開館と記しました!!多くの皆さんに助けられ、支えていただいていることに心から感謝申し上げます。期待に応えられるよう進んで行きたいと思います。これからも皆さんのお力添えを宜しくお願いいたします。              親父!見てるか!

 

24日(金)寒さを感ずる金曜日です。

阿賀野市の山田さんからいただいたテーブルの組み立てにかかりましたが、あと一歩ですが完成できません。後日再挑戦します。今日は午前中に2名の見学者の予定です。

 

「交流館・村山お茶飲み処」の入り口は車椅子でもそのまま入れるようになっています。4本の材木が道になります。

 

23日(木)晴れです

 

タケノコが盛んに出始めました。私は味噌汁が好物です。今朝も2本採れました。高台からは今日も富士山が見えました。

 

今日は8時から12時までシルバー人材センターの請負仕事の出勤日です。

 

市内の大南東公園の掃除、除草の仕事です。PTSDの日本兵と家族の交流館・お茶飲み処は午后13時に開館します。

 

422日(水)朝は曇り空でしたが次第に青空が広がっています。

 

 展示したパネルの順序を変更しました。入口から左回りが順路になります(と言っても110mですが)。最初の2枚を父・黒井慶次郎に替えました。

 

 開館準備中に通る人たちに説明をする時、「私の父は戦争で心の病気になって・・・」と話し始めていました。「交流館を作った目的を先ず分かってもらう」ことから始めていました。展示の順序もそうだろう、その方が理解し易いと。その順序に変更しました。

 

 午後から昨日の続き、2年間の活動資料を公開するためのファイルの整理を進めます。

 

421日(火)気持ち良い晴天です。

 

 姪から届いた花束を入口の看板隣に飾りました。陽に当たり長持ちさせるにはどうかと迷いましたが、道路を通る皆さんに見てもらいたいという気持ちが勝ちました。コロナに負けない免疫力をきれいな花からもらえそうです!

 

 さち子制作の「鯉のぼり」を入口に下げました。風鈴も爽やかです。

 

 うぐいすが鳴いています。「交流館・村山お茶飲み処」の花壇にさち子が植えたグラジオラスの芽が5本芽を出しました。交流館の工事でたくさんの庭木、花々が移植を余儀なくされましたが、多くが南側の移植先の花壇で生き延びてくれました。心配した牡丹も開花が間近です。

 

自慢だったバラ2種類も新芽を出してくれました。山形の実家の義姉から貰ったホトトギスも芽を出していました。ばっさり切られた南天も道路との境の生垣として生きています。

 

 今日からは「PTSDの復員日本兵と暮らした家族が語り合う会」の2年間の活動資料を訪問者が見やすいように展示方法を工夫します。

 

 

 

2020年4月20日(月)朝から雨です。

 

8~12時は大南東公園の掃除除草作業は中止で27日が穴埋めする仕事日になりました。

 

 昨日、東大和市に住む妻の姪と姪の長男6歳が夕方花束を抱えて来てくれました。花束は今日から看板脇に飾りました。6歳のSちゃんは本来は新1年生。学校なはずなのにコロナ感染で休校の為、一度も教室での勉強ができない状態。かわいそうなのだが本人はそんな事のかけらもない。母親と一緒なのでご満悦。いつものように大騒ぎして帰って行った。ロフトに梯子で昇って大喜び。気に入ってくれたようです。

 

 花束はとてもきれい。鬱屈した気分を飛ばしてくれました。コロナに負けない免疫力向上間違いなし。みなさんには写真でお送りします。

 

19日は展示パネルを3枚作製しました。今日はあと2枚作成予定です。

 

みなさん、コロナに負けず頑張りましょう!